ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「安倍首相の言い分は全く逆。集団的自衛権は誰も救えず守れないばかりか、かえって危険」by中村医師

2014年05月16日 | 日本とわたし


自衛隊来るほうが危険

アフガンで人道支援
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ペシャワール会 中村哲氏


アフガニスタンで医療活動や灌漑水利事業などの、人道支援を30年間続けている非政府組織『ペシャワール会』(事務局・福岡市)の、現地代表中村哲氏(67)=写真=は15日、
西日本新聞の電話取材に応じ、集団的自衛権が行使された場合、安倍晋三首相の主張とは逆に、
海外で、邦人が、危険に巻き込まれる可能性が高まることを指摘。
憲法9条の存在が、国際社会での日本の立場を高めていることを強調した。
(聞き手・上野洋光)

アフガニスタン人にとって、日本は、軍事行動に消極的な国だと思われています。
一言で言うと、敵意のない国
これは、自衛隊の行動を縛ってきた、憲法9条の威力です。

アフガニスタン人も、日本には、他国の戦争に加担しないという『掟』があることを知っています。

アフガニスタンで活動する中で、米軍のヘリコプターに撃たれそうになったり、米軍に対する反政府側の攻撃に巻き込まれそうになったりしたことはありますが、
日本人だから、という理由で標的にされたことはありません。
この『掟』があるからです。


今、活動拠点のアフガニスタン東部のジャララバードには、私以外、外国人はいません。
大勢いた欧米の人は、逃げ出しました。
米同時多発テロの後、米国を中心とする多国籍軍が、集団的自衛権を行使し、軍服を着た人々がやって来てから、
軍事行動に対する報復が激しくなり、国内の治安は過去最悪の状況
です。

アフガニスタン人は、多くの命を奪った米国を憎んでいます。
日本が米国に加担することになれば、私はここで、命を失いかねません。
安倍首相は記者会見で、
「(現状では)海外で活動するボランティアが襲われても、自衛隊は彼らを救うことはできない」と言ったそうですが、全く逆です。
命を守るどころか、かえって危険です。
私は逃げます。

9条は、数百万人の日本人が血を流し、犠牲になって得た、大いなる日本の遺産です。
大切にしないと、亡くなった人たちが浮かばれません
9条に守られていたからこそ、私たちの活動も続けてこられたのです。
私たちは、冷静に、考え直さなければなりません。

「9条があるから、海外ではこれまで、絶対に銃を撃たなかった日本。それが本当の日本の強味」中村医師

2014年05月16日 | 日本とわたし
以下は、アフガニスタンで、水源確保事業など、現地での支援活動を続ける中村医師の言葉です。
どうか、時間を見つけて読んでください!

9条があるから、海外では、これまで絶対に、銃を撃たなかった日本。
それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。

具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。
危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさを、つくづく感じるんです。
日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。
だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感を持たれている。
これを、
外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。


2008年の4月30日に掲載されたマガジン9の記事を紹介させていただきます。
ですから、中村氏の言葉は、同じ年の夏に、『ペシャワール会』のスタッフであられた伊藤さんが、拉致され、殺害されるという非常に痛ましい事件が起こる前のものです。


↓以下、転載はじめ

中村哲さんに聞いた
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アフガニスタンという国で、
9条をバックボーンに活動を続けてきた

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久しぶりに帰国された、医師の中村哲さんにお会いしました。
もちろん、みなさんご存知のように、中村さんは「ペシャワール会」の代表として、
パキスタン、アフガニスタンで、さまざまな活動に携わっておられます。  
その中村さんに、現地での活動状況と、特に憲法9条との関連について、お伺いしました。



写真:細谷忠彦

なかむら・てつ
1946年福岡市生まれ。
九州大学医学部卒。NGO「ペシャワール会」現地代表、PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。
専門は神経内科(現地では内科・外科もこなす)。
国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都のペシャワールに赴任。
ハンセン病を中心とした、アフガン難民の診療に携わったのをきっかけに、井戸・水路工事による水源確保事業など現地での支援活動を続ける。
著書に『医者、用水路を拓く--アフガンの大地から世界の虚構に挑む』(石風社)『アフガニスタンで考える--国際貢献と憲法九条』(岩波ブックレット)など。



アフガニスタンの人々の『生活』を取り戻すために

編集部:
中村さんがお書きになった本や、インタビューなどを読ませていただきました。
その中でも、最近出版された『医者、用水路を拓く』(石風社刊)は、ほんとうに面白い本でした。




