☆ある一定のグレードの高さはあっても、シナリオ的な冒険の出来なかった純正ディズニーアニメに、ピクサーのジョン・ラセターが製作総指揮に加わり、面白さに広がりが出た傑作であった。
◇
本日の<ワーナーマイカル日の出>のモーニングショーの客は私一人だった。
ワゴンにポップコーンなどを積んで、可愛い女の子が販売に来た。
「貸しきり状態ですね^^」と気さくに話しかけてくる。
そのフレンドリーさに、俺は、ポケットに缶コーヒーを忍ばせていたのだが、ホットコーヒーを注文するのだった。
コーヒーを飲んだのは、やや眠気があったからだ。
が、孤独な鑑賞も、眠気も気にならず、夢中で観た。
◇
舞台はニューオリンズ。
主人公の黒人女性ティアナは、貧しい家庭の生まれであったが、美味しい料理で皆を喜ばせるために、自分の店を持つと言う目標にまい進し、星に願をかけ、日々、質素に暮らす娘であった。
そんな折、遠くの国から町に王子様が来訪する。
幼い頃から知り合いの富豪の娘シャーロットは、王子の歓迎仮装パーティーで見初められることを夢見て、めかし込む。
ティアナは、そのパーティーでは得意の料理を振舞っていた。
シャーロットは、王子と踊る。
が、その王子は、ブードゥー教の魔術師の暗躍で変身させられた偽者で、本物の王子は、カエルに変えられていた。
そのカエルとティアナは出会い、プリンセスのキスで王子の姿は元に戻ると言う童話の如く、ティアナはカエルにキスしてみるのだが、プリンセスでないティアナも、逆にカエルになってしまうのだった。
魔術師に追われ、かくして二匹のカエルは、人間の体を取り戻すための冒険に旅立つのだった。
◇
昔ながらのディズニーアニメの技法と、ピクサーの作劇が、手描きアニメに見事に融合していた。
例えば、ディズニーアニメとは思えない、上品な下品さがあった。
それは、カエルになった体の「ネバネバ」や「粘液」、
カエルになったときの虫への食欲と、その後の二人(二匹)の絡み合う舌・・・。
途中で仲間になるジャズ好きのワニのルイスは、わりとオーソドックスなディズニー的設定だが、もう一人の仲間、ホタルのレイは、かなり斬新なキャラクターで、いつも眠そうで不精な表情をしている。
それなのに、かつて、ティアナやシャーロットが願いをかけていた夜空に輝く星を、同じホタルの、憧れの恋人のように思っているロマンチストであり、二匹のカエルにとことん尽くす情の厚い人物像でもあった。
ネタバレになるが、レイは、クライマックスでは死んでしまう。
これって、明朗健全ステロタイプなディズニーアニメにはなかった展開だと思う。
最近の日本アニメなどは、敵を含めて男も女も全員が美形であり、私は、レイのような「味」で勝負するキャラクターに新鮮さを感じた。
レイの活躍などを彩るCG技術は、もう、ディズニー=ピクサーには、お手の物だろう。
また、スティーブン・ブシェーミみたいな顔した悪の魔術師の、その悪を強調するミュージカルシーンの色彩も斬新だ。
私が見たのは吹き替え版だったのだが、結構打算的に王子に近づくシャーロットの、その個性を象徴するようなハスキーボイスなども良かったし、
その現代的なちゃっかし具合と、すぐにティアナと王子の恋に共感してしまう素直さも良かった。
ティアナ自身も、皆を喜ばすためにレストランを経営したいという目標の虜になっており、王子との交流も、それが前提となっていると言う頑固さがある。
王子は、音楽好き・踊り好きの遊び人で、国王夫妻に勘当されている身だが、ティアナと知り合い、遊び人でいられない感情に戸惑っている。
そんな二人が、カエルの姿になり、シンプルな線ながらも、次第に感情をあらわにする過程が演出として見事だし、私は、それを見ながら直に感動した。
善き魔女の、その外見のぶっちゃけ具合など、いかにも、ラセターの、宮崎駿との交流の中で生まれた人物造型だろう。
ジャズに彩られた物語であり、レイが最終的には、恋人の星の伴星として夜空で輝いていることなど、粋を感じさせる物語であった。
