リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

楽チンです

2020-08-05 05:25:46 | オヤジの日記

最近の私は楽チンである。
家族の朝メシと晩メシは、私が作るが、昼メシは交代制で家族が作ってくれる。
昼メシは、いつも焼きそば。太麺が、冷蔵庫に充満している。
焼きそばは、簡単にできる。炒めればいいのだから。
それでも、人によって味に好みと個性が出る。ヨメは、オーソドックスなソース味が好きだ。息子は塩味、もしくは鶏ガラ味。娘はお好みソースを使う。そして、大量にあおさとカツオ粉とマヨネーズをぶっかける。
どれも美味い。うまし。トゥース。大満足である。

ほかに皿洗いは、息子がやってくれる。風呂掃除、トイレ掃除は娘だ。ヨメは、部屋全体のお掃除。
私がしていた頃は、洗剤は基本1種類ずつだったが、いまは驚くほど多い。知らない種類が多い。みんな熱心ですわ。感心しますわ。
娘が言った。「おまえよく、こんな面倒臭いことを毎日やっていたな。だから、晩ご飯のころには、げっそりしていたんだな」。
今もそうだが、俺の目標は、家事のできるデザイナーなんだ。家政婦がパソコンをしているのと一緒だ。
でも、いまは負担が減って楽チンだ。これは、新型コロナによる唯一の恩恵だ。

ほかに晩メシで、家族に任せられるのは、餃子だ。
我が家には、娘の高校時代のお友だちがやってくる。昼に焼肉パーティー、たこ焼きパーティー、餃子パーティーなどを開く。総勢8人程度で、餃子を200個は食う。最初のうちは、大型ホットプレートを2つテーブルに並べて私ひとりが作っていた。だが、途中からみんなが手伝ってくれるようになって各段に楽になった。
そんなこともあって、私の家族も餃子作りの手際がよくなった。今では、完全に任せられる。楽チンだ。
バカ親父に負担をかけないように、みんなが気を使ってくれる。ありがたいことだ。
ただ、バカ親父は、怠けるととっととことん怠けるグウタラ男なので、これ以上、甘やかさないでくだされ。

さて、昼メシを食った後で、ひと仕事したら、今度はウォーキングだ。
ちょうど心地よい暑さになってきたので、歩いている最中に体が温まっていい感じになるのが気持ちいい。
月曜日も夕方5時前に歩いた。国立の大学通りを約50分。5キロ程度だ。
最近の私は、ウォーキングのときは、マスクを外す。密にならない屋外ならしなくても問題ないと思った。
しかし、この日は邪魔者が私の前に立ちはだかったのだ。70歳くらいの小柄な自粛ジジイだ。
そのご老人は、いきなり私に詰め寄って「なんでマスクをしないんだ」と怒鳴った。
え? ほかにマスクしていないひとは、たくさんいますけど。
自粛ジジイが、ジリジリと近づいてきたので、私は後退りした。1.5メートルのディスタンスを保った。
するとジジイが、「逃げるのか、バカもの」と怒鳴った。
ジイさん、冷静になりなさいよ。大学通りの人並みは、かなり余裕があった。全然密じゃないんだよ。
私は、こういう自粛ジジイのことを面倒臭いと思うタイプなので、相手をせずに横をすり抜けようとした。
すると、ジジイは私の手を取ろうとしたのだ。自分で密を作ってなんの意味があるのだ。
だから、触るな、と言った。睨んだ。ジジイは手を引っ込めた。ずっと睨んでいたら、ジジイは去っていった。

こういう人の正義感というのは、何なんだろう。役に立っているのか。役に立つ正義感をいくつ持っているのだろうか。
無駄とは言わないが、使い方を間違っている気がする。
ところで、いつも思うのだが、こんなとき常識的な人なら、意見されたら、「すみません。次に気をつけます」と言って穏便に話を終わらせるだろう。
しかし私は見当違いで自分勝手な正義感を振りかざす人が嫌いなので咄嗟に反発してしまうのだ。いつまでも大人になれない私。

