狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

ワイドショーの気象情報を観る → 「なんだこれ?」 → 「あ、猥談なのか」

2024-06-24 16:56:56 | Weblog
今日は日本の大半が猛暑日のようだが、昼ごろワイドショーを目にする羽目になった。
おかしな点を二つ。 情報の扱われ方と、番組による提示の仕方。
まず、ひな壇芸人とでも呼ばれる人間が四、五人、もっとかも、いたが、これが無駄な存在。 ガヤガヤしているだけ。
次に情報。 首都圏の都市が暑い順に並べられているのは判るが、観測地点名と気温が大きく出ているだけ。 背景は関東のどこかだろう適当な風景。 地図出せよと。
番組側に情報を提示する資質がなく、視聴者もそれを求めていない。 結果ああなった。
首を傾げて考えてみて出た結論、「あれは猥談形式なのだ」。


宗教的な人間に猥談を嫌う人間が居たりする。 私はテレビの芸能人はゴミである、とすると同時に、感情的な宗教人もまたゴミであるとする。
猥談には駄目な(中傷に該当する)部分が多いが、そうした駄目な部分を識別出来ない人間も同様に価値がなく、それで偉そうにしているのなら害悪である。 善悪を識別できていないのに権力志向(暴力性)がある状態。 「善悪の識別が提示されているのなら良いのか」と問われれば「それは善を実現するための手段としてそれが選ばれた」とする。 選択が誤りであるという議論はあっても。 非暴力のみが善の実現であるとするのに私は同意しない。 善悪を説くこと自体はされる側にとっては強制であり、非暴力と称する事を「傲慢である」とする。


まあいい。 「良い猥談」とはどのようなものか。
経験上90年代後半のアニラジ、声優が進行役を務めるようなそれのまともな方を「扱われるネタが卑猥であっても問題のないものが多々あった」とする。 美人の話一般はOK。 特定の人間をブスとし、それに「同意を求める」事が悪。 迫害の線を超えている、数の暴力の担い手として同意を求めている。 特定の単語が悪いのではない。 拳や刃物や銃が悪いのではない。 害意の同意こそが悪。 そこが猥談の中の悪であり、そこに「拳や銃でなければ良い」とする者は悪人である。 またその識別を必要ないとし封殺しようとする人間も「拳ではない暴力」を振るいたいだけの人間。


さてワイドショーの天気ネタである。 彼らの行動様式は「悪意に同意を求める」に染まりきっている。 地図、地形図抜きに暑い順に並べるのも優劣を付け嘲る「彼らの普通」から来たものだろう。
彼らのそれにつき「悪いことを今現在行っていない」というのはある。 私は「それは月曜日だからだろう」とする。 休日をはさんで貶めネタとなるニュースが入ってきていないからそうなっているだけだと。 先週汚い事をしていて明日汚い事をするだろうと予想が付く人間たちを嫌っている。

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