ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

これ以上、わたし達のツケを、若者や子供に払わせるな!そんな情けない大人でいるな!

2011年11月03日 | 日本とわたし
webDICE・骰子の眼に掲載された記事の中の『ソーシャル・メディアを利用した革命、OWS(オキュパイ・ウォール・ストリート)とは何か─現地NYからレポート』を読みました。

昨日のデモにもOccupyという言葉が使われていました。
この占拠という言葉と、OWSの動きが、どうもつながらなくて、その意味を考えていたわたしに、この記事はとても的確な説明をしてくれました。

今の日本にも、きっとつながるものがあると思うので、ここにその一部を引用させてもらいます。
 

『ニューヨーク在住のコントリビューター、タハラレイコがウォール街占拠とメディア、そして311との関わりについて綴る。

Occupy Wall Street(OWS)をムーブメントの名称として、9月17日に、ウォール街近くのズコティ・パーク(別名リバティー・スクエア)を数百人の若者が占拠して始まったこの動きは、一ヶ月以上たった現在、どんどん成長している。
10月15日の、世界的ソリダリティー(連帯)の働きかけには、全米100都市、全世界で1500都市で、同様なデモ行進などが行われた。
日本では、その実体は広く伝えられていないようなので、このムーブメントは一体何なのか、ニューヨークに住む一市民の立場から、またメディアに関わる者の視点からリポートする。
また同時に、一見関係していないように見えて、日本各地で起こっている“原発やめろデモ”や、皆さんの日常抱いている思いとも接点があるように思えるので、その共通性も考えてみたいと思う。

中略

10月15日、夕方のタイムズスクエア結集には相当数の市民が参加、タイムズスクエアは人々で埋め尽くされた。
その数は、5万人とも20万人とも報道されているが、メジャーメディアはあまり取り上げないし、本当の数はわからない。

また、ここ数週間は、各地のOWSの集まりに、9.11.後のアフガニスタン紛争やイラク戦争を戦った、20-40代の退役軍人たちが、多く参加するようになってきており、
同時に各地で、平和的公園占拠や、デモ行進を行う市民への警察の暴行が、ネットで多く摘発されている。
10月15日のNYマーチの後、タイムズスクエアで乱暴になった警察に向かって、
「恥ずかしくないのか!この人達は武器を持っていないアメリカ市民だぞ!戦いたいならイラクやアフガンに行け!お前等の仕事はこの人達を守る事じゃないのか!」
とどなりつけた服役軍人のビデオが、youtubeの大ヒットとなった(現在のヒット数253万超)。


10月25日には、オークランドのOWSマーチで、警察が市民に向けて催涙ガスキャニスターを多数投げ込み、
それを頭に受けて倒れた一人を、助けに戻った10名ほどの市民の輪の真ん中に、また警官が催涙弾を投入した映像がネットに出回った(85万ヒット)。


倒れた人は、2回のイラク勤務を昨年終えた、24歳の退役海兵隊員スコット・オルセンで、(頭蓋骨損傷で意識不明の危篤となったが、現在は意識が戻っているらしい)、
イラク服役軍人たちの間に広がる反戦運動に、大きな影響を与えている。


ソーシャル・メディアの果たす役割

アラブの春と同様、OWSムーブメントでもソーシャル・メディアの役割は非常に大きい。
Youtubeやvimeoといった、ビデオ共有サイトの他、リーダーのいない運動のため一つのサイト、というよりは、幾つかのサイトで動きが追えるようになっており、
occupywallst.org、occupytogether.org、またニューヨークの全体集会の動きはnycga.net(*9-11)、各地には各地のOWSのサイトが開かれており、
週末の平和行進や勉強会、ミーティングの予定や、ファミリー・キャンプアウトの晩等、これまでの活動状況が把握できるようになっている。
occupywallst.org には、ライブフィードのリンクもあり、ズコティ・パークやマーチからの生中継(スペイン語放送もある)や、これまでにアップされたビデオやミュージックビデオ、世界各地での運動の様子等も、常時流れているし、
サイト内のフォーラムでは、凄いスピードで、色々なことが世界各地から話し合われている。
そして、その動きの逐一が、フェイスブック、ツイッターなどを通して広がっている、という構図だ。

