福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

無知、無智の効

2011年06月29日 18時32分16秒 | コラム、エッセイ
 数日後に県の長寿社会振興財団の行事の一つである「LL大学園」の開校式記念講演を私が担当することになった。今準備中である。

 その中で高齢者の処世の一方法として、出来るだけ孤独に陥らないように常に社会との接点を持つことの重要性についても語る。その際、コツとして「高齢になったら、口を慎み、阿呆のまねが無難。昔のことはみな忘れ、自慢話はしなさんな・・」というどなたかの言葉を自分なりに解釈して紹介する。また、もう一つ、日本人は世界で最も安全で長命な国に住んでいながら国民の大部分が「健康追求病」に罹患しているということも話す積もりである。

 これらは私が集めていたスクラップの中で「無知」に関連した項にあった次の2枚がヒントになっている。

 一枚はスペインの小説家グラシャン(1601-1658)の「無知であると思わせるのは、時として最大の英知である」という言葉である。
 私どもは、自分より身分的にも知的にもあるいは財力の面でも優れている、と思っている人の前では、形式や建前論を尊重した会話に終始し、本音を言わない傾向がある。こんな中からは良い人間関係など形成されない。それに対し、そのような緊張感を持たなくても良いような関係の人の前では、不要な緊張感がなく、しばしば本音で会話できることがある。そのような環境の中でこそ、人情の機微や、思いがけないような情報も得られることがある。幼なじみなどはこのような関係に近い。高齢者の人付き合いは年齢も大幅に異なり、現役時代のキャリアも異なることからとても難しいと思う。特に男性はすぐに相手のマイナス面のみを評価してしまう傾向にあり、新しい仲間とはなかなかうち解けないようだし、長続きしないようである。特にプライドを傷つけられることを最も嫌がるようである。

 もう一枚。吉川英治著「宮本武蔵」の一節、「無智はいつでも有智よりも優越する」というのもあった。
 吉川はあえて無智、有智という言葉を用いたのであろうが、その辺は意味深である。知恵があるということはむしろ迷いや悩み、恐れの原因にもなり得ると言うことである。知恵があるとどうしても利口に立ち回ろうとする。そこから新たな歪みが生じてくる。人間である限り無智よりは有智が良いということにはなるのだろうが、有智にもそれなりの欠点がある。健康に関して言えば、多くの方々はTVや新聞、健康雑誌等から健康に関する知識を得ているが、それを理解する基礎的な知識に欠けるために正当な評価が出来ない。そのことがむしろ不安の因になっている。有智がマイナス面に働く一例である。謙虚さ、純粋さ素直な気持ちを持ち続けること有智か否かとは別問題である。そのような方々が持つ人間力はこざかしい知恵を大きく凌駕する魅力がある。

 もう一枚、「無知な友ほど危険なものはない。賢い敵の方がずっとましだ」というフランスの詩人ラ・フォンテーヌ(1621-1691)の言葉も見つかった。
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