自粛ジジイのことは忘れて、家に帰った。
仕事場の机に置いたスマートフォンを手に取った。
昔から私は、1、2時間程度の外出のときはスマートフォンを持ち歩くことはしない。どうせ画面をひらかないのだから持ち歩く意味がない。
かかってきたとしても緊急の電話やLINEなどは、来ないのだ。来たとしても、後で連絡すればいいことの方がほとんどだ。
このときは、金沢に嫁いだ大食いのミーちゃんからのLINEが来ていた。
早速、iPadを立ち上げて、みーちゃんを呼んだ。
ミーちゃんは、気が急いたように画面の中で早口で言った。
「パピー、今度の土日に里帰りしたいんだ。いいかな」
拒む理由など、ございません。ウェルカムカムでございます。
若チャマと一緒に北陸新幹線で来るという。こんな時期に東京に来て若チャマのご両親は呆れなかったかい。
「お義父さんもお義母さんも義弟も、『全力で隠す』と言って応援してくれたの」
いいご家族だね。
「あのね、パピー。今回は完全巣篭もりだから、昼ごはんと晩ごはんは、私が作るね。パピーは楽をしてね。この2日間は、パピーの夏休みにして」
それは、楽しみだ。で、何を作ってくれるのかな。
「それは、内緒。楽しみにしといて」
わかった。米はたくさん用意しておくから、任せておきな。ほかに何か必要なものはあるかい。
「ドライトマトくらいかな」
ちょうど自家製のが大量にある。安心しなさい。
「パピー、あらためて言わせてもらうけど、パピーたちと暮らしていたころ、私は幸せだったよ。そして、今も同じくらい幸せだよ。今回は、幸せな私を目に焼き付けてね」
焼き付けたら目が焼けてしまうがな(もう泣いている)。

事情のわからない人のために、補足説明。
大食いのミーちゃんは、中学3年の4月から高校1年の7月まで、我が家に居候をしていた。親の離婚調停に嫌気がさして、我が家に転がり込んできたのだ。
離婚調停が終わって、親権は母親が持った。母親と折り合いが悪かったミーちゃんは、父親について行きたかったが、それは叶わなかった。
だから、離婚調停が終わっても我が家に住み続けた。ただ、いつまでも住むわけにはいかない。我々は、それでもよかったが、世間が許してくれない。
家に帰って、母親と妹、弟、祖母との暮らしに戻った。そうこうしているうちに、離婚から1年足らずで、父親が再婚した。それ以来、父親とは没交渉だ。
ミーちゃんは、土日には必ず我が家に泊まりにきた。「パピー、みんな、ただいまー」と言って。
それから、ミーちゃんは大学に進学した。それと同じ時期に祖母が亡くなったので、ミーちゃんは、その部屋を1人で使えるようになった。それまでは、妹と弟の3人で一部屋を使っていた。だから、だいぶ自由度が増した。
それでも、毎週我が家に泊まりにきていたが。
ミーちゃんとは、そんな濃い関係性があった。

「とにかく、パピーには楽をして欲しいんだ。一緒に暮らしていたころ、毎日夜遅くまで働いて、朝早く私たちのお弁当を作る姿を見て、この人は私の本当の親なんだって思ったよ」
涙が、止まらない。
「今回の里帰りは、パピーのための楽チン旅だから、タップリ休ませてあげるよ」
「あ、それに、私マッサージが上手くなったんだよ。毎日若チャマの肩を揉んでいるからね。パピーの肩も揉ませてよ」
いや、それはいいかな。俺、肩が凝らない体質なんだよね。ただ、もし気持ち悪くなければ、ふくらはぎを揉んで欲しいな。最近いつもふくらはぎが夜になるとだるくなるんだ。
「まかしとけ」

