ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

どれだけ覚悟して腹括っても、子供が苦しむかもしれんという予想など受け入れられるか!

2012年02月26日 | 日本とわたし
毎日新聞、2012年2月24日の東京夕刊、特集ワイドという記事に、俵万智さんの近況が書かれてたのを、ツィッター友のTaddy西田さんが教えてくれた。
以下↓に転載させていただきます。
 
日本よ!悲しみを越えて 歌人・俵万智さん

<この国はどこへ行こうとしているのか>
 
◇「便利」の先に何が?--俵万智さん(49)


あのミリオンセラー歌集「サラダ記念日」から25年になる。
<大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋>
日本人が酔った、バブル時代の空気を、そう詠んだ人が今、東京から2000キロ以上離れた南の島にいると聞き、会いに行った。

気温14度。
待ち合わせたリゾートホテルの庭には、真っ赤なハイビスカスの花が咲いていたが、北風のせいで南国情緒は感じられない。
「石垣にしては肌寒いですね」。
落ち着いて、すっかり島になじんだ様子の俵さんだったが、東日本大震災当時の状況を尋ねると、笑みがすっと消えた。

「あの日は、都内の新聞社にいたんです。読書推進会議の最中にすごく揺れて、『仙台で震度7!号外が出ます!』という情報が飛び込んできたんです。
すぐ、実家のある仙台に電話したんですが、手が震えちゃって、ボタンをうまく押せなくて……」

俵さんは、03年11月に未婚のまま、男児を出産したシングルマザー。
一人息子の匠見君を育てながら、都心で創作を続けていたが、幼稚園入園を控えて06年に、両親が老後の家を求めた仙台市に移り住んでいた。
「母が仙台出身で、父も東北大大学院で学びました。子どもの頃からなじみの深い土地だし、息子を土の園庭で伸び伸びと遊ばせてあげたくて。
東京へも日帰り圏内だし、引っ越したんです」

それから4年余り。
かつて、家族や恋愛模様をうたっていた歌人の関心の対象は、最も大切な存在である息子へと移った。
<だだ茶豆、笹(ささ)かまなども並びおり仙台の子のおままごとには>
母親の眼差(まなざ)しに、仙台の風土を織り交ぜた作品を詠むようになったが、震災がそれを中断させた。

幸い家族は無事だったが、交通機関はストップ。
5日目に、ようやく山形経由で、仙台入りした。
<電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ>
再会した息子が発した言葉は、そのまま歌になった。

だが、東京電力福島第1原発事故による、放射能汚染が重くのしかかった。
いとこの勧めもあり、着の身着のまま、息子を連れて2人で、仙台を離れる決心をした。
<子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え>
その苦しい胸中を、そんな31文字で表した。

「子どもを被ばくさせてはいけない、安全な所へ逃げようと。那覇便が空いていたので、春休みいっぱいぐらいは様子を見ようかと思ったんです。
2月に始めたばかりだったツイッターに、『西を目指す』と書いたら、大部分は励ましのツイートが寄せられたのですが、
『行ける人はいいね』『もう帰ってこなくていい』とかの批判もあって、心に刺さりました」。
それでも、息子を守れるのは自分しかいない、と思い定めた。

那覇のホテルにいた2週間、震災ニュースにくぎ付けになった。
正月に、家族で滞在した南三陸にも、津波が押し寄せていた。
「2人とも、だんだん煮詰まってきたんですね。息子は指しゃぶりを始めたり、おかしくなって、
私も般若のような顔で、テレビを見ていたりして。
ちょうど、歌人の松村由利子さんが、石垣に住んでいることを思い出して連絡したら、『いらっしゃい』と言ってくれ、1週間くらい居候させてもらいました。
海に連れて行ってもらったり、近所の子どもと遊んだりしているうちに、息子も回復してきて。
やっぱり、人のつながりがある所にいなきゃダメだなって、つくづく思いました」

そのまま、石垣への長期滞在を決意し、目の前に美しい湾が広がるマンションを見つけた。
4月、小学2年生になった匠見君は、地元小学校に元気に通い、すっかり地元の言葉も板についてきた。
<ダンボールから衣装ケースに移すとき「定住」という言葉を思う>
創作活動はどこにいてもできる--夏休みを過ぎるころから、こんな心境にもなってきた。
「私が仕事で留守にする時には、近所の人が、息子を預かってくれます。
昨日は、、近所の幼稚園が、我が家に『泊まりたい』『いいよ、いいよ』って。
地域社会の中で、子どもが育っている感じが、すごく魅力的なんです」と笑う。

<まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉>

月刊誌「歌壇」の、昨年9月号に寄せた歌。
原発事故によるパニックを避けるために、政府高官がひねり出したごまかしの言葉に、
世事を、直接的にうたうことを避けてきたはずの歌人は、鋭く反応した。

「国って、自分たちに何をしてくれるのとか、今までそういう見方で、何かを考えたことはなかったんです。
今だって、スローガン的には書きたくはない。
けれども、『直ちに』と言われた時に、後からだって影響が出たら困ります、だって、子どもはまだ、恋もしたことがないんですよという、
母親としての感情なら、うたえるかなという気がした
んです」。
そうした心境の変化は、子どもへの放射能被害を懸念する全国の母親たちの気持ちを、まさに代弁していないか。

権力者の言葉を信じず、地域住民の手助けがなければ生活もできない、スローライフをあえて選択した俵さんは、さらに続ける。
「便利は快適だし楽しいし、別にそれを否定するつもりはありません。
でも、便利の先に何があるのか、それをどんどん研ぎ澄ませていったところに広がる空気は、それほど幸せでもなかったのかなあって」

過剰なまでの「便利」の追求--。
「その便利の象徴が、電気だったような気がします。
今、私たちは、そのしっぺ返しを受けているんじゃないかと……でも、人間ってキリがない
んですよね」。
消費社会の“魔力”を知る歌人は、苦笑した。
ホテルのBGMで流れるヒーリング音楽が、耳障りな音に聞こえてきたのは気のせいだろうか。

取材後、私が運転するレンタカーで、俵さんを、市中心部の市役所まで送った。
「きっかけは避難でしたが、今は、ここが気に入って住んでいますね。
自宅から市街地まで、タクシーで30分くらいかかるので、用事をまとめて済ませるようにしているんですよ。
これから、窓口で子ども手当をもらってこなくっちゃ」

助手席で、そう話した彼女の後ろ姿を見送りながら、自分にとって、かけがえのない存在とは何だろうか、と考えさせられた。【中澤雄大】

たわら・まち 1962年大阪生まれ。
現代歌人協会賞受賞の第1歌集「サラダ記念日」で、口語短歌の裾野を広げた。
「愛する源氏物語」で紫式部文学賞。
主な歌集に「チョコレート革命」「プーさんの鼻」など著書多数。




今わたしは日本におらん。
「おらんくせに、そんな人間が好き勝手なことをうるそう言うのが腹立つ」、と言われたりする。
「日本に帰ってもらわなくてけっこうです」と、見ず知らずの人から言われたりもする。
「いいですよね、高みの見物で」、とも言われたりする。

自分が今、日本におらんことの意味を考える。
もし居たら、ほんで息子らがまだ小学生やったら、しかもそれが関東やったら、
わたしは迷わず、この俵さんのように、子供ふたりを連れて、西へ西へと逃げてたやろう。
逃げることに精一杯で、般若の面みたいな顔して、出来る限りの情報を集め、息子らはそんな母親を見て、怯えて暮らす事になったやろう。
他の人に声をかけたり励ましたりするような余裕は無く、妻の狼狽ぶりに仰天している夫を説得する元気も無く、
スーパーの棚の前で泣き崩れそうになり、なんでこれは食べたらあかんのと愚図る息子を叩きそうになり、
やっと、やっとのやっと、人並みな暮らしができてきたとこやったのに、なんでまたこんな貧乏のどん底に落ちてしまわなあかんのかと国を罵り、
それでもやっぱり、放射能みたいな、わけのわからん、目に見えへん猛毒が混じった空気を、水を、食べ物を、我が子の身体に入れること思たら、
こんなん、屁でも何でもないわいっ!と、自分が取った行動を、決して後悔せえへんと思う。