『医者、用水路を拓く』(石風社刊)
1,890円(税込)
※アマゾンにリンクしています。



中村:
そうですか、ありがとうございます。
そう言っていただけると、とても嬉しいです。
あの本は、土木工事のかなり専門的なことを重点に書いたもので、一般の方が読んで面白いのかな、と、少し心配していたんです。


編集部:
いえいえ、いい喩えにはならないかもしれませんが、まるでハードボイルド小説を読んでいるみたいにスリリングで。

中村:
それはとても嬉しいです。
“面白い”と言われるのが、何よりの励みになりますね。


編集部:
船戸与一さんの小説みたいでしたよ。
まあ、船戸ハードボイルドには、癖のある悪人ばかりが登場しますが、この『医者、用水路を拓く』には、悪人がほとんど出てこない。
とても読後感の爽やかなハードボイルド……(笑)。
いや、中身はほんとうにハードですけれど。

中村:
そうですか、そういう読まれ方もあるんですね。
なにはともあれ、面白く読んでいただけたのは、とても嬉しいことです。


編集部:
この本では、「ペシャワール会」(編集部注・中村医師のパキスタンやアフガニスタンでの活動を支えるために、1983年に作られた組織。パキスタンのペシャワールにちなんで名付けられた)が行っている、用水路建設について詳しく触れておられますね。
現在ではむしろ、医療よりも水源確保に、より多くの力を注いでいる、という印象を受けますが。

中村:
そうですね、現在は、アフガニスタンでの灌漑事業に、主力を注いでいますので、毎日が土木作業です。
ほとんど用水路建設にかかりきりで、野外での作業ばかりなんですよ。
それで、ごらんのように真っ黒です。
ナニ人か分からない、なんてしょっちゅう言われますね。
この用水路建設事業は、僕が言い出しっぺなので、仕方なしに土木技師をやっているわけです。


編集部:
医療よりも用水路建設が優先、ということですか。
アフガニスタンは、現在、それほど水源が枯渇している状況にあるのですか。

中村:
そうです。
2000年から始まったアフガニスタンの大干ばつは、凄まじいものでした。
アフガンの人々の生活を、根底から突き崩してしまったといってもいいと思います。
我々ペシャワール会は、彼らの元の生活を、まず取り戻すことが、なによりも先決ではないかと考えたわけです。




まず「生き延びる」ための支援を

編集部:
日本政府はよく、国際貢献と言いますが、どうもそれがズレている感じがします。
中村さんたちがなさっているような事業に、もっとお金を出すべきじゃないか、なんて単純に思ってしまいますけど。

中村:
端的に言えば、人々が生存するための、生きていくための事業に対する支援
これがなんと言っても第一だと思いますけどね。
我々は、日本政府からは、一円の援助も受けていませんが、
どうも、日本政府の援助の仕方は、あまり、そういう生存への援助にはなっていないんじゃないか、と思いますね。
いや、日本政府に限ったことじゃなく、アメリカやほかの国際組織のやり方にも、僕は違和感を覚えることが多いんです。


編集部:
生存への援助になっていない?

中村:
そう。
例えば、欧米の団体などでは、男女平等を訴えるグループもあれば、情報網の完備だとか言って、通信網やネットの整備に力を注ぐ人たちもいます。
いまや、首都カーブルの一角には、インターネットカフェなんかまでできています。
 
もちろん、それが悪いとは言いませんが、そんなことよりももっと以前に、
まずみんなが生きていかなくちゃ、ということが、不思議なくらい話題にならない

どうしても、政治的な動きだけが伝えられて、それにしたがって、僕に言わせれば無駄なところへ援助資金が投下されている、そんなふうに見えるんです。
完全に、情報操作としか言いようがないですよ。
まず、生き延びることが、いちばん大切なはずでしょ?


編集部:
援助すべきところが違うんじゃないか、と。

中村:
例えば、アフガンの大干ばつにしても、それを防ぐために何をすべきか、というところをよく考えて、援助の方向を決める。
それは、みんなが納得することなんですね。
アフガンでは、ほんとうに生きていけない人たちが増大している
なにしろ、2500万人の人口のうち、1200万人がこの干ばつで被害を受け、500万人が飢餓線上、100万人が餓死寸前という状況にあるのがアフガニスタンですよ。
そこへ、男女平等だとか情報網の整備だとか言っても、それがどうだと言うんですか


編集部:
まず、命を、ですね。

中村:
アフガンに限って言いますと、生き延びることに対する支援でしょうね。
単に学校教育――自分の国の教育もきちんとできていないのに、よその国の教育がどうのこうの言ったって仕方ない。
まず、生きられるようにしてあげる協力ですよ。
これには、誰もが納得するんじゃないでしょうかね。


