梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

共謀罪と教育勅語と玉音放送

2017-04-18 15:35:30 | 雑記
「教育勅語」を菅官房長官が「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」と答弁した、
私は戦後生まれで教育の場で教育勅語を聞いた事は無い、しかし村の農家には先代、先々代の写真の他明治天皇の額が飾られている家も何軒か会った、
親達は天皇の名をもって発行された召集令状によって家族と仕事を全て手放して銃を持たされ、船に押し込められて南方や北満に人を殺しに行かされた、その半数以上は故郷の地を踏むことは無かった、多くの他国の人の命を奪い、また多くの命を失って来た
だれも救わず皆が不幸になったのがこの戦争だった、そして全ての戦争はそうだろう、
召集令状を受け入れる素地を作り上げたのも幼少期から内容も分からず読まされた教育勅語にその一端が有ると言うのは否めないだろう、
前述のとおり私はその現場にいたわけではないが敗戦後多く作られた映画ではこのシーンは何度も見る機会があった、「私は貝になりたい」を上げるまでもなく「二等兵物語」や「新二等兵物語」は日本の反戦映画なんだろう、
下町の床屋や八百屋、農民が赤紙で徴収され古参の一等兵に娯楽代わりにいじめられ、「体を軍服に合わせろ!それがわが日本帝国軍兵士だ、“恐れ多くも天皇陛下”から承った軍歌に足が入らんとは忠誠心が足らん」と言われ食事が足らず差し入れのおにぎりをトイレで泣きながら食べ、「雪の降る世にふんどし一つで」捧げ銃をして暗い船倉に押し込められて戦地に赴いた普通の国民はこの状況がおかしいのではと考える、
それが広がらない為に破防法は作られた、普通の国民に対して軍部の人数はわずかであり彼ら自身も恐らく徴兵制は理不尽な事を内包している事を認識し、庶民が話し合えば大きなうねりになる事は危惧されたのだろう、その為の破防法であり特高警察だった、
それはナチスのゲシュタポやイタリアのファシスト党の模倣かも知れないが「大衆の力」は火がついてしまえば消すことは困難なことを十分に理解して種火のうちに消してしまう事を目的に作られた法だ、農民一揆は繰り返されたが封建制の中では代官や外様をスケープゴートにして何とか維持してきたが明治以降の政府では全国的な一揆にになりかねない、
テロは確かにイスラム過激組織の様にただ破壊と殺戮を目的としているとしか思えない状況が広がっている事は否めない、しかし破壊と殺戮の先には何の結果も無い、
ロシア革命やフランス革命はテロ組織ではなく虐げられた絶対的多数の一般人が立ち上がったからこそ成功したのだ、テロを壊滅させることは一般人が巻き込まれる事を避けるためには重要な事である事は確かだが発言の自由を監視する為の共謀罪要件は戦前の「民は生かさず殺さず」に戻る危惧を感じる、
明治天皇の名で出された教育勅語、昭和天皇の名で出された「玉音放送」、教育勅語をまた出すならあの時の天皇陛下が人間に戻る為になした「無条件降伏」と「堪え難きを絶え凌ぎがたきを凌ぎ」国民の万世を祈った文も教えてもらいたい、
教育勅語の効果はこの玉音放送を聞いた多くの人を自決に追い込んだ事を安倍政権は理解しているのだろうか

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