太古の昔話、「舌切り雀」や「笠地蔵」、「かちかち山」、「かぐや姫」や「桃太郎」は子のいない老夫婦単独世帯、加えて 一人暮らしの老人の話も少なくない。家族ともども和気藹々といった展開の話題はほとんどない。
昔話の老人は貧乏で、いつもあくせく働いている。
更に、昔話の老人は、もし子や孫がいても、「姥捨て説話」に代表されるように、「冷遇」を受けていることが多い。
要するに昔話の老人の地位はとても低かった。
にもかかわらず、 彼らは、物語の「主役」となっている。しかも、ほとんどがハッピーエンドである。
昔の人、少なくとも古典文学に描かれた1700年もの昔の平均寿命は30歳程度であっただろうが、無事に成人を迎えた者は長生きで70歳以上の長寿者も少なくなかった。
その時代、その長命者が問題であった。健康で働けるうちはなんとか生きられたが、一度健康を害すると世話されることなく一気にどん底に落ち、野垂れ死してしまう。死体も埋葬されることもなく放置されていた。
昔話の老人の特徴は「貧しさ」と「孤独」にあった。
そういう時代では、現世はどんなに努力しても状況が改善することは期待できず、来世には幸せになれるだろうという期待しながら生きるという状態であった。
そういう中では現世では「思いがけないきっかけで一気に幸せになれたら・・・」という夢と共に生きるしかなかった。現代で言えば、高額の宝くじの一等に当るという夢のようなものである。
一枚のふんどしによって富を得たり、枯れ木に灰を振りかけたら花が咲き殿様から巨額の褒美をもらう・・・、これらは全て庶民の夢、幻想であったのだ。
昔話の多くは不衛生、不潔、寒さと飢え、物乞いと餓死、エログロ、残虐行為・・なども伝えている。多くは明治時代にこれらは削ぎ落とされ、子供の教育用にハッピーエンドになるように改変されていた。
これらの原典をに触れると「現代に生まれて良かった」、とつくづく思う。
それでも現代の老人はいろいろ問題を抱えているものだ。
いや、老人だけではない。どんな年代のヒトも、どんな時代であっても、生きるには常に困難が伴うものだ、と思う。
敬老の日を機会にいろいろ考えた。
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