編集部:
それが、中村さんたちペシャワール会が目指したことなんですね。

中村:
そうです。
大干ばつの後、我々の診療所にやってくる患者は、子どもたちがほんとうに多かった
その背景には、栄養失調と水不足があるんです。
それが、子どもたちを直撃したんですよ。
水不足で農業ができなくなり、村そのものが消えてしまったところも珍しくない
それが、アフガン全土で起こった現実です。
うちのダラエルヌールの診療所の近所でも、一時、2軒を残して、完全に無人化したこともあったほどです。
全部、難民化したんですよ。


編集部:
それで、水資源確保のために、井戸掘りを始められたわけですね。

中村:
そうですね。
井戸掘りを始めたのが、2000年の7月でした。
それは、すでに1670本になりました
そのおかげで、40万人以上が村を離れずにすんだんです。


編集部:
それがさらに、用水路の建設へと発展していった…。

中村:
もちろん、診療をやめたわけではありませんが、ある意味、医療だけでは限界があると感じたんです。
水がなければ農業が続けられない
日々の糧を得ることができないんですから、生きて行きようがない
それに、きれいな水がなければ、伝染病などが蔓延するのを防ぐことだってできない
だから、我々の現在の仕事は、用水路の建設と医療の2本立てなんです。




数字だけを見ることには、何の意味もない

編集部:
用水路建設の進み具合はいかがですか。
そうとうの難工事の連続だったようですが

中村:
2003年3月から始めて、現在まで、16.5キロを完成させています。
これで、合計5000ヘクタール弱の農地を、潤せる計算になります。
漠然としたことしかいえませんが、この用水路1本で、数十万人が食えることになるのは確実です。


編集部:
ここまで来るには大変だったでしょうね。

中村:
ほんとうに、最初は手探り状態。
その中で、日本各地の取水方式が、とても参考になりました
日本方式と言っても、江戸時代や戦国時代の技術を、アフガンで再生しているんです。
ほとんど機械が使えないような状況の中では、こんな日本古来の人力に頼った技術が、思わぬ効果を発揮するんですね。


編集部:
そういう活動を、ほかの団体が、なぜもっと行わないんでしょうか

中村:
たとえば、国連の機関なんかも、すべてを数字で置き換えてしまうんですね。
ソ連軍の侵攻と撤退と、それに伴う内戦や大混乱、さらにはその後の大干ばつなどで、故郷を捨てざるを得なかった難民が大発生しました。
それに対し、国連などが、“帰還事業”を行い、「200万人のうち、130万人を1年間で帰した」なんて発表するんですよ。
そうすると、ほんとうは、難民は70万人しか残っていないはずじゃないですか
ところが実際は、300万人の難民が、現実に存在している
 
僕らは言うんです。「むしろ、難民は増えている」と。
復興帰還プロジェクトなんて、帰って、そこで人々が生活できる基盤を作らないと、成立しないんだ」と、
僕らが盛んに言うもんだから、それで反感を買ってしまう、という面もあるんでしょうね。
国際機関は、とにかく数字を示して、自分たちの活動の成果を誇示しようとします
そうすることが、次期の予算やなんかにも影響してきますからね。


編集部:
スタンスが違うわけですね。
お聞きしていると、まず、どんな事業に資金や援助をつぎ込むかを、もっと見極めなくては、という気がしますね。
優先順位を、きちんとつけて、重要なところから始めていく。

中村:
そうです。
まず生きることです。
あとは、はっきり言って、タリバンが天下を取ろうが反タリバン政権になろうが、それはアフガンの内政問題なんですね。
そのスタンスさえ崩さなければ、我々を攻撃する連中なんかいませんよ。
それどころか、政府、反政府どちらの勢力も、我々を守ってくれるわけです。




「平和国家」日本に期待されていること

編集部:
現地では、NGOとか国際機関なんかが、襲撃されるということは、かなりあるんですか?

中村:
何回も、見聞きしたことはありますよ。
でも、我々ペシャワール会が襲われたことは、一度もありません


編集部:
それだけ、ペシャワール会の活動が、現地の方々に浸透しているということでしょうか。

中村:
そうですね。
アフガンの人たちは、親日感情がとても強いですしね。
それに、我々は宗教というものを、大切にしてきましたから。

編集部:
宗教とは、やはりイスラム教…。

中村:
おおむね、狙われたのは、イスラム教というものに無理解な活動、例えば、女性の権利を主張するための女性平等プログラムだとか。
現地でそんなことをすると、まず女性が嫌がるんです。
キリスト教の宣教でやっているんじゃないか、と思われたりして。


編集部:
宗教的対立感情みたいなものですか?

