ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

日本からやって来た、すてきな若者たちと語り合い、感じたこと思ったこと

2016年10月31日 | 日本とわたし
もう零時をとっくに過ぎたので、HAPPY HALLOWEEN!!
(この二人が大統領選挙を闘っているってことが、マジでHALLOWEEN?!なアメリカ…)


さて今日は、日本からやって来た、すてきな若者たちに会いに、マンハッタンまで出かけました。







どっきょくん、愛基くん、まなちゃん、塩田くんの4人です!
SEALDs時代からずっと、ずっとずっと、画面の中の彼らと一緒に、怒ったり笑ったり泣いたりしてきたので、
今回、わかちゃんとどっきょくんが作ってくれたこのチャンス、にゃんとしても逃してなるものかと、発表会前の準備もほったらかして行って来ました。

彼らは、あと1週間に迫ってきた大統領選挙の様子を、生で体感してみたいということで、アメリカのあちこちに出かける予定なのですが、
バーニー・サンダーズの選挙活動に参加したわかちゃんの経験談や、こちらの選挙に対する市民の実態を聞きたいということで、
超過密スケジュールの合間を縫って、この食事会&お話会に参加してくれたのでした。

愛基くんもまなちゃんも、そして関西の塩田くんも在米のどっきょくんも、何の土壌も無いところから大きなムーブメントを作り上げた、あっぱれな若者なのだけど、
彼らがあっぱれであればあっぱれであるほど、負のエネルギーを背負った人間がワラワラと寄ってきて、
その背負っているネガティブ玉を、ガンガンと投げつけてくるという、困った現象が起こりやすい社会だから、
彼らの疲弊はもちろん、それでもなんとか立ち上がるんだと、自分を鼓舞し続けなければならない環境の厳しさを思うと、
よくもまあ、とりあえず元気そうで(もちろん時差ぼけで少々眠そうだったけど)、新しいアイディアを形にするために模索する気力を保っていることよと、
多分、彼らのお母さんよりもちょいと年上のおばちゃんのわたしは、嬉しいやら誇らしいやら、彼らの顔を眺めながら、ジーンとしていたのでした。

日本の政治活動には、悲壮感が漂い過ぎている。
考えや思いが、少しでも違ったりズレたりすると、会話がそこでストップしてしまうか、最悪の場合は、それまで培ってきた関係までも絶たれてしまう。
選挙というものに、市民が参加できない、しにくいシステムが作り上げられてしまっている。
政治的な運動に使う映像が、まだまだダサい。
視覚に訴えるものだから、お洒落な、あるいは新しい感覚のビデオを作ると、非難される。
市民活動というものが、まだまだ定着していないので、選挙の時だけ大慌てで活動し、そして選挙が終わったらスーッと消えてしまう。

そういう問題をなんとか解決できないものかと、彼らは戦略を考えている真っ最中なのです。
そこで、アメリカ在住組の女子たちと、オキュパイ運動に参加している人たちを撮り続けてきた黒田さん、そして内田くんが、こちらの様子を語りました。

まずは貴重な経験をしたわかちゃんから。
彼女は、バーニーのラリーを見たことから、彼に興味を持ち、ボランティア事務所に出向いたのだけど(ここが彼女の"まずは体当たり"のすごいとこ)、

でも、選挙権を持っているわけでもないし…と、さすがに中に入る勇気がなくてウロウロしていたら、
中にいる人から声をかけられて話をしているうちに、ボランティアすることになったそうです。

やることになったのは、ボランティアをまとめている事務所の手伝い。
なので、ボランティア運営方法を間近に見て、やり方を理解できるようになったわかちゃん。
ウェブサイトで何回となく見てきた、バーニーのボランティア運営の実際を、細かく知ることができたその話は、とても興味深かったです。