あー、楽チン楽チンチンチンチン。

楽チンを存分に味合わせてもらいましょう。

ところで、私はそのとき思った。
子どもが大きくなるというのは、こういうことなのだと。
親に楽をさせるために、大きくなるのだと。


存分に、楽をさせてもらいましょうか。
 


幸せの風

2020-08-02 05:28:25 | オヤジの日記

テクニカルイラストレーターの達人・アホのイナバ君から、段ボール2つ分の野菜が届いた。

かなり大規模な家庭菜園で、イナバ君の奥さんが栽培しているものだ。
トウモロコシ、ヤングコーン、枝豆、ナス、キュウリ、ミニトマト、ラディッシュなど。
助かりますわ。ナスはいま高いし。
早速パソコンで会話した。
はーい、イナバ君、アッホー。
「はいはい、アッホー」
今回もありがとうね。早速トウモロコシを食ったけど、うまかったね、みずみずしくて。
「ああ、今回のは美味しくできたって、奥さんも喜んでました、今年のトウココロモシは上出来だって」
うん、俺もそう思う。日照時間が短いのに、よくあそこまでできたね。
「奥さんが使っている日野の菜園は、まだ比較的日が届いたみたいです。それに僕にはわかりませんけど、いろいろ工夫をしたそうです」
奥さんは、研究熱心だからね。もうノウハウを身につけたんだろう。家庭菜園のプロだね。
「ところてん、今度うちの奥さん、味噌作りも始めたんですよ。Mさん、味噌好きですか」
日本人で味噌の嫌いな人が、いるのだろうか。味噌は万能調味料だ。肉、魚、野菜、その他どんな食材にも旨みを与えてくれる。
もし調味料選手権があったら、私は絶対に味噌に投票する。それくらい偉大な王者だ。
「え? 調味料選手権なんて、あるんですか」
ないよ。
ということで、半年後くらいに、イナバ君の奥さん手作りの味噌をいただけることになった。あらためてイナバ君は、いいひとと結婚したものだと思う。

ここで、イナバ君の許可を得て、イナバ君夫妻のプライベートを暴露しようと思う。
アホと聡明な美女は、どうやって知り合ったのか。それは、いくつかの偶然の重なりによるアホンタジーだった。
当時イナバ君は、東京青山のイラスト事務所に勤めていた。18年前のことだった。
ランチタイム、いつも通うカフェがいつもよりかなり混んでいた。いつもは、テラス席は満席のことが多かったが、店内はそこそこ空きがあった。しかし、この日は店内も混んでいた。順番を待っている人はいなかったが、食べるためには、待たなければならないだろう。
そのとき、入り口でボーッと立ち尽くしたイナバ君に、店員さんが来て言った。「相席でもよろしいですか。よろしかったら、お客様に伺ってまいりますが」
ランチなんて、10分もあれば食える。10分くらいだったら、気まずくてもいい。
伺った結果、OLさんの席に案内された。会社の制服を着て、1人でランチを食べていた。お互い「どうも」と挨拶した。
向かいの人は、パエリアを食べていた。うまそうだっだ。だからイナバ君も「パエリアを」と注文した。そのとき、向かいの人が顔を上げてイナバ君を見た。目があった。
恋が芽生えた。なんてことはない。
イナバ君は高速でパエリアを食い、「どうも」と言って店を出た。10分もたっていない。

その夜、イナバ君は会社の帰り、自宅のある最寄駅の阿佐ヶ谷でカレーを食って帰った。そして、家に帰るとでっかいカゴに入れた洗濯物を抱えて、すぐ近所にあるコインランドリーを利用した。週に1回1週間分の洗濯物をキレイキレイするのだ。アパートに洗濯機はあったが、部屋干しが嫌いなので、完全乾燥のランドリーを利用していた。
夜の9時過ぎ、店内に人はいなかった。そして、イナバ君が店に入ってから5分もすると、店に女性が入ってきた。上下グレーのジャージ姿だった。その人が「あら」と声をかけた。見ると、ランチタイムにカフェで相席した人だった。
阿佐ヶ谷に住んでいたのだ。イナバ君は、少しドキドキした。そのとき恋が芽生えた。なんてことはない。
そのひとは、洗濯物をセットしてコインを入れると椅子に座った。なぜなら、そこに椅子があったから。
このときは、自宅の洗濯機が壊れたので、たまたま利用したのだ。
イナバ君は、思わず女の人に声をかけた。「結婚を前提にお付き合いしてください」。そんなことはない。
「このあたり治安はいいんですけど、酔っ払いが多いんですよ。この間も酔っ払いが突然入ってきてゲロしてましたからね。僕が洗濯終わるまで見てますから。いったん家に帰ったらどうですか」
「え、でも、そんなこと」
「待っている時間があったら、その時間で、ほかにやることがあるでしょう」
イナバ君の説得に女の人は従った。イナバ君のことを信じたようだ。

