銅版画制作の日々

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剱岳・点の記

2009-06-27 | 映画:シネコン


これは撮影ではない。“行”である。木村監督が称した。何かその意味が分かる気がした。

記憶が薄れない間に書こうと思いました。「トランスフォーマー・リベンジ」は爆睡のため、本当にリベンジしなければならなくなりました。なのでこの映画のレビュー、感想等を先に書きます。
実は私も10年近く前まで登山をしていました。剱岳は残念ながら、登っていませんが、槍岳、奥穂高岳、北岳、御岳山・・・・。3000メートルの山々、そして深田久弥が100名山と称した山など、おそらく20以上の山に出かけたと思います。なので今回本作はどうしても観たいなあと思っていました。

絶景はやはり自分の目で確かめることをお薦めします。スクリーンでは実感できない醍醐味があるからです。とはいっても軽々と行って下さいとも言える話ではありません。リスクのあることですから。

監督が言われるように“行”という言葉は本当にそうだと思います。スタジオでの撮影もあったそうですが、剱岳でのローケションを200日にもわたって行われたことに驚きでした。でもそうしないとその場の雰囲気は出せないでしょうね。木村監督の思いれが手に取るように感じられました。

現在はルートも整備されて、登山する人たちにとっても登りやすくなった剱岳ですが、山を知るものにはやはり難度の高い山の一つです。おそらく訓練しないと駄目だと思います。専門のツアーでも事前に訓練があるはずです。

このお話はまだ剱岳に登頂するルートはもちろんのこと、地図もなく、道を作らなければならかった時代。

時は、1906年(明治39年)、陸軍は国防のため日本地図の完成を急いでいた。そのために参謀本部陸地測量部測量手である柴崎芳太郎浅野忠信 )は最後の空白地点を埋めるため「陸軍の威信にかけて剱岳の初登頂と測量を果たせ」という命令を受ける。
立山連峰に屹立する剱岳はその険しさを前に、多くの優秀な測量部員も太刀打ちできず、未踏のままだった。また創設間もない日本山岳会も、海外から最新の登山道具を取り寄せ、登頂を計画していることもあって、「山岳会に負けてはならぬ」という厳命も受ける。

前任の測量手、古田盛作(役所広司 )を訪ねた柴崎はあらためて剱岳の恐ろしさを知るが、アドバイスとともに、山案内人宇治長次郎香川照之 )を紹介される。


新妻葉津よ(宮崎あおい )の励ましを受けて富山に向かった柴崎は、宇治と合流、調査のために山に入った。


香川照之、今回も味のある役どころでした。浅野忠信、いいですね。こっそりファンなのでした(笑)

その際謎めいた行者の言葉「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」以外、登頂の手掛かりすら掴めず帰京することに。
そして翌1907年、測量本番の登山が始まる。柴崎、宇治に測量夫の生田信松田龍平 )らを加えた総勢7人で、池ノ平山・雄山、奥大日岳、剱御前、別山等周辺の山々の頂に三角点を設置し、いよいよ剱岳に挑む。

ところが剱岳山頂までの道のりは想像を絶するものだった。ガレキだらけの切り立った尾根、雪崩や暴風雨など困難に続く困難。


地上では春でも山の上は冬同然です。


季節はずれの大雪に見舞われる。


道なき道は切り立った絶壁だ。
頂上までの登頂路すら見つけられず・・・・・。
そそり立つ頂を毎日仰ぎ見るばかり(苦)

重さ100Kg超の三角点用の石柱と測量器具を担ぎ、粗末な装備で挑むにはあまりにも絶望的状況。

宇治の卓越した山に対する勘をも疑うなど、柴崎は焦り始めていた。
はやる生田は南壁を登ろうとするが、足を滑らせ転落↓軽い怪我で済んだものの打ちひしがれる7人。

自分たちは本当に剱岳に登り切ることができるのか?命を危険にさらしてまで、測量する意味があるのか?そんな迷いが柴崎の胸中をよぎる。

一方、日本山岳会、小島烏水仲村トオル )らも剱岳に挑んでいたが、測量隊同様、容易には進めない状況だった。

山の尾根でひたすら三角点作りに邁進する柴崎たちを見て、小島たちは自分たちとは違う仕事に対する考え方を思い知る。
我々は登るのが目的だが、貴方たちは登ってからが仕事だ。

立山温泉で治療を行っていた生田は各人のをたずさえ再び測量隊に合流する。
それぞれが大切な人に思いをはせる中、柴崎には古田からの手紙が来ていた。


「人がどう評価しようとも、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大事だと思います」

今一度、皆に仲間の結束を訴える柴崎。そびえる頂を見て何度目かの挑戦をする。
柴崎と宇治は、行者の言葉にヒントを見出す。

一歩ずつ進む柴崎たちは無事に頂上に到達して、地図作りの任務をおえることが出来るのか・・・・?

今は気軽に登山が出来る時代となった。彼のおかげで道も作られた。感謝ですね。

 
撮影風景です。いやあ半端じゃあないよね。カメラ機材を運ぶだけでも容易じゃないです。

悪天候の中で撮影しながら12時間かけてスタッフが歩き続けたり、行者が祈りを捧げるシーンも周りに隠れるところもな吹きっさらし。寒さの中2時間の撮影だった。

キャスト・スタッフ、皆さん、苛酷な状況の中で大変。

実体験だからこそ、ここまでの素晴らしい作品が完成したのだと思いました。登山するだけでもかなりの精神力、持久力がいるのに。撮影する。演じるという行為をやるとはまさに究極の映画です。

 

監督木村大作  

山岳測量シーンは、「これは撮影ではなく苦行である」「厳しい中にしか美しさはない」を基本方針とし、登場人物の目線や感覚を大切にするため、空撮CG処理に頼らず、多賀谷治をはじめとする立山ガイド協会会員の支援のもと、体感温度が氷点下40度にも達する立山連峰や剱岳で山小屋やテントに泊まりこみながら、明治の測量官が登った山に実際に登って当時の足跡を再現するなど、長期間をかけ丁寧に撮影を行った。

プレロケでは監督とスタッフが立山ガイドの支援を受け、ロングショット撮影を主とする実景撮影を実施した。

原作:新田次郎 『劔岳 点の記』(文春文庫刊)

メディア 映画
上映時間 139分
製作国 日本
公開情報 劇場公開(東映)
初公開年月 2009/06/20
ジャンル ドラマ
誰かが行かねば、
道はできない。
オフィシャル・サイト
http://www.tsurugidake.jp/


 

 

 

 

Comments (7)
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