中村:
いや、対立感情は、むしろ援助する側が持っているような気がしますね。
優越感を持っているわけですよ。
ああいう遅れた宗教、遅れた習慣を是正してやろうという、僕から言わせれば思い上がり、もっときつくいえば、“帝国主義的”ですけどね。
そういうところの団体が、かなり襲撃されています。
民主主義を波及させるという、お題目は正しいんでしょうけれど、やっていることは、ソ連がアフガン侵攻時に唱えていたことと五十歩百歩ですよ。


編集部:
ペシャワール会は、そういうことからは無縁であったということですね。

中村:
そうです。
それに僕はやっぱり、日本の憲法、ことに憲法9条というものの存在も大きい、と思っています。


編集部:
憲法9条、ですか

中村:
ええ、9条です
昨年、アフガニスタンの外務大臣が、日本を訪問しましたね。
そのとき、彼が、平和憲法に触れた発言をしていました
アフガンの人たちみんなが、平和憲法や、とりわけ9条について、知っているわけではありません。
でも、外相は、
日本にはそういう憲法がある。
だから、アフガニスタンとしては、日本に軍事活動を期待しているわけではない。
日本は、民生分野で、平和的な活動を通じて、我々のために素晴らしい活動をしてくれると信じている

というようなことを語っていたんですね。


編集部:
平和国家日本、ですね。

中村:
ある意味、「美しき誤解」かもしれませんが、そういうふうに、日本の平和的なイメージが非常な好印象を、アフガンの人たちに与えていることは事実です。
日本人だけは、別格なんですよ。


編集部:
日本人と、他国の人たちを区別している?

中村:
極端なことを言えば、欧米人に対しては、まったく躊躇がない。
白人をみれば、「やっちゃえ」という感覚はありますよ。
でもね、そういう日本人への見方というのも、最近はずいぶん変わってきたんです。


編集部:
それは、なぜ、いつごろから、どのように変わってきたんですか?

中村:
いちばんのキッカケは湾岸戦争
そして、もっとも身近なのは、もちろんアフガン空爆です。
アメリカが要請してもいない段階で、日本は真っ先に空爆を支持し、その行動にすすんで貢献しようとした
その態度を見て、ガッカリしたアフガン人はほんとうに多かったんじゃないでしょうかね。


編集部:
せっかくの親日感情が、そのために薄らいでしまったんですね。

中村:
それでも、いまでもほかの国に比べたら、日本への感情はとても親しいものです。
この感情を大事にしなければならないと思うんです。
湾岸戦争のときに、
日本は、血も汗も流さず、お金だけばら撒いて、しかも国際社会から、何の感謝もされなかった。
それが、トラウマになっている
」なんて、自民党の議員さんたちはよく言うようですけど、
なんでそんなことがトラウマになるんですか
「お金の使い方が間違っていた」と言うのならいいのですが、「もっと血と汗を流せ」という方向へ行って、
とうとうイラクへは、自衛隊まで派遣してしまった

僕は、これは、とても大きな転回点だったと思っています。
 
これまでは、海外に軍事力を派遣しない、ということが、日本の最大の国際貢献だったはずなのに、とうとうそれを破ってしまったんです。
これは、戦争協力ですよね。
そんなお金があるんだったら、福祉だの農業復興だの何だの、ほかに使い道はいくらでもあるというのに。


編集部:
ほんとうにそうですね。
お金をどのように使うか、国際貢献とか国際援助とかいうのなら、最初に中村さんがおっしゃったように、
まず「生存」のために使うべきですよね。

中村:
日本は、軍事力を用いない分野での、貢献や援助を果たすべきなんです。
現地で活動していると、力の虚しさ、というのが、ほんとうに身に沁みます。
銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。
当たり前のことです。
でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。
緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。
それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情は、すぐに戻ってきます。
それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。




9条は、僕らの活動を支えてくれる、リアルで大きな力

編集部:
そう言えば、雑誌『SIGHT』(07年1月)のインタビューで、
9条が、リアルで大きな力だったという現実。これはもっと知られるべきなんじゃないか」とおっしゃっていましたね。

中村:
そうなんですよ、ほんとうにそうなんです。
僕は、憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。
でもね、向こうに行って、9条が、バックボーンとして、僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。
体で感じた想いですよ。
 
