YUKIが好きだ。
ジュディ・アンド・マリーの頃から好きだった。
グループの時もソロになってからのアルバムも、全部聴いた。
最高得点はないが、ハズレのないアルバムばかりを出すアーティストという印象だ。
つまり、平均点が高い。
飛び抜けて歌が上手いわけではない。
声がいいわけでもない。
ただ、その存在感は、群を抜いている。
そして、YUKIのその存在感の基礎となるものは、何だろうかと考えてみた。
それは、女であること、ではないのか。
もちろん、人類の半分は女性なのだから、YUKIが女であることが、特別なこととは言えない。
だが、普遍的な女なのか、特別な位置にいる女なのか、でその人の女としての存在の密度が変わるのではないか、と私は思っている。
ジュディ・アンド・マリーは、プロのユニットとしては、完璧に近いロック・バンドだったと思う。
「パンク・ロック」としてジャンル分けされることがあったが、そのジャンル分けが無意味なほど、ジュディ・アンド・マリーは、確実にジュディ・アンド・マリーそのものだった。
YUKIが言葉で表現する数々の作品は、YUKIの声を通したときにだけ、まるで良質のウィルスのように拡散的に増殖する。
その心象風景は、表現者としてのYUKIの個性があってはじめて、聴く人の心の中に何かを焼き付けられる。
そして、その細やかな表現は、YUKIが女だからこそ可能なのではないか、と思うのだ。
つまり、YUKIは、母性の歌手なのではないか、と。
ソロになってからのYUKIのアルバムを聴くと、その思いがさらに強くなる。
YUKIの口から出る言葉のほとんどが、娘として、女として、妻として、母としての真実に満ちているように感じる。
「女の魂」を感じる。
その魂の粒が、私の脳細胞を通り、あるいは血管を通り、内臓に到達し、全身にまわったとき、私の頭と体は、心地よさを感じる。
その心地よさが、YUKIを特別なアーティストにしているのだと思うのである。
母性の歌手であり、魂の歌手でもあるYUKI。
そんなアーティストは、おそらく、他にいない。
ジュディ・アンド・マリーの頃から好きだった。
グループの時もソロになってからのアルバムも、全部聴いた。
最高得点はないが、ハズレのないアルバムばかりを出すアーティストという印象だ。
つまり、平均点が高い。
飛び抜けて歌が上手いわけではない。
声がいいわけでもない。
ただ、その存在感は、群を抜いている。
そして、YUKIのその存在感の基礎となるものは、何だろうかと考えてみた。
それは、女であること、ではないのか。
もちろん、人類の半分は女性なのだから、YUKIが女であることが、特別なこととは言えない。
だが、普遍的な女なのか、特別な位置にいる女なのか、でその人の女としての存在の密度が変わるのではないか、と私は思っている。
ジュディ・アンド・マリーは、プロのユニットとしては、完璧に近いロック・バンドだったと思う。
「パンク・ロック」としてジャンル分けされることがあったが、そのジャンル分けが無意味なほど、ジュディ・アンド・マリーは、確実にジュディ・アンド・マリーそのものだった。
YUKIが言葉で表現する数々の作品は、YUKIの声を通したときにだけ、まるで良質のウィルスのように拡散的に増殖する。
その心象風景は、表現者としてのYUKIの個性があってはじめて、聴く人の心の中に何かを焼き付けられる。
そして、その細やかな表現は、YUKIが女だからこそ可能なのではないか、と思うのだ。
つまり、YUKIは、母性の歌手なのではないか、と。
ソロになってからのYUKIのアルバムを聴くと、その思いがさらに強くなる。
YUKIの口から出る言葉のほとんどが、娘として、女として、妻として、母としての真実に満ちているように感じる。
「女の魂」を感じる。
その魂の粒が、私の脳細胞を通り、あるいは血管を通り、内臓に到達し、全身にまわったとき、私の頭と体は、心地よさを感じる。
その心地よさが、YUKIを特別なアーティストにしているのだと思うのである。
母性の歌手であり、魂の歌手でもあるYUKI。
そんなアーティストは、おそらく、他にいない。