梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

教師の矜持

2015-12-06 08:39:44 | 雑記
自分は思想的には右でも左でもないしそうありたいと気をつけているつもりだ、従って向後の文は思想信条の話ではない、あくまでも一般的なルールと社会通念の話しのつもりである。
国旗掲揚と国歌斉唱拒否の教師に対する処分に対する訴訟の判決のこと、前にも書いたが卒業式で国歌斉唱と国旗の掲揚は恐らく式の式次第に書かれているはずだ、おそらく「全員起立」も書かれているはずだ、これは式進行の為の決まり事だ、要するに決まった「ルール」である、その趣旨が「自分の思想信条に合わないから従わない」ということは式の会場で看過できる事ではない、仮にも教師である「社会人になったら気に入らなくともルールには従わなければならない」と教えるのは教師の社会人の義務だ、
ルールが納得できなければそのルールに異を唱えるのが基本で「それは間違っている」と思うならあらゆる方法で訴えてルール変えるのが筋だ、
学校でスカートの長さが決められている、染髪は禁止されているがそれが何故かと言う理由が納得出来ないから金髪でミニスカートで登校すれば注意を受け停学になるのと本質は変わらない、生徒から説明を求められたら思想心情でと答えたらそれはやはり偏向的と言わざるを得ないだろう、「そういう意見がる、」までは許されるだろうし生徒に先生はどう思うか?」と言うような場面は許される範囲かもしれないが「だから学校のルール(教育委員会のと言うかもしれないが)従わない」と言うなら「金髪で登校する」と言われても反論する根拠は無い、
今回の裁判は量刑の問題だった筈で学校の規則違反は確信犯である、処分が不当に重いという判決が出たとしてもそれは「私たちは正しかった」と言うようなコメントを出すべきではないしそう言うコメントが有ったといてもマスコミはそれに追従する様なまとめ方をしないでほしい、無罪ではない、あくまで有罪でしかも確信犯だ刑事裁判なら「再犯の恐れのある確信犯」だ、教師が卒業式でルール違反をする、と言う事の重大さを強調してほしい、
中には国歌と国旗は不要かのような発言も垣間見られる、国旗の日の丸が戦争を思い出させるから、君が代は皇室崇拝の歌詞だと言うならそれを変えろというのが筋だろう、「なくせ」と言う事とは根本的に違う、更に言うなら「君が代と日の丸が戦争の暗い記憶を思いおこさせる」のは少なくとも昭和10年代の人たちのはずだがそうはとても見えない、
そんなシンボルの問題より安倍政権が推し進める現行政治の方がずっと恐ろしい、