武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する
それが具体的な形として存在しているのが、日本という国の平和憲法、9条ですよ。
それを、現地の人たちも、分かってくれているんです。
だから、政府側も反政府側も、タリバンだって、我々には手を出さない。
むしろ、守ってくれているんです。
9条があるから、海外では、これまで絶対に、銃を撃たなかった日本。
それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。


編集部:
その、体で実感した9条を手放すことには、どうしても納得できない。

中村:
具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。
危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさを、つくづく感じるんです。
日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。
だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感を持たれている。
これを、
外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。


編集部:
お話を伺って、中村さんたちの活動は、それこそ「ノーベル平和賞」に十分に値するものじゃないかと、とても強く感じました。
これからも、ほんとうにお体や健康にお気をつけて、素晴らしい活動をお続けください。
本日は、長時間、ほんとうにありがとうございました。

中村:
はい、こちらこそありがとうございました。
第2期用水路建設に向けて、もっと日焼けしてきます(笑)。



※中村さん(ペシャワール会)の活動の場所を、GoogleMapでご覧ください。
(ブラウザのバージョンによっては、閲覧できません。)
●ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

●活動エリアについては、以下にもあります。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/ayumi.html

神の申し子たちの歌声

2014年05月16日 | 音楽とわたし
先月のカーネギーの直後から始まった伴奏バイト。
合唱のコンクールとコンサートの、ふたつの舞台のための練習をしに、週に3日、スペシャルズの高校生たちが通う学校の講堂に通っています。
今日はそのコンクールの日。

会場の高校は、うちから車で1時間弱の所にあります。
なのでわたしは、生徒と学校関係者の人たちが乗るチャーターバスのあとを、ひたすら付いていくのですが、
バスの運転手さんって、なんというか、出てくるんですよね~個性が、運転の仕方に。
今日の運転手さんは、我が道を、走りたいように走る!文句あっか?……な方で、いやもう、万が一の時のことを考えて、地図を持参しておいてよかったです、はい。

指揮者のダリルも、ダリル節を炸裂!
練習中に散々やってきたことを、コロッと変えてしまう得意技を連発してくれました。
最初の年はそりゃもう驚きましたし、慌てましたが、もう旧知の中となった今では、はいはい、今日はそういう気分なんやねと、合わせる余裕も出てくるってもんです。

わたしも彼に負けじと、外したことのない場所で音を外したりしたので、ここは一発挽回しようと、年季の入った表現で点数稼ぎ。
非常に音楽的な伴奏でした、という審査員の講評をいただきました。
そしてもちろん、混声合唱の歌い手たちの、なんとも美しいハーモニー!
人間の声の和というのは、温かで、柔らかで、心が本当に満たされますね。

最優秀賞をもらって、大歓声を上げる生徒たち。
嬉しそうな顔を見ていると、練習中のあれやこれやが吹っ飛びます。
スペシャルズというのは、神さまから特別に愛されている人たち、という意味です。
なので、人より少し、神さまに近い。
だから、人より少し多めに、苦しみや痛みを背負ってこの世に生まれ、その生き様を見せることで、苦しみや痛みを分かち合い、学び、思いやれるよう、人に教える使命を持っています。
ダリルからはじめ、そう聞いて、すごく胸にひびいたものがありました。
けれども、練習の場は時に、修羅場と化すことがあります。
心に痛みや傷を持ったティーンの子たちが、一所に大勢集まっているのですから、仕方がないことなのですが、それでもやはり、練習の妨げになるような態度には、厳しく接しなければなりません。
ダリルが怒ると、白髪のおかっぱ頭が逆立ち、大声が講堂に響き渡ります。
彼は、そういうふうに容赦なく、厳然とした態度で叱るのですが、その練習が終ったすぐ後に、叱った生徒を呼び寄せ、肩を抱いて言葉をかけるのです。
それが何人いても、同じようにします。
その緩急のうまさには、学ぶべきものがたくさんあります。
なので、演奏中にテンポがあっちこっち速くなったり遅くなったりしようが、ここでボクがサインを出すまで弾くなと言ってたくせに、そのサインを出すのをすっかり忘れようが、
ま、許してあげることにしましょう。

次の本番は来月のはじめにある、誰かさんを偲ぶ会での演奏と、中旬のサマーコンサート。
そしてそれが終ったら、やっとやっとの平常の毎日です。

外はずうっと雨。
まるで梅雨とハリケーンが一緒にやってきたような毎日が続いています。
前庭の改造も、ちょっとやり始めたところで中断。
ぼちぼちと、一日一日を大切に生きていきましょう。