ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

矢野顕子トリオ at JOE'S PUB in Manhattan

2015年01月31日 | 音楽とわたし
「とぉっても寒くなりますぞ」と予報が出ていた今日は、朝から3人の生徒さんのレッスンをし、その後すぐに電車に乗ってマンハッタンに行き、


ACMA(Amateur Classical Musicians Association)の役員会議でのいつもの超早口英会話に、なんとかついていこうと脳みそを全開にして足掻き、
心身ともにヘロヘロになって街の通りに出たら、あまりの寒さに骨まで冷えた。
なんて寒いんだかっ!
零下8℃のところに、北風がヒュウヒュウ吹くものだから、体感気温はもっと低いのだろう。

今夜のお楽しみ、矢野顕子トリオのコンサートまでには、まだ3時間もある。
コンサートが行われるJOE'S PUBは、歩いて行ける距離なのだけど、この寒さの中では、とりあえず適当なお店めぐりなどをして、暖を取りながら行くしかない。
こういう時間つぶしにかけては天才の旦那は、前の晩から少し風邪気味で、だから今夜の顕子さんのコンサートに間に合うようにしか出て来ない。
うーん…どうしたものかと思案しながら、役員仲間のジェーンとぺちゃくちゃ話しながら歩いていたら、収納用具屋さんが目に入ったので、彼女と別れて店に入った。
本当は文房具や書類などを分類して置くための安物のプラスチックの棚を、冷凍庫の肉などを分けて置くために使っていたのだけど、
重量に耐え切れず(当たり前だ)随分前からしなっていて、それがとうとうパキンと割れてしまったのだった。
それにしても収納用具というのは、どれだけ眺めていても飽きない。
楽しすぎて、面白すぎて、ぐるぐる店の中を回っていたら、じっとりと汗をかいてしまった。
結局、なんてこともない、どこでも買えるような二段の網棚を手に、レジの列に並ぼうとしたら、お店の一角に、うんざりとした顔ばかりが並ぶ長い長ーい列を見つけ、
ああ、ここはマンハッタンだったと思い出した。
先週の日曜日に、ユニオンスクエアで青デモをやった後に(そういやあの日もめちゃくちゃ寒かった)、近くのホールフーズで軽く食事をしようと買い物をした時も、
混み合う店内の買い物客と陳列棚の間を縫うように、蛇行する列が長々と続いていて、温かかったスープがすっかり冷えてしまった。
国内ではピカイチ気が短いと言われるニューヨーカーだけども、日本では考えられない(多分許されない)気の長さと寛容(諦め?)が、レジ付近には存在する。
わたしも今や15年経ち、すっかり慣れて(慣らされて)、隣近所の人たちと無駄話をしたり、お互いが買おうとしている品物について説明をし合いっこしたりする。

結局、そのお店で1時間半も居たわたしは、旦那との待ち合わせの時間ギリギリにPUBに着くはずだったが、案の定迷ってしまい遅刻した。
わたしが居たウェスト・ヴィレッジも、PUBがあるノーホーも、わたしにとっては迷路としか言いようのない意地悪な場所なので、こういう予感はかなりしていた。
とりあえずコンサートが始まる前には店の中に入ることができ、そこに近所の親しい友人夫婦を見つけてびっくりし、完売ギリギリに手に入れたほとんど一番後ろの、けれども顕子さんはよく見える席に落ち着いた。





顕子さんトリオ!(ウィル・リー(B)、クリス・パーカー(Dr))


顕子さんはわたしより二つ年上。
でも、でも、そんなふうに全然見えない、思えない、感じられない、だんだんに、さらにさらに、もっともっとすごくなっている。

で、この笑顔がほんっとにいい!(だから余計にピンボケが悔しい!)


ほんでもって、ん~っと声を引っ張る時のこの顔も好き!