ズコティ・パーク内には、メディア班のコーナーがあり、数週間前に、室内のアパート(誰かが場所を提供したと思われる)に移るまでは、
雨の日も風の日も、公園内で、編集やウェブ管理が行われ、占拠してそこで寝ている人、家から通っている人、たまに公園をのぞいてみる人、などなど、様々な人が、メディアコンテンツを提供したり、編集の手伝いをしたりしている。
たった今、メディア班のページを開いてみると、こんな書き込みがあった。
「会計班のメンバーなんだけど、メディア班の誰か、下の件で、一般の人々の意見を聞くアンケートを、どこかに上げてもらえないかしら?
質問はこれ
:占拠運動に、これまでで50万ドル(本日の為替レートで3,788万5000円)の寄付が集まっています。
この一部を、私たちの運動のために、各都市が余分に負担しなければならなかった、清掃・ゴミ収集・補足警官費用の一部に充ててもらうため、グループが各都市行政に支払うとしたら、
あなたはグループに対してどんな感情を抱きますか
A) いい印象を受ける、
B) よくない印象を受ける、
C) 変わらない」


OWSの実体とは

さて、ではOWSとは一体何なのか。
大きな動きであることは理解いただけたかと思うが、マスメディアが警察との衝突や逮捕者数ばかりを切り取って報道しているため、
何かアブナイ感じがすると感じたり、また要求がはっきりしない、という批判をよく目にする方も多いかと思う。
百聞は一見にしかず、ということで、今回は、OWSの初期段階で大きな役割を果たしたビデオ2本と、その作者たちを紹介することにした。
今回の記事のために、特別日本語字幕をつけたので、お楽しみください。
まずは、これ。

▼『誰も革命の瞬間を知らない』


次にご紹介したいのが、このビデオ:

▼『コンセンサス』


このビデオが上がった13日の晩には、ブルックフィールド社が、ブルームバーグ市長に、公園の一掃を願い出て(確かにこの頃はすごい数の人が寝泊まりしていて、ちょっと匂いがきつくなってきていた)、
占拠側では、ニューヨーク市民に、「占拠を守って!」と呼びかけ、皆で公園内を大清掃、
寄付金でゴミ回収車も雇って、これ以上掃除のしようがないほどに、モップやタワシで磨き、徹夜で、木の周りに皆で手をつないで、何層もの人間リングを作り、
市民も、自宅から市長室に電話するなどして、結局掃除が“延期"、そして中止になる、という一幕もあった。


この頃には、毎日無数のビデオが上げられるようになっていたが、その中で、この合意のプロセスに焦点を当てた作りは視点が新しく、しかも運動の本質を捉えており、注目を集めた。


OWSと3.11 Fukushima

共通項─私たちは99%?

アメリカでは失業・経済破綻・戦争、日本では原発、目前の問題は違っても、経済界と癒着して、国民を第一に置かない政治のあり方への蜂起、
また、企業グローバル化により、世界の不均衡と、環境破壊を増長する、人間性を失った経済のあり方への疑念と反発、という意味では、大変似通っている。
アラブの春は、独裁政治への怒りであると同時に、それら独裁者たちと裏で手を組み、軍事援助と引き換えに、石油の利権を確保して来た西側諸国(特にアメリカ)への怒りでもある。
私たち自身、今回のことまで気付かなかったことだが、日本が原発に頼って来た産業構造自体に、
敗戦、そして、冷戦時代を通じて、今まで政府が必死で守って来た、米従属の構図が隠されている。
実際それによっての恩恵も日本人は得て来た。
特に、私たち40代は、80年代には豊かな時代を過ごさせてもらった。
その裏には、50基を超える原発と、アジアや南米の安い労働があった。

そして今、色々な意味でそのツケを、若者たちが払っている。
子供を産むのが不安になっている若い女性たちや、被曝している福島の子供達が払っている。
第2次世界大戦の日本の立場と同じように、私たちは被害者であり、加害者である。
アメリカの、大衆蜂起のスローガンである「我々は99%」は、もともとは、アメリカ国民のみに対して向けられた言葉だったかも知れないが、
この5週間で、アラブや南米の人々との、大衆レベルでの国際交流が、ネットを通じてものすごい勢いで進み、
お互いが、それまでの偏見や憎しみと向き合い、そして、お互いが奪われている者同士(奪われ度に差があるのは否めないとして)であることを学び合い、
じゃあ、どうしようか、どうすればいいのか、という、座談会の場として、この運動が広がっている。
この蜂起に至るまでには、2001年9月11日以来醸造されてきた、一般のアメリカ人の若者たちの気持ちがある、と私には見える。