乾燥が終わって洗濯物をカゴにぶっ込んでから、5分もしないうちに、女の人が戻ってきた。ちょうど洗濯が上がるころだった。女の人は、乾燥機は使わないようだ。洗濯物を大きめのランドリーバッグに入れて。イナバ君にお礼を言った。「結婚してください」。そんなことはない。
コインランドリーを出ると2人は、道の右と左に分かれて帰った。
普通なら、話はここで終わりになるはずだ。しかし、終わりにならなかった。この世には、人に「幸せの風」をふかす何者かがいた。
二人のまわりに、その風が吹き始めたのだ。
ヒューーーー。
それから2人は、阿佐ヶ谷の商店街で、すれ違うようになった。おそらく今までも何度かすれ違っていたのだろうが、そのときはお互いがお互いを認識していなかったから気づかなかったのだ。
すれ違うたびに、その都度、短い会話をした。
そんなことが続いた2002年9月吉日。日曜日の昼間にまた2人は道で出くわした。
そのとき、イナバ君は手に小さなラジカセを持っていた。それを指差して、彼女が言った。「どうしたんですか」
「僕、毎週日曜日に、近所の公園でダンスの練習をしているんですよ、だから、今日も行くんです」
「あ、見せてもらっていいですか」
公園に彼女はついてきた。
公園の定位置に立って、イナバ君はラジカセのスイッチをオンにした。
早速、踊り始めた。曲は、マイケルジャクソンの「ビリージーン」だった。
それを見た奥さんは、驚いた。完全なマイケルのコピーだった。そして、奥さんは若い頃からマイケルジャクソンの大ファンだったのだ。
そのとき「幸せの風」が強く吹いた。ビューーーー。

それから2人は、たまにプライベートで会うことになった。
ドライブ、食事、ライブ、アート展鑑賞、星空教室などに行った。
イナバ君の胸に、徐々に変心恋心が芽生えていった。ビュビューーーー。
そして、星空教室の帰りの車の中で、イナバ君が生まれて初めて真面目な顔を作って言った。
「僕、目の前の人を好きになってしまいました。どうしたらいいですか」
「どうしたらって」
「結婚したいです」
もちろん彼女は婚約いや困惑した。アホはいつも唐突なのだ。
困惑した彼女は「この話はいったん持ち帰らせてください」と答えた。
「持ち帰り、テイクアウトですね。わかりました」
その後、2週間、イナバ君は、ドキドキしながら返事を待った。
2週間目の日曜日、「ラジカセを持って、公園に来てください」という連絡が、彼女から来た。
走って公園に行った。彼女は、もう来ていた。そして、いきなり言った。「結婚します」。そんなことはない。
「お願いがあります。ビリージーンを踊ってください」
困惑しながらもラジカセオン。
マイケルジャクソンになりきって、踊りきった。
たった1人の観客の前で、イナバ君はスターになった。
彼女が言った。「記念日には、これをいつも踊ってくれますか」。
ということは?ということは?ととととということは?
それを聞いたイナバ君は、ムーンウォークを踊りながらクルクルと回った。あまりに高速すぎて、月まで届きそうな勢いだった。

あれから16年、夫婦の間には、幸せの風が吹き続いていた。
なぜ奥さんが、世界のはてまで行ってQしても探し出せないアホと結婚したのかは、わからない。私が思うに、きっとそれは幸せの風のおかげだと思う。

