ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

誕生日を祝える幸せを感謝しつつ

2012年12月18日 | 家族とわたし
今日は大切な日やった。
上の息子の誕生日やった。
息子はなんと、早26才。
お祝いの電話をして、おっさんと呼んだった。
そしたら、しみじみと、そやなあ、おっさんや……と言いよった。
なに言うとんねん若者よ、君はこれからまだまだ生きて、世界を見ていかなあかん。

このブログを書き始めてからずっと、毎年この日はおんなじ話を書く。
それしかないんかっ!と怒らんといてほしい。
この日はこれしかないんやから、わたしの心の中には。

上の息子は、わたしにとって初めての妊娠やった。
田舎に嫁いだ嫁として、一番起こったらあかんこと(不妊)が何年も続いてた。
婦人会の公民館の掃除では、石女と呼ばれた。
草引きでは、あんた、なんの病気?と聞かれた。
舅には、こんな弱いとは思わんかった。大阪に帰ってもええでと言われた。
悩んで望んでいろんなこと試してはがっかりして、8年間全くあかんかって、それでやっと踏ん切りついて、いろんな新しいことを始めよう思た矢先に、いきなり妊娠した。
嬉しいて嬉しいて、今まで散々なこと言うてた人らに言うて回ったろかと思たけど、ほんまに安定するまでは絶対に公言したらあかん言われてがまんした。

お腹の中でだんだんおっきなってくる子に、毎日毎日話しかけた。
ぐるっと回るたんびに、へその緒を巻きはせんかと心配した。
CTスキャンに写った白黒のぐにゃぐにゃしたん見て涙ぐんだ。
初めてで、ほんで医者もなんも言わんかったから、ぶくぶく太った。
妊娠中には、流産と早産しかけて、安静にせなあかん時期があった。
もともと便秘ぎみやったのが、もっとひどなって、臨月のんは最悪で、病院のトイレで看護士さんの指で掻き出してもろたりした。

予定日が近づいてきて、お知らせみたいなんがあったんで、かかりつけの産婦人科に行ったら、いきなり軽い陣痛促進剤を投与された。
医者が部屋にやってきて、子宮口の開き具合を確かめる。
痛みはどんどん強うなり、痛む時間と痛みが引く時間より長なっても、やっぱり4センチ以上には広がらへんかった。
翌日医者はゴルフに行き、出先から電話で看護士に指示をした。
翌日の朝からずっと、極期の痛みが1時間続き、引くのはわずが10秒ぐらいしか無く、食べるのはもちろん、トイレに行くことも、しゃべることもできんようになった。
付き添うてくれた母は、その日の朝からずっと、痛む時に背中をさすり続けてくれた。
結局、丸二日と半日続いたその痛みを、ちょっとでも和らげようとさすってくれた母の爪は、何本か剥がれてしもた。
三日目の朝、いきなり医者がやってきて、結局4センチ以上は開かんとわかったのに、いきなりハサミを入れて羊水を全部流してしもた。
お腹の中の息子は、突然のことに狼狽えて、逆にわたしの喉元に上がってきた。
心臓を蹴られたような痛みを感じた。
息が苦しくなって、意識が朦朧とし出した。
耳元で、いつもは厳しい母が「痛いって言いなさい!しんどいって言いなさい!」と叫んでた。
そんなこと急にあんた、言わんとってよ。病院で痛い痛い言うて騒ぐ人いるけど、あれはみっともない、あんな真似は絶対にせんときやって言うてたやんか。
笑たろ思たけど、全くほっぺたが動かんかった。
唇はとうの昔にひび割れて、血がいっぱい出てた。
いきなり看護士がベッドに乗り上がってきて、わたしに馬乗りになり、肘で息子の体を押し出そうとした。
息子は嫌がって逃げようとする。
それを看護士はグイグイ押す。
ああ苦しい、息が止まりそうや。

そう思た時、はっと正気に戻った。
なんちゅうこっちゃ。なんでわたしは、こんな、一生のうちで一番幸せを感じられるはずの日に、息が止まりそうになってるん?
わたしの息が止まったら、いったいお腹の中の子はどないなるん?
かなんかなん、死んだらかなん。
神さん、仏さん、ご先祖さん、どうか、どうか、お腹の中の子だけは助けたってください!頼みます!お願いします!

