リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

過度のセクシー

2011-05-25 07:17:30 | オヤジの日記
レディー・ガガの最新アルバムが、全世界同時リリースになった、という話題。

レディー・ガガの曲は、2008年あたりからJ-WAVEで、よく流れるようになったので、聴いていた。
気になったので、2009年の終わり頃だと思ったが、「ザ・フェイム」をツタヤで借りて聴いた。
輸入盤だったかもしれない。

耳に馴染む曲調で、いかにもポップなメロディラインを持った曲が多かったので、聴きやすかった。

ただ、みんなが言うような独創性は、私には感じられなかった。

どこかで聞いたことがあるようなメロディを違う方向性で焼き直している、というのが私の第一印象だった。

みな、レディー・ガガがいいと言っている。
若い人も言っているし、それなりに年の行った人も「いいね」と言っている。


究極のポップスだし、ファッショナブルだしね・・・・・。
レディー・ガガは、最先端を行ってるよ。


確かに、いいと思う。
ただ私には、彼女の歌が、あるいは彼女が創るポップ世界が、マドンナやジャネット・ジャクソン、アヴリル・ラヴィーン、ビヨンセ、ローリン・ヒル、メアリーJブライジより上を行っているとは思えない。

レディー・ガガという奇抜なブランドが一人歩きをしているように、私には思える。

ブランドとしてのレディー・ガガは、プロモーションビデオで奇抜なファッションに身を包み、時に水着か下着のようなコスチュームで歌い踊る。

それを見て、私は思うのだ。

なぜ、アメリカのショービジネスは、女性アーティストに、過度のセクシーさを求めるのか。

たとえば、二十歳前後の小娘が、自らのボディーを強調して、歌とは関係ないセクシーな肢体と表情で、見る側を挑発する。

私のようなオジさんは、それを見て「笑止」としか思えないのだが、白人社会は、なぜかご満悦のようだ。

この人たちは、明らかにエンターテインメントの解釈を間違えていると、私は断言する。

音楽パフォーマンスとしてのヴィジュアルは、その音楽内容と同期すべきである。
小娘が恋愛事情を歌うのはいいが、内容と関係ない過度の肌露出は、彼女たちの創る作品世界を安っぽくする。

それは、まるでラスヴェガスの隅っこのキャバレーで毎夜催される、サービス過剰のショーとしか、私には思えない。
音楽を貶めるパフォーマンスは、サービスの押し売りで、見苦しいと思う。


だから、レデイー・ガガは、曲だけを聞いていれば、私は満足だ。