ところで、このアホンタジーには、ただ一つ脚色があります。イナバ君の会話の部分です。当時のイナバ君の言葉遣いは、こんなにキレイではなかったのです。
アホは、20代後半のくせにタメ語しか使えなかった。目上の人に対してもそうだ。そして、一般常識を驚くほど知らなかった。
5年間、奥さんと私が協力して、言葉遣いを矯正した。その結果、一般人に近いところまでレベルを上げることができた。
ただ、一般常識に関しては、それほど強く矯正しなかった。それを直してしまうと、イナバ君の個性が死んでしまうと思ったからだ。

記念日には必ずビリージーンを踊るイナバ君。そのときも二人の間には、幸せの風がビュビューッと吹いているに違いない。


ちなみに、初めて見たビリージーンの衝撃が強すぎたのか、奥さんはそれ以来イナバ君のことを「ビリー君」と呼んでいた。

 


9年目のハゲ

2020-07-29 05:29:02 | オヤジの日記

ハゲが、国立にやってきた。

大学時代の陸上部同期だ。

ハゲとは、大学時代、一番仲が良かったかもしれない。学部やクラスは違ったが、よく飲みに行ったり、夏の合宿では夜遅くまで語り合った。

ハゲは、最初からハゲていたわけではないので、そのときは「シバエモン」と読んでいた。苗字がシバタだったので。

ただ、大学4年から、急に髪が薄くなり始めたので、ハゲと呼ぶ回数が増えた。

人格者のハゲは、そう呼ばれても怒らなかった。私だったら「草刈正雄」と呼ばれたら、絶対に怒るのに。

 

ハゲがなぜ横浜三ツ沢から県をまたいで国立まで来たのか。こんな危険な時期に。

国立のバーミヤンで会った。

ハゲは40前になったら、髪を剃って潔く完全まるハゲにした。よく剃りきったな、と私が聞くと「だって、この方がマツも俺のことハゲって呼びやすいだろ」とツルツル頭をなでながら笑った。

それは、とてもいい笑顔だった。

ハゲは大学時代から真面目だった。将来まで見越して人生設計をたてていた。彼はみずから自分で敷いたレールを設計通りに歩こうとしていた。

嫌らしい話だが、成績は私の方がハゲよりもよかった。しかし、志はハゲが100点、私は1点だった。

志が高い人は強い。目に見えない何かが、その人にパワーを与える。

ハゲは、大学卒業後、大手の会社に就職した。モーレツ社員ではなかったが、仕事を手際よくこなし、昇級も設計図通りに果たした。

順調な人生だと思われた。

しかし、50歳を過ぎたとき、ハゲに悪魔が忍び寄ってきた。咽頭がんに罹ったのだ。

もちろんハゲの設計図に、そんなものはなかった。愕然とした。

「マツ、俺はこんなものは受け入れられないぞ」とツルツル頭を掻きむしった。

ハゲは大学時代、記録会での成績が悪いと、いつもひどく落ち込んだ。完璧主義ではなかったが、自分の目標が達せられなかったとき、自分を強く責めた。

私などは、目標を持っていなかったから、成績が悪くても、よし、明日から本気出す、俺はまだ実力の半分も出してないぜ、というヘッチャラー星人だった。

 

落ち込みきったハゲをハゲましながら、手術室に送り出した。幸い手術は成功して今8年がたつ。

ただ、それ以来、ハゲの人生観が変わった。自分で自分を縛ることをやめた。それで、気が楽になったという。自分で自分をハゲますことをやめた。

そして、会社を辞めた。真面目なハゲは、絶対に停年まで勤め上げるものだと思っていた。設計図を捨てたのか。

「新しい設計図を描いたら、こうなったのさ。設計図は何度でも描き直せるだろ」

そのあと、ハゲは横浜三ツ沢の自宅で行瀬書士事務所を開業して今に至る。順調らしい。

大学の同じ時期、私も行政書士の資格をとった。しかし、志が100点の男と1点の男の差の現実がこれだ。

でも、俺はまだ実力の半分も出していない。明日から本気出す!