ほんで、いつかきっと、息子達は、わたしが選んだ彼らの子供時代の人生を、心から喜んでくれるやろと思う。

今までにも何度か、息子達は、母親がわたしやったばっかりに、ワケも分からんまま、それまでの人生にさよならをせなあかんことがあった。
新しい人生は、それはそれは大変で、難しくて、子供心にも、なんでこんな毎日を送らなあかんねん、と思たやろうと思う。
わたしら家族を知る人達のほとんどは、息子らがいつかグレたりせんかと、ハラハラしながら見守ってたと言う。
親のわたしがそう思てハラハラしててんから、無理も無い。
ところが息子達は、そんな大方の大人達の期待を裏切り、非行にも走らず、どちらかというと健全に、それぞれの得意なことを生かして、充実した毎日を送ってくれてる。

高線量の地域から、あえて移動せんことを選んだ人、移動しようとしてる人、すでに移動した人、
いろんな大人がいて、その大人と暮らしてる子供がいる。
子供は自分では動けへんから、一緒にいる大人が決めた世界で生きるしかしゃあない。
どんな事情があるにせよ、大人は自分が決めたことに責任と誇りをもって、きっぱりと前向きに生きることが大切。
大人がそういう気持ちをしっかりもってたら、子供はきっと安心する。
ただし、放射能に敏感な子、線量が多過ぎた子は、言葉にすることもできん辛い毎日を続けなあかんことになる。
その時に、その子の苦しむのを見て参ったり後悔したりすることのないよう、残ると決めた大人は腹をしっかり括らなあかん。
わたしはどれだけ腹括っても、そんな我が子の姿を見なあかん生活なんて絶対に無理やとわかってるから、
そやからダッシュで逃げるねん。人からなんと思われようと。わたしとわたしの子供のことは、わたししか助けられへんて知ってるから。

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15 コメント

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ゆりさんへ (ころ)
2012-02-27 20:33:35
ゆりさんのご意向は、確りと まうみさんに伝わったと思います。
ゆりさんが真摯に 事態に立ち向かっている様子が、その強い調子で 窺う事が出来ます。
同じ様な思いで、ご苦労なさっている方が、ゆりさんの周りに いらっしゃることも事実でしょう。
でも 俺としては、ゆりさんの強い非難が、想像以上に まうみさんを傷付けないか、と心配です。
この記事でも、この前の記事でも、否 これまでの記事で一貫して、非難する方がいらっしゃる事を、まうみさんは考慮しています。
だから自分の立っている位置を、慎重に振り返る事を止めません。
東北地方太平洋沖地震 (俺は「東日本大震災」と名付けた 政府の視点 が嫌です) 以来、まうみさんは深く傷付いています。
だから 「独りデモ」 として、広範な情報を 紹介し続けてくれています。 俺には出来ません。 よく 体を壊さないものだ と、気遣っています。
ゆりさんも、その様な まうみさんの活動を知って、このブログに辿り着き、ご自分の意見を 発表なさったのですよね。
或る意味、ゆりさんが発言なさった事は、まうみさんの活動の一つの成果とも 言えるのでは ないでしょうか。
人災とでも呼びたい 原子力発電所の事故は、全員が 敗者と為らざるを得ない 出来事です。
言いたくない事を 敢えて発表して、その強い口調と同じ位に 内心で血を流している まうみさんには、「どうぞご自身をお厭いとい下さい」 と言う思いです。
ゆりさんも、ご自身を大切になさって、これからも俺達に 被災された方達の状況を 教えて下さいね。 
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落ち着きました。 (ゆり)
2012-02-27 23:42:15
先程のコメント、少し感情的になりすぎていたようです。
時間をおいて、更にころさんのコメントを見て少し頭が冷えました。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (まーこ)
2012-02-28 00:02:47
もうゆりさんは落ち着かれたようですがわたしは落ち着いてません。
貴女は一人称のお話をなさっていません。
誰がどうした、みんながこうしたと言うお話だけです。
まうみさんは自分の意見を自分のブログで発信しているのです。
そして多くの友人が集っているんです。
貴女が傷付いたのは残念ですがわたしも不愉快になりました。
まうみさんはもっと辛く感じているでしょう。
感情に任せて書き込んでしまったのならきちんと謝りましょう。
そして話し合いましょう。

返信する
まうみさん&まーこさんへ (ゆり)
2012-02-28 00:57:31
私の書き込みで不快な思いをさせてしまったこと大変申し訳なく思います。
管理者様におきましては、もし可能であれば(管理画面等で操作が可能であれば)私の発言を削除して頂けますでしょうか。
私のコメントでこれ以上心傷つく方がいるのは、とても私も辛くなってきてしまいました。
今まで原発に関して書かれているブログを見ても書き込みをしようと思ったことがなかったのですが、多分、まうみさんの本気の言葉が私に届いたから心動かされたのかなと今冷静になってみると思います。

