患者本人が「自らの意思」で延命治療を受けずに、自然な最期を迎えることを一般的には「尊厳死」という。私自身は尊厳という言葉が嫌いなので「自然死」と称している。
何で「尊厳」という言葉が嫌いか、というと意味することがあまりにも素晴らしく厳かであるから、私にとっては近寄り難い言葉である。
尊厳とは国語辞典には「尊く厳かなこと。気高く犯しがたいこと。また、そのさま」とある。よく分からないがなんか素晴らしいことのように思う。私は「尊厳」という言葉を聞くだけでも気恥ずかしさを感じる。「基本的な人権」で代用できる。
尊厳については明快な定義はないようであるが、日本国憲法において「個人の尊厳」がうたわれている。また国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約にも記載されている。
果たして、私にも尊厳があるのか??甚だ疑問である。
私は自分自身に「尊厳」と言われるような「厳かさ」があるとは思っていない。「基本的な人権」はあると思うのだが・・・。
医療の世界では「尊厳」という言葉はあまり使われることはないが、看護・介護の分野では「尊厳」という言葉が頻繁に出てくる。あまりにも軽い使われようだ、と思う。それだけ尊厳が失われやすい業務だから、と私は思う。
介護関係の某教科書には、「介護において重要視されるべきは、利用者の人間としての尊厳です。人間の尊厳とは個人が生きている存在として生命・生活が尊重される価値のあるものです。すべての人が持つ人として生きる権利」ともいえます。
日本憲法の第13条では「すべて国民は、個人として尊重される。」と、個人の尊厳に対する最大の尊重が必要であることが規定されています。日本の最高法規で権利が守られることからもわかるように、その人らしい生き方や生活をするための最も基本的で侵し難い権利なのです・・・・」、とある。実に立派だと思う。
人間の尊厳は生涯において重要である。
だが、国だって一人一人の国民に尊厳を意識した政策をしていない。政治の中では主権があるべき国民は「反尊厳的」扱いを受けている。
また、尊厳を感させるような人は居ない・・・私はまだ会ったことはない・・・のに何で「患者の死に際にだけ突然尊厳が強調されなければならない」のか?私は疑問に思う。私は死を迎えようとしている患者に「尊厳」を感じることはない。
最近、「尊厳死」がやたらに強調されてきている。ネコも杓子も「尊厳死」である。
人の死に関わる微妙な問題なので簡単に結論は出ないと思う。死生観が変わりつつある日本でも、「尊厳死」を法的に認めるという国民的な合意は得られにくいと思う。