いつだって新しくて鮮やかな演奏、うまいな~ピアノ♪


『ラーメンたべたい』を聞いてラーメンが食べたくなり、『飛ばしていくよ』を聞いてぶっ飛んでいく気になり、
そして、『Prayer』を聞いてうんと泣いた。

夕暮れの光が溶けて消えないうちに
あなたの名前を呼んでみる
ゆれうごく街 ひとりたたずんでいる時
あなたのことを思ってる

時を越え 空を越え たどりつくから
降りつもる悲しみに 負けることなく

私の目が閉じられてゆく時が来ても
あなたの声も 指先も 心も
愛に包まれているように

時を越え 空を越え たどりつくから
降りつもる悲しみに 負けることなく

祈ることだけ
今 強く願うことだけ
あなたが今日も 明日も いつまでも 
愛に包まれているように




ベース&ボーカル&必要とあらばなんでもやるウィルさんが、沖縄に行きたい沖縄に行きたい!と言うのを聞いて、
「ぜひぜひ辺野古でライブをやって!」と叫びそうになるのを抑えるのが大変だった。

彼らの即興魂のすごさ、いったいどこに行ってしまうのだろうというドキドキワクワク感は圧巻で、音の渦巻きに巻かれていく快感を存分に味わえた。
すごく難儀で高度なテクニックが、まるで宇宙の星のように散りばめられているのだけども、
それをすっぽりと包み込める顕子さんの愛の大きさを、生きたまんまで感じることができて、ほんとに幸せだった。

ありがと~あっこさん!

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2 コメント

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言霊ということ (Percian)
2015-02-02 22:38:34
まうみ 様

久しぶりにコメント、というかお便りをします。

世界中の大部分の人間が、その日その日の生存に追われている、または、当たり前として繰り返しを生きている。それが、自らの選択か否かすら考える機会も手段も奪われていると言って良い、モボクラシーの現状にはため息しか出ない状況ですが、身の回りの日常と、遠く離れた他所での出来事は決して無関係ではないことを、自分の頭で考え、皆で考える、そういう社会になれば良いと思います。

拝見していると、過去の記事へのコメントの新しいモノの多くが、脊髄反射のような二元論による揚げ足取りや、バンドワゴンの末席からの合理化で、それらを開示する意味があるのかとも思いますが、むしろそれらを開示することで、熟議を行うために皆が気をつけなくてはいけないNG例だと思えば良いのかも知れませんね。

音の調べは、我々の精神に働きかける何かがあるのだと思います。さらに、作者が伝えたいことを言葉にのせて多方向に発信することが出来るのが音楽の力とでも言えるでしょうか。

マスメディアの取り上げるニュースが、既にプロパガンダの様相を呈していたり、世界の政情不安を引き起こすことで利益を得ている集団による世論誘導、、それを支える顔なしの集団など、希望を見いだすのが難しい現在ですが、気づきの機会を、自らの経験に照らして発信している姿勢に、いつも尊敬の念を抱いております。

これからも、今よりも少しでも良い世界を目指して、批判精神を抱き続けてください。

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Percianさんへ (まうみ)
2015-02-05 00:40:48
Percianさん、

久しぶりに声を聞かせていただいたような気がして、とても嬉しかったです。ありがとうございます!

過去の記事への新たなコメントを掲載するか否かについては、あれでもとりあえず抜粋して載せているのです。苦笑いですよね…。
以前に、Percianさんもおっしゃっていたように、コメントを管理するようになってから、答える必要の無いもの、読むに耐えないものは、きっぱりと削除するようになったので、かなり落ち着いてはきました。
そして、おっしゃる通りなのですが、あえてNG例として、わざと載せているものもあります。

顕子さんの声とピアノ、そして言葉が溶け合い、そしてそれを支える二人の優れたミュージシャンが、彼女の心をさらに引き出す。
なんともいえない、柔らかだけども突き刺さる一言一言に、ただただ目を閉じて聞き入っていました。
そして、自分にできることはなんだろうかと、再度考え直す機会を与えてもらったような気がします。

読んでくださっていることがとてもありがたく、そしてとても嬉しいです。

今よりも少しでも良い世界。
それが目の前に現れるまでは、この世を卒業できませんもんね。
無理をしないように気をつけながらがんばりたいと思います。
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