ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

やらかしました😅

2024年06月06日 | ひとりごと
近所のYMCAの、火曜日の正午から始まるアクアビクスクラスに間に合うように、隣町の大きな通りを車で走っていたら、白いSUVの車が一旦停止を守らずに左折しようと飛び出してきた。
追突を避けようとしてクラクションを鳴らしたり、ブレーキをかけたり、ああもうこれは間に合わないと思って逆に逃げるためにアクセルを踏み込んだりしたけど、結局当てられてしまった。
当たりはそれほど強く無かったので、車が少し右側にぶれたけれども、身体的な傷は無い。
けれども気が動転しているからか、体が小刻みに震えるのを止めることができなかった。
相手はすぐにわたしの方にやって来て、ごめんなさい、本当にごめんなさい、あなた大丈夫?どこも怪我していませんか?と尋ねてきた。
とりあえず車を側道に停め直し、お互いに外に出て、ぶつけたところを確認し合った。
彼女の車は頑強で、バンパーの角に固い金属の補強があったので、そこにかすり傷がついた程度だった。
わたしの方は夫の父からのお下がりで、しかもその車は父に認知の症状が出始めた頃に運転していたので、車体のあちこちにぶつけた跡があって、だから彼女がつけた傷や凹みがどれなのかが判断しにくくて、お互いに苦笑いした。
わたしはそこで彼女の車の傷とわたしの車の傷を写真に撮っておくべきだったのだが、頭の中がフワフワしていて、そういうことに気が回らなかった。
さらに、こういう時は警察にまず連絡をし、それから保険会社に事故の報告をするべきなのだが、相手の女性はどうしても彼女の娘を迎えに行かなければならないので、自分の情報(住所、氏名、電話番号と彼女の免許証と保険証)を教えるから、あとはあなたの好きなようにしてくれ、と言って去ってしまった。
わたしは彼女がスーパーのレシートに走り書きした彼女の名前と電話番号、そして免許証と保険証の写真を撮った携帯電話を手に、しばらくぼうっと立っていた。
車に戻り夫に連絡すると、家に戻っているところだからあと5分ぐらいでそこに行ける。だからそこで待っているようにと言われたのだが、現場は家から車で2分もかからないところだし、もうYMCAに行く気力も無くなったし、とりあえず家に戻ることにした。
家のドライブウェイに車を停めたのだけど、家の前の道路が長年の(少なくとも15年以上)住民の陳情を遂にとりあげてくれて、大体的に整備し直している最中だったので、この通りに住む人たちの車は、一筋向こうの通りに止めなければならなかったことを思い出し、駐車しに行ったのだった…。
当てられた事故から20分ぐらい経った時のことだ。
わたしはバックで空いているスポットに車を停めようとしていた。
数秒後に、ものすごく大きな破壊音がして、わたしの車がガタンと揺れて止まった。
何が何だかわからなかったけど、何かにぶつかったのは確かだった。
バックミラーを見ると、グレーのセダンが見えた。
え?ぶつけた?わたしが?誰かの車に?
呆然として車から降りて後ろに回ると、無惨に割れたテールランプの赤いプラスティックの破片が道に散らばっているのが見えた。
相手の車は後ろのバンパーが少し車体から外れている。
わたしの車はバンパーがグシャリとへこみ、たった15分前に当てられたところがどこなのかもわからないほどに破損している。
そう、全く同じところを当ててしまったわけで、わたしはそのことにショックを受け、しばらくちゃんと息を吸うこともできなかった。

散らばった破片を片付けることもせず、その場に居た堪れなくなってまた家のドライブウェイに戻ってしまった。
そこに夫が戻ってきて、その顔を見た途端、あまりの情けなさに涙が込み上げてきた。
夫は最初訳が分からなくて、泣きじゃくるわたしの肩を抱いてくれていた。
わたしは普段、そんじょそこらのことで泣いたりしない。
だから今度は夫の方が狼狽始めた。
ことの次第を話すと、とにかく警察に連絡しようと言って電話をかけてくれた。
やって来た警官に事故の説明を始めたのだけど、はっきり言ってこんな奇妙な連続事故は理解し難い様子だった。
最初の事故は近所とはいえ別の町なので、彼がリポートできるのはわたしがぶつけた事故の方だけだ。
最初の事故の相手の保険会社に、一体どう説明したらいいのだろうか。
あのですね、今日の正午近くに、◯◯さんに車をぶつけられて、ご本人は全て自分が悪かったのでちゃんと直してもらってくださいとおっしゃっていたのですが、その15分後に、今度はわたしがご近所さんの停めてあった車にぶつけまして、◯◯さんがつけた傷がどこなのかわからなくなってしまったんですよね、えへへ…。

自分の保険会社と相手の保険会社に、夫の助けを借りて電話をした。
わたしがぶつけた車の持ち主(この通りに最近引っ越してきたばかりのゲイカップル)に、お詫びを言いに行った。
とんだ"welcome to our neighborhood!"である。
彼らはとても穏やかに、もちろん苦笑いをしながら、仕方がないことだと言ってくれたけど、やっぱり車の破損や修理は面倒なことだから、胸の内は複雑だろうと思う。
車の持ち主ではない方の彼は音楽家で、教会でオルガンを演奏していると聞いていたのだけど、別れ際に、あ、ちょっと待って、まうみに渡したいものがあると言うので待ってくると、楽譜を手渡された。
君んちにはピアノが2台あるでしょ。これ、バッハの曲なんだけど、一緒に弾きたいと思って。あ、僕はセコンドパートね、ファーストを弾けるような技術は無いから。
曲は「Sheep may safely graze」。とても心休まる、美しいテーマだ。
もしかしたら彼は、今のわたしの心をなだめるためにこの曲を選んでくれたのかもしれない。
ありがたいなあ。

事故ってほんと、一瞬のことで起こる。
自分の不注意が原因の時もあるし、どんなに用心してもたまたまその場に居合わせただけの時もある。
わたしも中二階から地下の入り口に真っ逆さまに落下したり、車に轢き逃げされたり、急な階段を頭から落ちたり、何度か死にかけた。
事故の後、あの時〇〇していたらとか、〇〇していなかったらとか、考えても全く仕方がない、何の役にも立たないことをあれこれと考えた。
今回の最初の事故はともかく、2回目の事故については、〇〇していたら、〇〇していなかったら、という思いがドドっと押し寄せてきて溺れてしまいそうになった。
まずは夫の言うことを聞いて、事故現場に留まっていたらよかった。
次に、家に戻ってドライブウェイに停めておけばよかった。
通りに駐車するときに、いつも欠かさずやっているように、後ろの確認をするべきだった。
それにしても恨めしいのは、家の通りのノロノロ工事だ。
これがちゃっちゃと済まされていたら、そもそもわたしは…いやいや、もうやめよう。
気が動転している時には思いもよらないことが起こりがちなのだ。
それを肝に銘じておこう。

ようやく始まった家の前の通りの舗装のやり直し工事。

普段お目にかかれない車がどんどんやってくる。