彼のウェブサイトの最初の画面に現れてくるのは、まず募金です。
金額はなんと5ドルから。
もちろん上はいくらでも大歓迎なのでしょうけれども、あなたがしようと思う金額はいくらですか?と、直球で聞かれます。
わたしは(金額的にちょっとトホホなのですが)、この5ドル募金を何度もやりました。
その募金をやった後に出てくるのが、ボランティア募集のページ。
そこには、事細かに、どのようなボランティアがあるのかが書かれてあって、そこから選べるようになっています。
電話かけには、シンプルで分かりやすいマニュアルが用意されていて、それを元にして話を進めます。
でも時には、話がうまく進まないような場合が出てきます。
そうすると、ボランティアの前に設置されたモニターに、こう言ってごらんと、答える言葉が打ち出されてくるのだそうです。
余計な事は一切言わない。強制もしない。
電話かけをする時間割は、1時間ごとに区切られていて、そこから自分のやりたい時間を選べるのだそうです。

そして(これはわたしの経験談なんですが)、一度でも募金をしたり、名前を登録したりすると、
『近所のスタバの前で募金活動するけど、来る?』とか、
『どこそこのお家で、支援ポスター作るけど、来る?』、みたいな調子で、
毎日のように、知らないけれども結構近所に住んでる、別に運動員でも何でもない人から、メールが送られてくるようになります。
行きたかったら行く、やりたかったらやる、やれる時間が合えばやる、というノリで、だからちっとも重荷にならないのです。

アメリカも(というか、特にアメリカは、とも言える)てんこ盛りの問題を抱えている国だけども、
政治が毎日の暮らしに染み込んでいる度合いは、日本のそれよりもうんと高いです。
小学校の低学年のクラスで、『大統領への道』なんていうテーマで、候補者になるにはどうするか、などということを、ちびっ子たちが学んでいます。
中学高校では、討論クラブというものがあり、自分が望んでいない意見を自分の意見として会話を進めたりしながら、
どのような状況でも、気持ちをブレさせず、冷静に最後まで討論を続けることができる能力を競う大会があったりします。
だから、当然のように、政治のこと、議員のことなどが、子どもから大人まで、普段の会話にガンガン登場します。
選挙が近づこうものなら、毎日の挨拶代わりに、候補者の名前や政策について、短い会話を交わします。
「今日は天気がいいよね〜」と言ってるぐらいの気軽さで。

そして何より、討論をしている間に、違う意見、納得がいかない意見が相手の口から発せられても、
それはそれとして聞き、だからといって感情的になったり、拒否したりせずに会話を続けることができます。
たとえ感情的になるようなことがあっても、すぐに切り替えることができます。
そしてその、討論能力は、家庭の場で、学校で、職場で、まだ小さい子どもの時から、繰り返し繰り返し習得されていくものなので、
それが色々な場で、色々な人種の間で、色々な文化や言葉や立場の違いを乗り越えて、会話の終わりに、いい話ができたねと、にっこり笑って別れることができるのです。
だから、最終的に同じ思いである、同じ方向に進もうとしている、同じ目標を目指しているのならば、
性質ややり方や考え方や計画に、ズレがあったり相違があっても、いい関係やつながりを保っていけるので、
運動の幅や深さが、どんどんと大きくなっていき、人の動きも多様性を増していくことになります。

そういう運動の一部として、町や市の議会に頻繁に足を運び、議会を監視する人が多いし、それは有権者として当たり前の行動だと思っています。
そうかと思えば、自分たちの考えや要求を聞いてくれと、自分たちの家に議員を呼び、話をし、それについて議会で話し合って採決してくれと迫ったり、
その採決の行方をめぐっては、もちろん議会に足を運び、それに反対するような議員は、次の選挙は無いものと思えとばかりに鋭い視線を注ぎます。
その迫力たるや…何回も目の当たりにしましたが、議員がとてもナーバスになっているのがよく分かります。

などなどの話をしているうちに、これってはっきり言って、日本会議がこの50年もの間、コツコツと積み重ねてきた運動じゃん!という結論に至りました。
日本会議は、とても民主的な運動でもって、非常にひん曲がった方向に、日本を動かそうとしてきました。
方向は間違っているけれども、方法はお手本にできる。
日本会議にできることは、わたしたちにもできる。
わたしの中に、そんな希望が、ふつふつと湧いてきたのでした。

