ネットを検索していたら、どのキーワードがヒットしたのか不明なのだが、昨年末の紅白歌合戦に関するコラムに行き当った。
そこには、「aikoの歌が超下手すぎ。出演歌手の中で上手かったのは、演歌歌手だけ」という演歌礼賛の文が書き連ねられていた。
文章の表現方法を見ると稚拙ではあるが、何となく老人くさい表現も見受けられたので、文の主は年配の方だろうと推測した。
演歌歌手の筆頭に天童よしみさんの名があったから、彼女のファンなのかもしれない。
音楽は好き嫌いで聴くものだから、そのご意見は、尊重したい。
また、私は紅白歌合戦を観る習慣がないので、その歌番組内のaikoの歌は聴いていない。
それに、私はaikoのファンではないので、aikoの歌唱に関して詳しいわけではない。
ただ、10曲くらいは、聴いたことがある。
ライブ映像も観たことがある。
その程度の浅い知識をもとに言わせてもらおうと思う。
aikoは、特別歌唱力に秀でた歌手ではない。
しかし、超下手すぎ、という歌手でもない。
彼女を表現するとき、「個性的」という言葉が、一番似合う歌手だと思っている。
そして、私は彼女のアーティストとしての才能をリスペクトしている。
男にはわかりにくい情景を切り取って曲を紡ぐaikoではあるが、彼女の作曲家としての能力は、素直に認める。
aikoの作るメロディラインは、秀逸である、と言っていい。
スコア(譜面)を見ると、彼女の作り出す旋律が、J-POPの中では一種独特のうねりを持っていることが、よくわかる。
天童よしみさんは、演歌歌手として、偉大な足跡を残した人だとは思うが、果たしてaikoほど独創的なうねりを持っているだろうか。
天童よしみさんの歌を聴いたことがない私には、それは想像できないが、私が知っている演歌をベースに考えると、スコアとしての演歌は、極めて画一的な形態しか持っていないように思われる。
画一的なスコアは、馴れ合った歌唱を作り出すから、安定感はある。
その安定感を上手いと感じる人は、慣れ親しんだものだけを受け入れる人でないか、と私は勝手に分析している。
そして、これも勝手な想像であるが、コラムの主は、音楽のスコアに慣れ親しんでいない人ではないかと思う。
自分の耳に慣れ親しんだ音階だけが、「上手い」の基準の人。
おそらく、その種の人には、aikoの旋律の「うねり」は理解できないだろう。
そして、理解できないから「超下手すぎ」という表現になるのではないだろうか。
彼が上手いと思っている天童よしみさんに、おそらくaikoの作り出す「うねり」は歌えない。
様式美しかない演歌には、その「うねり」がないからだ。
その意味で、天童よしみさんとaikoを比べるという比較方法の稚拙さは、音楽を好悪だけで捉える素人の発想だと言える。
それは、お金をいただいてコラムを書くプロとしては、恥ずかしい行為である。
感想文を書くだけなら、公にしないで、己のパソコンの中に忍び込ませておくか、日記のように机の引き出しにしまい込んでおくほうが、対応としては大人だ。
これは、その程度の駄文だ。
しかし・・・まあ、そんな感想文に、強く反応するのも、大人げない行為ではあるが・・・。
そこには、「aikoの歌が超下手すぎ。出演歌手の中で上手かったのは、演歌歌手だけ」という演歌礼賛の文が書き連ねられていた。
文章の表現方法を見ると稚拙ではあるが、何となく老人くさい表現も見受けられたので、文の主は年配の方だろうと推測した。
演歌歌手の筆頭に天童よしみさんの名があったから、彼女のファンなのかもしれない。
音楽は好き嫌いで聴くものだから、そのご意見は、尊重したい。
また、私は紅白歌合戦を観る習慣がないので、その歌番組内のaikoの歌は聴いていない。
それに、私はaikoのファンではないので、aikoの歌唱に関して詳しいわけではない。
ただ、10曲くらいは、聴いたことがある。
ライブ映像も観たことがある。
その程度の浅い知識をもとに言わせてもらおうと思う。
aikoは、特別歌唱力に秀でた歌手ではない。
しかし、超下手すぎ、という歌手でもない。
彼女を表現するとき、「個性的」という言葉が、一番似合う歌手だと思っている。
そして、私は彼女のアーティストとしての才能をリスペクトしている。
男にはわかりにくい情景を切り取って曲を紡ぐaikoではあるが、彼女の作曲家としての能力は、素直に認める。
aikoの作るメロディラインは、秀逸である、と言っていい。
スコア(譜面)を見ると、彼女の作り出す旋律が、J-POPの中では一種独特のうねりを持っていることが、よくわかる。
天童よしみさんは、演歌歌手として、偉大な足跡を残した人だとは思うが、果たしてaikoほど独創的なうねりを持っているだろうか。
天童よしみさんの歌を聴いたことがない私には、それは想像できないが、私が知っている演歌をベースに考えると、スコアとしての演歌は、極めて画一的な形態しか持っていないように思われる。
画一的なスコアは、馴れ合った歌唱を作り出すから、安定感はある。
その安定感を上手いと感じる人は、慣れ親しんだものだけを受け入れる人でないか、と私は勝手に分析している。
そして、これも勝手な想像であるが、コラムの主は、音楽のスコアに慣れ親しんでいない人ではないかと思う。
自分の耳に慣れ親しんだ音階だけが、「上手い」の基準の人。
おそらく、その種の人には、aikoの旋律の「うねり」は理解できないだろう。
そして、理解できないから「超下手すぎ」という表現になるのではないだろうか。
彼が上手いと思っている天童よしみさんに、おそらくaikoの作り出す「うねり」は歌えない。
様式美しかない演歌には、その「うねり」がないからだ。
その意味で、天童よしみさんとaikoを比べるという比較方法の稚拙さは、音楽を好悪だけで捉える素人の発想だと言える。
それは、お金をいただいてコラムを書くプロとしては、恥ずかしい行為である。
感想文を書くだけなら、公にしないで、己のパソコンの中に忍び込ませておくか、日記のように机の引き出しにしまい込んでおくほうが、対応としては大人だ。
これは、その程度の駄文だ。
しかし・・・まあ、そんな感想文に、強く反応するのも、大人げない行為ではあるが・・・。