「いじめ」が成立するためには、(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素に加えて、(4)被害者が簡単に逃れられない環境、が必要である。
「いじめ」は何も特別な現象ではない。人間集団が存在するところでは普遍的な現象として発生する。「いじめ」は、学校の生徒たちだけの問題ではない。昔から今まで、ありとあらゆる社会て、ヒトはこのはらわたがねじれるような現象に苦しんできた。
基本的には「いじめ」は特別な現象でもなく、普遍的現象であることをまず認め、重大な結果を招かないように教育、指導、対策を講じなくてはなければならない。
逃げることができない、出口なしの集団の世界は、恐怖である。
そこには差別、序列関係や仲間意識も生じ、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒し、硬直し、つねに相手の顔色をうかがっていなければならない。
「いじめ」のうち、学校の「いじめ」は成長期の多感な少年少女期に生じ、かつ学校社会という半閉鎖社会で、教育者という特別な資質や考え方を持つ指導者に囲まれ、教師自身もバッチリ管理され自由度が少なくなっているし、さらに自由度の少ない校長、副校長らに囲まれている。学校の背景にはさらに問題のある教育委員会が存在し、文科省も十分な指導性を発揮できない。
日本の義務教育の中で学校の占める位置はとても大きい。「いじめ」の被害者が簡単に逃れられない構造になっている。
こんな環境の中で「いじめ」が頻発している。だから、学校の「いじめ」にはやはり特別な位置を与えなければならない。
学校社会の特別さ、とは何だろうか。その特別な環境について考え、「なぜいじめが起こるのか」について考察したい。
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