梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

金の話をしているのではない、命の話をしているのだ

2024-06-16 12:57:37 | 雑記
新潟県が4月に公表した同県の東京電力柏崎刈羽原発の経済波及効果に異論が出ている。6、7号機が再稼働した場合、効果は10年で4396億円に上ると試算するが、専門家からは「ミスリーディングだ」との声が上がる。
◆「再稼働」の経済効果が最多の4400億円
 その結果、再稼働時の経済波及効果は10年間で4396億円で最も多く、稼働停止時が2984億円、廃炉時が1262億円との結果になった。同原発関連の県内従業員数は、再稼働時が年間4680人であるのに対し、停止時は2932人、廃炉時は1986人になるとした。
政府も電力会社も再稼働反対と言う意見の反論として必ずこの経済効果を持ち出してくる
しかし「原発問題」は経済の話で反対しているのではない、あくまで生命の話である
以前から「地震が来たら住民の命はどうなる」として原子力発電所の廃止を訴えて来た
しかし「安全に関しては想定しうる震度、津波等にかんしても完全にクリアしている」と言っていた筈だが3・11では多くの死者と想定されている以上の汚染が発生してしっまった
国も電力も「想定以上の津波が来た、これからはそれを考慮して更に大規模な災害を想定し対処している」と言うがこれまでも「ここ迄想定していたら大丈夫」だったのではないのか
今度想定した基準以上の「想定外」は来ないと言う論拠は通らない、絶対に大丈夫だった筈の「想定」はあっさり超えられてしまったわけだ
金の問題ではない、命の問題なんだよ、政府官庁は「エネルギーインフラが重大な危機に陥る」と言う様な印象操作をする、しかし生活の不便さと命の危険を天秤にかけると言うのはそもそもおかしな話で「ブレーキが利かないバスは使わないでくれ」と訴えたら「運賃が上がるから目をつぶれ」と言われるような話だ
無論こっちが根本的な反対理由だから経済効果は別な問題だがこの県の試算した経済効果も原発を維持するコストが引いていないのではないかと思われる
※新潟県の花角英世(はなずみひでよ)知事は4月24日の記者会見で、柏崎刈羽原発の地域経済への効果について、野村総合研究所に委託した調査結果を公表。「6、7号機再稼働時」と「廃炉時」「全機稼働停止時」の三つのパターンについて、東京電力が地元企業に発注する事業や東京電力従業員の支出などを計算し、経済波及効果を出した。
立地自治体に支払われる補償金、原子力委員会と言う組織に掛かっている予算、使用済み廃棄物の保管に掛かる莫大な費用、
さらには使用済み廃棄物に関してはまったく処理の目当てがついていない、300m以上の地下にガラス封入しさらに強度な基礎を加えて数万年管理する
と言う事なら恐らく天文学的なコストを要するだろう
しかも、その候補地すら未だ策定段階だ、この候補地選び、住民説明、学問的調査等だけでも年間数十億が掛かっている筈だ
希望的観測でミスリードと言うのも含めて悪意あるプレスリリースだ、

大川原工業の時もそうだったが検察組織を裁く組織は必要だ、拘留されたら密室で弁護士すら立ち会えない

2024-06-12 16:25:55 | 雑記
サンカヨウ(山荷葉)と言う透明の花を知った、スケルトンフラワーと言う言い方もあるらしい


▼大阪地検特捜部の業務上横領無罪事件 大阪府の学校法人「明浄学院」の元理事長が不動産会社プレサンスコーポレーション(大阪市)の山岸忍元社長らと共謀し、法人の土地の売却手付金21億円を横領したとして、大阪地検特捜部に2019年に逮捕、起訴された。
 大阪地裁は21年、山岸氏の関与を認めた元部下の供述を「核心部分に看過できない変遷がある」「虚偽の可能性が高い」と判断し、信用性を否定。山岸氏に無罪判決を言い渡し、確定した。
この取り調べで検察に違法なとり調べがあったとして大阪地裁で国家賠償法の訴訟が有ったがその中で
取り調べ時の言動に反省はないのかとの原告側の質問に「全く非がないわけではない」と釈明。山岸氏から「無罪という間違いを起こしたことをどう思うのか」と聞かれると、有罪判決とならなかったことを踏まえ「残念だと思う」と答える場面もあった。
先の裁判で山岸氏の無罪は確定している、上告もしていない、要するに検察の敗訴と言う事は確定している
しかし「残念だと思う」と言う、敗訴=冤罪だったと言う事で間違いだったと言う事が公に確定してと言うにもかかわらずだ
やり取りの中で検事は「私がそう思ったのだからその事に私が納得できる証言でなければ認めない」と言っている、
「俺がこうだと判断したのだからその判断に沿った自供が出るまで釈放はしない」と世界的に悪評な人質尋問だと言う事を堂々と裁判で述べている
確かに有罪だと言う確信が無ければ尋問なんかできないかもしれないが、自分が読んだ筋書きを証明するのが捜査尋問で、そうではない答えは都合が悪いから脅す、賺す、恫喝すると言うのは現在の裁きではない、
それが裁判で無罪になったと言う事は被告が敗訴したと言う事になる
一般的な刑事裁判で敗訴が確定し裁判官から「あなたの犯したことに対してどう思っていますか?」と言われて「残念だと思う」と答えたら恐らく
「被告は犯した罪に対してなんの反省もしていない、再犯の恐れが十分にあるのでその罰則は重罰であるべき」だと言う事になるだろう
逆に「本人に反省をしている事が認められるので刑の執行を猶予する」と言う判決を聞く、
つまり「本人はまったく反省をしているとは思えない」被告にどういう刑罰を与えたと言うのか、これでは間違いなく「又同じ罪」を犯すだろう

