毎朝、朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」を見ています。
暮しの手帖社の前身、衣装研究所を創業した大橋鎮子さんをモデルにしたドラマです。
その暮しの手帖は、私が子供の頃、我が家でも購読していました。
母が読んでいたのですが、写真や絵がたくさん織り込まれていましたので
子供の私も楽しむことができました。
そんな私の記憶に残っているのは、童話(?)と影絵のページがあったことです。
影絵には、とんがり帽子をかぶった、大きな目のお人形がたくさん出てくるのですが、
幼かった私には、そのお人形の顔が黒いこともあって、怖く感じられました。
それでも、大きな木の枝に何人ものお人形がいて、
バイオリンを奏でたり、フルートを吹いたりしていましたし、
ロバや猫などの動物も出てきていました。
遊園地の乗り物もたくさんありましたし、奥行きや広さを感じる景色も楽しめて、
とにかく夢が広がる影絵だったことが思い出されます。
今回「とと姉ちゃん」を見ながらも、
私は、ドラマから少し離れた、昔の記憶の中に入り込んでしまうことが度々あるのです。
こんなことでもなければ、もう思い返すこともなかった昔のことだけに、
懐かしさに、ちょっと嬉しい気持ちがしています。
まもなく、私が生まれ育った年代に入ってきます。
ドラマの展開だけでなく、時代考証なども楽しみにしています。
そう言えば、数年前、山梨県甲府市にあります昇仙峡に行った時、
『影絵の森美術館』という所がありました。
『世界的 影絵の巨匠』藤城清治氏が自ら監修・設計した、世界で最初の影絵美術館なのですが、
この人こそ、幼かった私の記憶にある暮しの手帖の影絵の作者です。
1978年11月から1986年1月までの47枚の暮しの手帖の表紙絵は、
藤城清治氏が手掛けられたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/f5/54505e685fbb6a6aa96df6a71b247489.jpg)
暮しの手帖社の前身、衣装研究所を創業した大橋鎮子さんをモデルにしたドラマです。
その暮しの手帖は、私が子供の頃、我が家でも購読していました。
母が読んでいたのですが、写真や絵がたくさん織り込まれていましたので
子供の私も楽しむことができました。
そんな私の記憶に残っているのは、童話(?)と影絵のページがあったことです。
影絵には、とんがり帽子をかぶった、大きな目のお人形がたくさん出てくるのですが、
幼かった私には、そのお人形の顔が黒いこともあって、怖く感じられました。
それでも、大きな木の枝に何人ものお人形がいて、
バイオリンを奏でたり、フルートを吹いたりしていましたし、
ロバや猫などの動物も出てきていました。
遊園地の乗り物もたくさんありましたし、奥行きや広さを感じる景色も楽しめて、
とにかく夢が広がる影絵だったことが思い出されます。
今回「とと姉ちゃん」を見ながらも、
私は、ドラマから少し離れた、昔の記憶の中に入り込んでしまうことが度々あるのです。
こんなことでもなければ、もう思い返すこともなかった昔のことだけに、
懐かしさに、ちょっと嬉しい気持ちがしています。
まもなく、私が生まれ育った年代に入ってきます。
ドラマの展開だけでなく、時代考証なども楽しみにしています。
そう言えば、数年前、山梨県甲府市にあります昇仙峡に行った時、
『影絵の森美術館』という所がありました。
『世界的 影絵の巨匠』藤城清治氏が自ら監修・設計した、世界で最初の影絵美術館なのですが、
この人こそ、幼かった私の記憶にある暮しの手帖の影絵の作者です。
1978年11月から1986年1月までの47枚の暮しの手帖の表紙絵は、
藤城清治氏が手掛けられたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/f5/54505e685fbb6a6aa96df6a71b247489.jpg)
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