彼らは、9.11.と、その後のブッシュの8年間で、世界が自分の国を嫌っていることを感じて育ち、
敵のいないでたらめな戦争が、マスメディアで正当化され、世界で沢山の人々が死んでいることを感じながら、
自分は変わらない、豊かな生活の中に育てられて来た。
進歩的な学校教育を受け、非暴力と話し合いでの民主的問題解決を教えられながら、
大人の世界のダブル・スタンダードを、心底嫌う気持ちと、それでもそれを肯定する商業社会のコマとして、生きなければ生活できないジレンマに悩んでいる。
そして、マスメディアに見切りをつけ、自分たちでネットで情報を集め、また発信し、
世界の99%の大衆間での話し合い(ビデオの中で「座談会」と表現されていたように)にこそ打開の道がある、と信じているように見える。
色々な思いはあるけれど、反米や反日のような言葉に踊らされることはもうやめて、彼らと話し合ってみれば、何かが実際に変わる、
私たちが変えることができる時代になったんじゃないか、という気がして来る。
時代の精神(zeitsgeist)という言葉があるが、世界中で、今それがここに来ていると感じずにはおれない。
ANTINUKE/RALLY


これから進む道

3.11Fukushimaイベントで聞いた、池上さんの言葉で、非常に心に響いたものがあった。
日本の54基の原発のうち、43基が今止まっているのは、一般市民の運動が、社会的圧力をかけたから、という彼の指摘に対して、
アメリカ人の来場者から、「あとの11基も、再稼働させない見込みはあるのか」という質問が出た。
彼は、それはわからないが、皆でベストを尽くす。
それにも増して重要なのは、今回のムーブメントは、私たちの生き方自体を変える、覚悟の上のものであること。
今年日本は、暑い夏を、電力をなるべく使わずに、皆で協力して乗り切った。
43基が止まっていても、電力は足りることを証明した。
エネルギーの消費を抑えて生きる、物の消費を押さえて生きる、そういう気持ちが、このムーブメントの根底にある、という主旨のことを言われた。
アメリカは、京都議定書に署名もせず、今だ、ニューヨークの日々のリサイクルのシステム等、日本の人達が見たらさぞ腹が立つだろう。
たとえ政治的に、リベラルを気取る人達の中にも、エネルギーを押さえよう、食べ物を無駄にしないようにしよう、と思い、実践している人達は、少数派に見える。
彼の言葉を、皆に聞かせたい、日本の皆さんの頑張りを、世界に見せたいと感じた』




まだまだ、とても興味深い話が載っています。
どうか、時間を作って、この記事の全文を読んでみてください。

特に、私たち40代は、80年代には豊かな時代を過ごさせてもらった。
その裏には、50基を超える原発と、アジアや南米の安い労働があった。

そして今、色々な意味でそのツケを、若者たちが払っている。
子供を産むのが不安になっている若い女性たちや、被曝している福島の子供達が払っている。
第2次世界大戦の日本の立場と同じように、私たちは被害者であり、加害者である。


色々な思いはあるけれど、反米や反日のような言葉に踊らされることはもうやめて、彼らと話し合ってみれば、何かが実際に変わる、
私たちが変えることができる時代になったんじゃないか、という気がして来る。
時代の精神(zeitsgeist)という言葉があるが、世界中で、今それがここに来ていると感じずにはおれない。


今年日本は、暑い夏を、電力をなるべく使わずに、皆で協力して乗り切った。
43基が止まっていても、電力は足りることを証明した。
エネルギーの消費を抑えて生きる、物の消費を押さえて生きる、そういう気持ちが、このムーブメントの根底にある。



少し萎えそうになっていた心にまた、エネルギーと栄養をもらったような気がします。
ありがとう、レイコさん!