(2010/03/18)
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本日の<ワーナーマイカル日の出>のモーニングショーの客は私一人だった。
ワゴンにポップコーンなどを積んで、可愛い女の子が販売に来た。
「貸しきり状態ですね^^」と気さくに話しかけてくる。
そのフレンドリーさに、俺は、ポケットに缶コーヒーを忍ばせていたのだが、ホットコーヒーを注文するのだった。
コーヒーを飲んだのは、やや眠気があったからだ。
が、孤独な鑑賞も、眠気も気にならず、夢中で観た。
◇
舞台はニューオリンズ。
主人公の黒人女性ティアナは、貧しい家庭の生まれであったが、美味しい料理で皆を喜ばせるために、自分の店を持つと言う目標にまい進し、星に願をかけ、日々、質素に暮らす娘であった。
そんな折、遠くの国から町に王子様が来訪する。
幼い頃から知り合いの富豪の娘シャーロットは、王子の歓迎仮装パーティーで見初められることを夢見て、めかし込む。
ティアナは、そのパーティーでは得意の料理を振舞っていた。
シャーロットは、王子と踊る。
が、その王子は、ブードゥー教の魔術師の暗躍で変身させられた偽者で、本物の王子は、カエルに変えられていた。
そのカエルとティアナは出会い、プリンセスのキスで王子の姿は元に戻ると言う童話の如く、ティアナはカエルにキスしてみるのだが、プリンセスでないティアナも、逆にカエルになってしまうのだった。
魔術師に追われ、かくして二匹のカエルは、人間の体を取り戻すための冒険に旅立つのだった。
◇
昔ながらのディズニーアニメの技法と、ピクサーの作劇が、手描きアニメに見事に融合していた。
例えば、ディズニーアニメとは思えない、上品な下品さがあった。
それは、カエルになった体の「ネバネバ」や「粘液」、
カエルになったときの虫への食欲と、その後の二人(二匹)の絡み合う舌・・・。
途中で仲間になるジャズ好きのワニのルイスは、わりとオーソドックスなディズニー的設定だが、もう一人の仲間、ホタルのレイは、かなり斬新なキャラクターで、いつも眠そうで不精な表情をしている。
それなのに、かつて、ティアナやシャーロットが願いをかけていた夜空に輝く星を、同じホタルの、憧れの恋人のように思っているロマンチストであり、二匹のカエルにとことん尽くす情の厚い人物像でもあった。
ネタバレになるが、レイは、クライマックスでは死んでしまう。
これって、明朗健全ステロタイプなディズニーアニメにはなかった展開だと思う。
最近の日本アニメなどは、敵を含めて男も女も全員が美形であり、私は、レイのような「味」で勝負するキャラクターに新鮮さを感じた。
レイの活躍などを彩るCG技術は、もう、ディズニー=ピクサーには、お手の物だろう。
また、スティーブン・ブシェーミみたいな顔した悪の魔術師の、その悪を強調するミュージカルシーンの色彩も斬新だ。
私が見たのは吹き替え版だったのだが、結構打算的に王子に近づくシャーロットの、その個性を象徴するようなハスキーボイスなども良かったし、
その現代的なちゃっかし具合と、すぐにティアナと王子の恋に共感してしまう素直さも良かった。
ティアナ自身も、皆を喜ばすためにレストランを経営したいという目標の虜になっており、王子との交流も、それが前提となっていると言う頑固さがある。
王子は、音楽好き・踊り好きの遊び人で、国王夫妻に勘当されている身だが、ティアナと知り合い、遊び人でいられない感情に戸惑っている。
そんな二人が、カエルの姿になり、シンプルな線ながらも、次第に感情をあらわにする過程が演出として見事だし、私は、それを見ながら直に感動した。
善き魔女の、その外見のぶっちゃけ具合など、いかにも、ラセターの、宮崎駿との交流の中で生まれた人物造型だろう。
ジャズに彩られた物語であり、レイが最終的には、恋人の星の伴星として夜空で輝いていることなど、粋を感じさせる物語であった。
(2010/03/18)