お手数ですが宜しくお願い致します。
返信する
追記 (ゆり)
2012-02-28 01:18:35
何回もすみません!
これでコメントは最後にしますが、一点だけ誤解しないでください。
私もまうみさんの意見には同感なんです。
なんというかモヤモヤした気持ちをスパッと代弁してもらってるような感じなんです。
気になったのはあの一文だけです。
だから決して、その点だけは誤解しないでください。
これからも応援しています。
返信する
ゆりさんへ (まうみ)
2012-02-28 01:58:27
ゆりさん、
時差が14時間もあり、しかもわたしは記事を書いたまま寝てしまうので、
こんなふうに、返事が遅れてしまうのです、ほんとにごめんなさい。

ゆりさんの気持ちはとてもよくわかります。
乳幼児を抱え、放射能の汚染に怯え、心配し、本当なら一時間でも早く逃げたいと願いながら、
理解の無い家族や、地域の風習や、無職になることへの恐れや、見知らぬ世界に迷い込むことへの躊躇や、介護しなければならない人や、
その他もろもろの、その人達の数以上の事情があって、動きが取れないまま悶々としておられる人も多いと思います。

行政に掛け合っている人は、そうすることで、心のバランスをなんとかとっておられると思います。
ただ、働きかけている行政の様子を、この1年近く見ていて、これはどうやっても無駄だと思ったら即、その努力とエネルギーを、その場から逃げることに使って欲しい。
わたしはやはり、そういうふうに願っています。

わたしは、毎日のように、自分の思いをブログやツィッターを使って発信しています。
その言葉で、たくさんの人達が、ゆりさんのように傷つく事も承知で。
だから、自分でこんなことを言うのもなんですが、わたし自身も傷ついています。
けれども、わたしの傷なんか、日本で災難に遭ったゆりさん達の傷に比べたら、なんぼのもんじゃい!と思うほどのわずかなものです。

そんなことを承知で、ではなぜ声に出し続けているのか。
それを毎日考え続けているのですが、どうもやめようという方向には思いが行きません。

もう絶対に無理。
そう思い込んでいたことが、あることを決めたことで、気がついたら無理ではなかった。
そういうことが人生にはたびたび起こることを経験したからです。
それはもう、本当にそうなんです。
どんなにたくさんの問題を抱えていても、一度その人があることを決めてしまうと、その問題だと思っていたことが、絶対に無理という重りになっていたことが、なぜか水面にプカプカ浮いてきたりします。

もし、わたしの言うことで怒り心頭に達した人が、その勢いで避難することを決めてくれたら、
そしてそれを決めたことで、少しでも状況を改善することができたらと、
独りよがりな希望を捨てる事ができません。

ゆりさん、わたしの返事が遅れたことで、ころさんやまーこちゃんが心配してくれて、
それで直接ゆりさんに話しかけてくれたのだと思います。
わたしは、ゆりさんのコメントを消したくないのです。
縁があって、このブログに辿り着いてくれたゆりさんが、わたしが書いた文章を読み、その時に感じた自分の正直な思いをコメントに残してくれた。
わたしは、どんな思いも聞きたいのです。
その時の感情にまかせて書かれたものやとしても、それはまさしくその時に存在してたゆりさんの思いなんですもんね。
それを、勇気を出して伝えてくれはったこと、ほんとにありがたいと思ってます。
でももし、どうしても削除が必要なら、もちろんできるので、もう一度考えてまた教えてくださいね。

福島の方々100人の、それぞれの思いが語られたビデオを観ました。
子を持つ親は、避難した町で、避難できずに居残っている町で、そして海を経た町で、皆泣いています。
それぞれ皆が辛い思いを抱えながら。

ゆりさん、明日の朝も早起きせなあかんのに、わたしがのろのろしてたばっかりに、ずいぶん遅くまで夜更かしさせてしまいました。
ごめんなさい。
どうか、どうか、身体を大切にしてください。
おかあさんが元気でないと、子供は困りますもんね。
これからもまた、気が向いたら遊びに来てください。
そして、また気になること言うてたら、遠慮なく、どんどんコメントしてくださいね。
待ってます。
返信する
まうみさんへ (ゆり)
2012-02-28 02:40:18
私の感情的なコメントにお返事をありがとうございます。
また、こんな私の体を心配して頂き、今涙が止まりません。
実を言うともうずっと夜はよく眠れないのです。
だから、まうみさんが気にすることは全然ないんですよ!