「呼吸停止!」という看護士の叫び声を最後に、わたしは意識を失うた。


息子の誕生日が来るたびに、あの三日間を思い出す。
母の、爪が剥がれた指を思い出す。
点滴の管を両腕と両足につけられて、身動きがとれんまま、赤ん坊を抱くこともできんままに過ごした2週間を思い出す。

お互い、しんどい思いしたな。
あんたは全然覚えてへんのやろけど。
こうやって26年、いろいろ危ない時はあったものの、無事に生きてくれてありがとう。
わたしに、母親業をさせてくれてありがとう。
これからも、どんくさいしあんまり頼りにもならんけど、よろしゅうにね。

誕生日、おめでとう。
こんな大事な息子を、戦争なんかに行かせてたまるか!

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
たましいの場所 (りん田まつ田)
2012-12-20 16:07:25
こんにちは、まうみさん。

改めて女性の強さに優しさ、人間愛の深さを思い知らされます。
男も女も女性から泣いて生まれてきたんですけど僕も含めて普段えらそな事ゆーてても、こら男は太刀打ち出来ませんわ。

うちのオカン、5人生んだんですがやはり今もえー歳して口うるさいです。

ご存知のようにこの国えらい事になっとります。しかし半年後の参院選、見とれよと思います。今回の民主党みたいな目に合わせたいですね。

大橋巨泉氏が「戦争はじじいが決めてオッサンが命令して若者が死ぬ」てゆーてました。

ご子息、お誕生日おめでとうございます!
返信する
おめでとうございます~ (sarah)
2012-12-20 23:55:27
息子さん、お誕生日、おめでとうございます

大変な思いをされたのですね・・・、母は偉大です。
一人ひとりが大切な子供たち。
戦争は絶対に絶対、にしてはなりません。

福島の自民党のパンフレットのことです。
多くの人たちが原発事故を忘れてはいないのだと、
その反響に驚き、喜びました。

すべてのコメントを読ませていただきました。
いろいろな意見があるのは当然で、
初めて知ることもたくさんあって、勉強になりました。

まうみさん、
一つひとつのコメントに丁寧にお返事を書かれて、お疲れではありませんか。
貴重な場を提供していただいて、ありがとうございました。

こちらを紹介させてください。

http://twitter.com/yukawareiko/status/279231508340953088
(メッセージ部分をクリックすると拡大されます)

日本国憲法は日本の宝、人類の理想だと思います。
「イマジン」という曲、私は大好きです。
返信する
りん田まつ田さんへ (まうみ)
2012-12-21 01:57:51
実年母の嬉しがりの独り言に付き合うてくださったばかりか、お祝いと女性賛美、ありがとうございます!
さらに嬉しなりました。

おかあさん、5人も生まはったんですね!
すごいなあ……。
わたしも、少なくても3人!ちゅうのが夢やったんですが、如何せん、難産女王という事実が発覚してしもて、
また生みたい言うたら、狂人扱いされてしもて、2人で泣く泣く諦めた次第です。

大橋巨泉さんやったんですね。
どっかで読んだような気がしてました。
ほんま、その通りなんですもん、アホもええ加減にせえよと。

参院選、ごっついリベンジ、やったりましょね。
次回はめちゃくちゃええ作戦立てな、失敗を繰り返したらカッコわる過ぎ!
そのためにも、準備はもう始めなあきませんね!
がいばりましょね!
返信する
sarahさんへ (まうみ)
2012-12-21 02:08:44
お祝いをありがとうございます!
なんとか、こんないちびりでどんくさいわたしでも、一応オカンと呼んでもらえる経験ができました。
いやもう、絶対の絶対に、戦争なんかできる国にせえへんぞと、全国のオカンは立ち上がらなあきません。
それと同時に、今悲惨な状況に閉じ込められてる子ども達も、救わなあきません。
オカンは、ほんでオンナは、世の中の間違いを正せる強さを持ってますもん。

先日の記事、自分のための記録として載っけただけのつもりが、思いもよらない反響を受け、ほんまに仰天しました。
コメントは、寄せてくれはった方々と話ができる良い機会やと思てるのですが、さすがにちょっと疲れました。
返事をする際に、そのたびにいろいろと考え込んでいたりして、数日があっという間に過ぎてしまいました。
今は折しもクリスマス前で、この時期はそうでなくてもゴタゴタとややこしい事が満載。
なので、物理的にも精神的にも、タイミングが良くなかったんです。
と、sarahさんに甘えて、ちょっと愚痴ってみました。
ありがとう!

そして、すばらしい忌野清志郎さんの手紙!ありがとうございます!
これ、記事に載っけてもいいかなあ……。
いいですよね、ツィートで流されてたんやから。
書き起こしてみます。

平和憲法、わたしらが守らな誰が守る!
そうですよねsarahさん!
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