植えられる花は流行があるが今年は百合が多い






記憶の共有

2024-06-09 11:09:11 | 雑記
末っ子の自分には既に兄弟家族と言える者はすべて居なくなった
ふと、あの時はどうだった?と考える事が有るが記憶を共有すると言う人は誰も居ない様になった
しかし考えてみるとたとえ生きていたとしても生活を共にした兄弟の記憶と言うものはまったくと言っていいほどいなかった
子供の頃の生活の記憶と言うものは単独では当然あるのだがそこに「誰かと共有している記憶」と言う事はまったく存在していない
尤も「記憶の共有」と言う様な概念が有るかどうかは解らないのだが「そう言えばそうだったね」と言える家族がいない、
家族だけではなく幼馴染の記憶も「共有した記憶」ではなく、「自分の記憶」でしかなく、友人との交流は存在せず自分の眼に映った画像や聞いていた風の音やトンビの声など自然の音声だけで友人の声は殆どと言っていいほど残っていない
だから「記憶の共有が無い」と言うのは育ちの境遇のせいではなく自分自身の性格から来るものなんだろう
生活の記憶と言うものが唐突に始まったのは36歳過ぎに今の女房と連れ子の子供達、義母との生活からでそこからは結構濃密に記憶の共有が有るのでやはりある程度は生活状況にはあるのかもしれないがそれにしても多分自分は薄情な性格なんだろう、
実は7人いる筈の兄弟も直ぐ上の姉に関しては生死が解らないのだ、3つ上の上の姉が一昨年亡くなった時も連絡する手立てもなくその死は知る事もない
しかし、向こうも探して連絡をくれるわけでもなく、数年一緒に生活をした事のある二人の甥も何の音沙汰もないのだからまあ同類なんだろう、我が家系は酷薄なのである、
娘に「葬式はいらない、骨は海にでも撒いてくれ」と言ったら「本当に面倒くさい親だ!」と言われたので納骨堂だけは買っておいたが、人の死後なんぞ残ったものの記憶が亡くなればそれで終わり、当の本人は何にもわかる訳もない、生きてることの方がずっと大変だ
紫陽花七色
赤くなるのは酸性度だったか、アルカリだったか


これはこれから
真っ白なのはアメリカ紫陽花と言うらしい
アナベルとは若干違う


ターニングポイント

2024-06-05 11:12:30 | 雑記
衆議院の解散をめぐり、岸田総理大臣は「今は政治改革などの課題に専念し、結果を出すこと以外は考えていない」と述べました。
今の国会の会期末まで3週間を切る中、朝日新聞は、岸田総理大臣が会期中の衆議院の解散を見送る方向で調整に入ったと報じました。

これについて岸田総理大臣は4日朝、総理大臣官邸に入る際「いままで変わらず申し上げているとおり、いまは政治改革をはじめ先送りできない課題に専念している。それらに結果を出すこと以外は考えていない」と述べました。

政治改革をはじめと言うがその政治改革が出来るわけのない政権だからこそ解散しろと言っている、尤もだからこそ解散できないのだが
改革案の度重なる修整案が全く今回の不祥事を真摯に受け止めていない、と言うより全く改革をする気が無い事はあまりに明確だ
自民党政権が長年貯めこんだ汚辱を自ら浄化する事に全く前向きでない事は目に見えている
絶対与党として今まで好き勝手にやって来たが告訴事件まで発展しているのにこれで強行採決ともなれば流石に国民も納得はしない、
何度修整してもこの不法所得は手放す気はあるまいがそれでは誰納得しない、内閣不信任も全議席の1/3必要だが単独過半数に近い状況ではそれも難しい、如何に政治に無関心だとは言え流石に今回は国民も御用マスコミも黙ってはいまい
国会を正常スケジュールに戻したいなら政治献金と政治パーティは禁止、
政治活動費は税務監査を含む決算報告書提出させる位の法律を成立させなければ我々は自民党政権を次の選挙まで耐える事は出来ない!

百合の季節

2024-06-04 14:00:28 | 雑記

雑草を綺麗にしたら小さくなっていた百合の花が顔を出した
テッポウユリの様だ、
此れもテッポウユリ、大学病院の前庭に群生して咲いてきた
これはユリスイゼンと言うらしい、花はテッポウユリより少し小ぶり
もう少ししたら故郷の山には一斉に山百合が割き始める
華やかで大きく黄色い花粉が服に付くと大変なことになるがよく採って飾った
個体によっては一木に数十の花をつけるものもある、
小学校課中学校の頃、未だ蕾が多く形の良い百合を取って町の花屋に持って行くといくらかで買ってくれた、昭和30年代の小遣い稼ぎは結構あった、
山百合は花が終えたら目印に竹を立てて置いて晩秋にその根を掘ってこれも町の八百屋に持って行く
山芋も夏の青々とした蔓を見つけ秋口にむかごをとり、根元を探してやはり竹を立てておく、
冬になって完全に蔓が枯れると越冬のために芋は十分に太ってくる、
これを折らない様に掘り出して竹に結び付けて藁をかけ、八百屋に持って行く
孟宗竹の枝は大きさを揃えて直径1m近い束にすると近くの竹屋に持って行くと竹箒の材料として買ってくれた
花をめでるようになったのは都会に出てから、今更ながら野生児だった、
すべては良い思い出、
”終わりよければすべてよし”と言うがそれじゃあ終わりがわるけりゃすべて悪しってことか?
いやいや、どう転んだって人生やり直しなんかできっこない
だったら人生思い出過去は「すべてよし」と思わにゃやってられない
まあ、一緒になったかみさんには気の毒ではあるが
何とか又ひと花咲かせるか、諦めたらそれで終わりだもんな

これはアマリリスと出たがちょっと知っているのと違うきがする。