夜になると原発のこと、放射能のこと、子供の未来のこと・・・いろんな不安が頭をよぎります。
私の子供は5歳と2歳です。
放射線の影響を受けやすい年齢です。
そして、私は母を癌で亡くしているので、癌という病気がいかに患者本人に苦痛を与え、家族に深い苦しみを与えるかを知っています。
健康と命だけは取り返しがつかない・・・でもその苦しみが日本のたくさんの家族に降りかかるかもしれないことが辛くて悲しくてやりきれない毎日です。

私の非常に大人として未熟なコメント、最初のものだけはやはりできれば削除してもらえないでしょうか?
おそらくそれ以外のコメントから内容は推測できると思います。
ころさんやまーこさんのように心を痛める方が他にもいらっしゃるかと思うと、冷静になった今私も心が痛むのです。

これからも私と同じ思いを持っている方がいるから「まだ頑張れるぞ!」と気合を入れるためにも遊びにきます。
貴重なお時間を私のためにさいて頂き心から感謝いたします。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (まーこ)
2012-02-28 02:50:15
(ToT)うるうる。なんか感動やん!
まうみたん効果、絶大やん!
素敵な仲間がまたできたね。
良かったわあ。
返信する
ころさんへ (まうみ)
2012-02-28 02:53:11
ころさん、ご心配かけてすみませんでした。
時差ってほんまにマヌケですよね。
タイミングがこうも外れてしまうと、なんぼ真剣に話してるつもりでも、なんかカクッとしてしまいますよね。

ころさんが、ずっと見守ってくれてはること、わたしは心の肌で感じています。
心強いし、温かな感じがずっとして、とても嬉しいです。
それと同時に、ころさんが住まわれてる地域のことも心配しています。
どうですか?大丈夫ですか?
おちびさん達の様子は変わりませんか?

ころさんは、ゆりさんの気持ちをほぐしてくれはり、そして同時に、わたしの緊張もほぐしてくれはりました。

ころさん、人間て、生きてる間、傷つけたり傷つけられたり、そうやって心の風呂敷をちょっとずつ広げていくんでしょうね。
ゆりさんや、ゆりさんの周りにおられる同じような立場の親御さんは、
想像もしてなかった窮地に立たされて、しかもアテにできるはずやった国は知らんぷりを決め込んだままで、
敵は透明で無臭で痛くも痒くもない攻撃を体内外にできるとんでもない物質……、
こんな毎日が一年近くも続いて、神経が参らへん方がおかしいです。

そやからこそ、期間限定でもええから、とりあえず線量の低いとこへ移動して欲しい。
少しでもそれで、身体の回復を得て欲しい。
わたしはどうしても、その思いをあきらめられへんのです。
家族(特に旦那)も、いったいいつまで続けるつもりや?と、最近はようやくあきらめ顔で見守ってくれてます。
そのことも、ありがたいと感謝せなあかんと思てます。

ころさん、ころさんは実際に、地域のおちびさん達の心のおとうちゃんやから、
わたしはころさんのことを勝手に心配しています。
今回、一番被害を被るであろう子供達の、一番近くに寄り添う事ができるころさんやから。

大事にしてくださいね、ころさんこそ。


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まーこちゃんへ (まうみ)
2012-02-28 03:06:16
まーこちゃん、
びっくりしちゃった……。
え?これ?まーこって、あのまーこちゃんか?
およよよよ……って、あ、これ、ふざけてへんで。
ありがとう。
まーこちゃんもわかっててこんなふうに言うてくれてんね。
ゆりさんが、わたしらと同じ思いでいてはる人やってこと。
そやからこその、厳しい口調やったんよね。

けどほんま、時差ってかなんわぁ~。
なんか間があいてしもて……こういうのをマヌケ言うんやなあ。

っつうか、まーこちゃんも夜更かしクィーンやんか……美容に悪いで!
って、わたしがノロノロしてたから、心配して起きてくれてたりして……かんにん!
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