「体が少なくともあと5つ欲しい」と言った愛基くん。
「ひどい言葉や、卑猥な画像を送り付けられたりして、SNSを閉じました」と言ったまなちゃん。

SEALDsの中心に立っていた若者たちの中には、そういった度を越した中傷や言葉や映像の暴力を受け、心を病んでしまったり、活動を一切止めてしまった人もいます。
さらには、就職活動を妨害されたり、運動を理由に、採用を拒否された人もいます。
なんて悲しい社会でしょうか。

それでも、いや、だからこそ、まだまだやっていきたい、やり続けなければならない。
結果は、自分たちの世代では出ないかもしれない。
自分たちの次、いや、その次でも、出ないかもしれない。
でも、やり続けなければ、誰かが始めなければ、それは永遠に出ないまま、どんどんと国は弱り、困り果て、いずれは消えて無くなってしまうかもしれない。
だからやる。
その誰かになる覚悟をした若者たちの目は、見つめれば見つめるほどに愛おしく、まだこちらが励まされるような力が宿っていました。

市民運動に積極的に関わっている若者にこそ、良い就職先が見つかりやすく、生活の基盤をしっかり保ちながら、さらに運動を盛り上げていける環境がある。
そういう社会を実現させなければなりません。

なぜならば、世界の問題解決よりもまず、自分を取り巻いている問題を解決しないと、何も始められないし考えられない。
自分が生活していけるかどうかもわからないのに、そんな世界の問題について考えるような、そんな余裕なんて無い。
これは、愛基くんが沖縄時代に過ごした、彼と同年代の若者の言葉です。
だから動けない。
まずは今日、明日の暮らしを成り立たせないといけないから。
高江や辺野古に、沖縄の若者の姿が無いと、不満や疑問を投げつけてくる人がいるけれど、そういう現実があることも知って欲しい。

若者の閉塞感、貧困を、まずなんとかしなければなりません。
そういうところに目を向け、素早い政策を実行し、結果を出せる人を、政治の舞台にどんどん上げていかなければなりません。
政治家の政策を待つのではなくて、こちらから政策を政治家に与え、それを実行させる。
困っている若者が、自分たちの暮らしの向上を実現するための政策を政治家に与え、それを実施させる。
それぐらいの強い態度を見せていかないと、政治家はどんどんこれからも劣化していってしまいます。

公職選挙法も、世界一高額な供託金制度も、学校の教育も、国会での質疑応答の猿芝居方式も、記者クラブ制度も、
どれもこれもが、市民を政治の世界に近づけないようにしよう、近づきにくくしようというものばかり。
もう国ぐるみで、あえて言えば国策で、政治をどんどん質の悪いものに、非民主的にしていこうとしているのですから、
そんなものを相手に闘おうというのは、相当な根気と体力と楽観力が必要になってきます。
だから、ひとりやふたりにお任せ、というふうにしてはいけない。
責任者にならせてはいけない。
いったい誰が、どこで、どんなふうにやってるのかもあやふやな、だけでも誰かが、どこかで、何かをやってるというような、
良い意味での『顔無し』『名無し』が、いろんな思いや願いを抱えながら、同じ目的に向かって協力し合っていく。
そんな多様多彩なムーブメントが、日本全体津々浦々で、じわじわと広がっていく様を、
わたしはこれからも、強く願いながら、彼らのような素敵な若者たちを、心から応援していこうと思います。

今日は、逢えて本当に嬉しかった。
楽しい時間をありがとう!


食事のあと、次の訪問先へのフライト待ちを使って、チェルシーマーケットまで出かけることに。




せっかくだから、記念写真!
どっきょくん、荷物デカ過ぎ!




チェルシーマーケットは、思いっきりハロウィーン仕様。






さて、ニューヨーク組は、「ダコタパイプライン建設反対アクション・マネキンモブ」をすることになりました。
12月最初の週末ということで、その頃わたしは日本から戻ったすぐで、マネキンやってる間に、目が白目になってしまうかもしれないけれど、がんばるぞ!


*おまけにしちゃってごめん!
どっきょくんの、アメリカ大統領選のリポートです。
彼が自分の目で見て、足を運んで、参加者へのインタビューもして、感じたこと、考えたことを書いてくれています。
↓以下の各写真をクリックしてください。リポートが出てきます。


http://sealdspost.com/archives/4660


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