梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

表現の自由と神の冒涜

2020-10-23 09:14:45 | 雑記
フランスで教師がイスリムの18歳の青年に殺されたのを「表現の自由を守る」というスローガンの下に国葬扱いになった、
学年は確認しなかったが授業でムハンマドの風刺画を使った事がいスリムの怒りを買った結果今回の事件になったという、
こういう事件がある度、或いはISの様な過激派事件が起きる度に「イスラム教の恐怖」が喧伝される、
確かに今回の様な過激な行動が全イスラム教徒の評価を悪化させる愚かな行為であることは間違いないし殺してよい訳はない、
しか見方を変えて考えると一概にイスラム教が異常な宗教だとも言い切れないという気がする、
翻ってイスラム社会でイエスキリストを風刺する様な漫画や風刺画を教育の場で使用したとしたら彼等キリスト教徒は「それは表現の自由だから」と看過するだろうか?
我が国は基本的に絶対一神教ではないので元よりはっきりとした絶対神はいないのでぴんとは来ない、大体漫画ではキリストと仏陀が現代風のジーンズ姿で安アパートに共同生活をするような漫画が平気で発行されているくらいだ
日本宗教と言えるものははっきりとしては存在しないし多神教なのでカリスマ的な絶対神が存在しない、一応天照大神が一番上位になっているがいずれの神様も独立しているし大体あだなす神と言うのも基本的には存在しない
まあ、バチが当たると言う様ないい方もあるがユダヤ教の様な試練を与えるような理不尽な神様はいない、
我々日本人が理解する様な形となると天皇家になるのではないか、
陛下が外国で風刺画となりかつ教育の場に使われたらやはり国民として非常に不愉快になるだろうし右翼ならそれこそ殺さないまでも「殺す!」と叫ぶだろう
あれだけ日本を攻撃している韓国や北朝鮮ですら日本の皇室を風刺の対象にはしていない、
モハメッドを風刺すること自体いスリムの神経を逆なでする行為であるが更にそれを信仰の自由を謳いかつ宗教の自由を教えるべき教育の場で他の宗教のカリスマを風刺するという事はやはりするべきではあるまい
「表現」が発する「悪意」は意図的ではなくとも十分に配慮すべきなのに「教育の場」であれば「ある一定の意図があった」と取られても致し方あるまい
やはり「WASP」と言う特権意識が起こした事件だという事を自覚するべきで「国葬」とし「表現の自由」を標榜するというのはやはり他の民族宗教に対する配慮に欠けた白人の思い上がりだと言える、


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