JUJUに関して最初は、完全に食わず嫌いだった。
女心を歌う、女性にしか共感できない歌を歌う人、という偏見を持っていた。
青山テルマや西野カナなど、女性の心象風景を好んで歌う歌手は、私の最も苦手とするところだ。
歌詞に共感はできないし、歌唱方法も空回りの情感を押し付けられているようで、歌声が素直に入ってこないのである。
JUJUの「明日がくるなら」を聴いたときも、「この路線は苦手なんだよ」と先入観が勝って、ワンコーラス聴けなかった。
歌は上手いと思ったが、やはり「空回りの情感」の押しつけを感じた。
おそらく西野カナと同じように、俺はこの種の歌は一生聴かないだろうな、と完全に食わず嫌い状態だった。
しかし、その印象が少し変わったのが、ドラマ「ギルティ 悪魔と契約した女」の主題歌として聴いた「この夜を止めてよ」だった。
女の「情感」路線はそのままだったが、いきなりサビから始まる歌い出しで、「愛してる」と「さよなら」を歌い分ける巧さに、耳を奪われた。
サビが終わってメロディに移ると、抑え気味ながらも息の強弱で抑揚を付ける歌唱は、情感が少しも空回りせず、次に来るサビへの橋渡しまでを完璧な表現で繋いでいた。
それを聴いて、この人は、優れた歌手なんだ、と思った。
そして、同シングルに収められていた、オフコースの「言葉にできない」のカバー曲を聴いて、完全にこの歌を自分の持ち歌にしている彼女の歌手としての力量に感心させられた。
カバー曲が、自分の持ち歌になる、というのは簡単なようで簡単ではない。
それがヒットした曲であれば、聴く側は、オリジナル曲のイメージを頭から消すことは出来ない。
つまり、オリジナルの残像が邪魔をする。
そして、力量のない歌手は、自分でもその残像を持ったままカバー曲を歌うことが多い。
その結果、その歌は敢えて歌う必要のなかった歌、というレッテルを貼られる。
オリジナルの方が良かった、という結論になる。
しかし、JUJUの歌う「言葉にできない」は、確実にJUJUの曲になっていた。
そこが、すごいと思った。
同じようにカバー曲である「Hello, Again ~昔からある場所~」も聴いてみた。
この歌は、大ヒットした曲であり、オリジナルが独特の雰囲気を持っていたから、表現力に乏しい歌手だったら真似に走るところだが、これもJUJUの曲になっていた。
最近リリースされたJUJUのアルバムは、JAZZのカバーである。
JAZZシンガーを目指していた、というから、もともとJAZZには愛着があるのだろう。
このアルバムを聴いてみて、JUJUが本当の意味でのジャズ・シンガーであるという評価はできない。
ジャズのリズムに乗り切れていない部分が、多々ある。
英語は達者だが、発声が平坦になって、日本語で歌う時ほど声に抑揚が感じられない部分もある。
ジャズを意識するあまり、表現が淡々としすぎていると思われる部分がある。
だから、これを厳密な意味でのジャズ・アルバムと呼ぶには、私には抵抗がある。
ただ、JUJUのアルバムであるという解釈をするなら、間違いなくこれはJUJUのアルバムだ。
つまり、ジャズっぽい曲を歌うJUJUのアルバム。
JUJUは、いい意味でも悪い意味でも、何を歌ってもJUJUのものにしてしまう能力を持っている。
その点で、彼女は、極めて優れたシンガーであると言っていいと思う。
何を歌ってもJUJUはJUJU。
これは、歌手として大きな武器ではないだろうか。
女心を歌う、女性にしか共感できない歌を歌う人、という偏見を持っていた。
青山テルマや西野カナなど、女性の心象風景を好んで歌う歌手は、私の最も苦手とするところだ。
歌詞に共感はできないし、歌唱方法も空回りの情感を押し付けられているようで、歌声が素直に入ってこないのである。
JUJUの「明日がくるなら」を聴いたときも、「この路線は苦手なんだよ」と先入観が勝って、ワンコーラス聴けなかった。
歌は上手いと思ったが、やはり「空回りの情感」の押しつけを感じた。
おそらく西野カナと同じように、俺はこの種の歌は一生聴かないだろうな、と完全に食わず嫌い状態だった。
しかし、その印象が少し変わったのが、ドラマ「ギルティ 悪魔と契約した女」の主題歌として聴いた「この夜を止めてよ」だった。
女の「情感」路線はそのままだったが、いきなりサビから始まる歌い出しで、「愛してる」と「さよなら」を歌い分ける巧さに、耳を奪われた。
サビが終わってメロディに移ると、抑え気味ながらも息の強弱で抑揚を付ける歌唱は、情感が少しも空回りせず、次に来るサビへの橋渡しまでを完璧な表現で繋いでいた。
それを聴いて、この人は、優れた歌手なんだ、と思った。
そして、同シングルに収められていた、オフコースの「言葉にできない」のカバー曲を聴いて、完全にこの歌を自分の持ち歌にしている彼女の歌手としての力量に感心させられた。
カバー曲が、自分の持ち歌になる、というのは簡単なようで簡単ではない。
それがヒットした曲であれば、聴く側は、オリジナル曲のイメージを頭から消すことは出来ない。
つまり、オリジナルの残像が邪魔をする。
そして、力量のない歌手は、自分でもその残像を持ったままカバー曲を歌うことが多い。
その結果、その歌は敢えて歌う必要のなかった歌、というレッテルを貼られる。
オリジナルの方が良かった、という結論になる。
しかし、JUJUの歌う「言葉にできない」は、確実にJUJUの曲になっていた。
そこが、すごいと思った。
同じようにカバー曲である「Hello, Again ~昔からある場所~」も聴いてみた。
この歌は、大ヒットした曲であり、オリジナルが独特の雰囲気を持っていたから、表現力に乏しい歌手だったら真似に走るところだが、これもJUJUの曲になっていた。
最近リリースされたJUJUのアルバムは、JAZZのカバーである。
JAZZシンガーを目指していた、というから、もともとJAZZには愛着があるのだろう。
このアルバムを聴いてみて、JUJUが本当の意味でのジャズ・シンガーであるという評価はできない。
ジャズのリズムに乗り切れていない部分が、多々ある。
英語は達者だが、発声が平坦になって、日本語で歌う時ほど声に抑揚が感じられない部分もある。
ジャズを意識するあまり、表現が淡々としすぎていると思われる部分がある。
だから、これを厳密な意味でのジャズ・アルバムと呼ぶには、私には抵抗がある。
ただ、JUJUのアルバムであるという解釈をするなら、間違いなくこれはJUJUのアルバムだ。
つまり、ジャズっぽい曲を歌うJUJUのアルバム。
JUJUは、いい意味でも悪い意味でも、何を歌ってもJUJUのものにしてしまう能力を持っている。
その点で、彼女は、極めて優れたシンガーであると言っていいと思う。
何を歌ってもJUJUはJUJU。
これは、歌手として大きな武器ではないだろうか。