 

で、なんでおまえ、わざわざ国立までやってきたんだ。相変わらずダブル餃子はうまいな。生ビールに最高にあうな。

「先週、初めてのお客さんに相談を受けたんだよ」

離婚の話だという。熟年離婚。60歳過ぎた夫婦が2人で来て「離婚したいんです」と言ったのだ。

と言われても、ハゲは離婚の専門家ではない。ただのハゲた行政書士だ。話を聞いて、ハゲしく困惑した。

「なぜ私のところへ?」と聞いた。「ご近所にあったものですから」とご夫婦は答えた。

弁護士ではなく、ハゲた行瀬書士事務所に来る説明にはなっていないと思うが。ハゲまされたかったのだろうか。

離婚したい理由は、個人情報なので書けない。ただ、離婚とは言っても、同居はし続けたいと言うのだ。ようするに、離婚して財産を真っ二つに分け、お互いの生活費はそれぞれ2人別々に負担する。食事は、お互いが好きな時間に好きなものを食べる。お互いのことは、絶対に干渉しない。

そして、遺言書を取り交わす。どちらかが先に死んだときにゴタゴタしないためだ。

しかし、それって絶対に弁護士に相談すべき案件だよな。なんで、おまえに相談なんだ。

「ご近所だからな。相談しやすかったらしい」

ハゲが、油淋鶏を食いながら、不気味に照れた。昔から赤面症のハゲの顔が少し赤くなった。タコ坊主。

 

「それで、おまえに相談に来たんだ。元法律事務所で働いていたおまえに知恵を借りにな」

私は、素っ気なく言った。それは弁護士案件だ。おまえが関わることじゃない。横浜に俺の知っている弁護士が1人いる。その人の電話番号を教えるから、この話はそれで終わりにしたほうがいい。行政書士は、プライベートには立ち入らないほうがいい。

ハゲにはハゲの役割があるんだ。できることだけにハゲめ。

でも、おまえ、こんなことのためだけに、わざわざここまできたのか。電話でもよかっただろうに。

「久しぶりにマツの顔を見たかったからな」とハゲはまたタコ坊主になった。

 

私は2杯目の生ビールを飲みながら言った。おまえの頭は密じゃないからいいよな。それほどみごとにツルツルだったらコロナも素通りだろう。

「密といえば、俺たち、大学の飲み会のあと、冬は必ずおしくらまんじゅうをしたよな。覚えているか」

覚えているさ。8人から9人で密になって、渋谷駅前の交番の横でやっていたな。あれは本当に密だった。今だったら、白い目で見られるだろう。

「いや当時も相当白い目で見られていたぞ。深夜に駅前でおしくらまんじゅうをするやつなんかいないからな」

しかし、そんなくだらないこと考えたやつは誰だったんだ。

「おまえだよ。当時のグループで、くだらないことを考えるのは、おまえしかいない。陸上部の合宿で一番最初に晩ご飯を食い終わったやつが、みんなからデコピンを受けるというルールを作ったのも、おまえだ。おかげで晩ご飯に1時間半くらいかかったからな。最後の方は、デコピン覚悟で早く食って、みんな30分くらいで食い終わっていた」

早食いは、体に悪い。みんなにそれをデコピンで知ってもらいたかったのさ。

「大学のキャンパスですれ違ったとき、挨拶が朝はゆで卵、昼はタンメン、夜はチャーシューってのはなんなんだ」

それだけ食っていれば、人間は生きていけると教えたのさ。野菜とタンパク質、脂質を摂りましょう、それがアスリートの基本だ。ありがたいだろ。

 

突然、ハゲがだまった。下を向いた。ハゲの肩に力が入っていた。何か言いづらいことを言おうとしているように思えた。

もしかしたら、2年前に私がハゲにプレゼントしたスマートウォッチを壊してしまったとか。あるいは、今さらながら、カツラを着ける決断をしたとか。あるいは、まさか・・・・・。

ハゲが顔を上げた。そして、私の目を見ずに話始めた。

「この間、定期的な精密検査を受けたんだ」

やはり、そっちの方の話か。胃がズンと重くなった。3杯目の生ジョッキをテーブルに置いた。

怖くはあったが、ハゲの言葉を待った。悪いことは考えない。それが私のポリシーだ。手術から9年目。奇跡は続くと私は信じていた。だから、今回も・・・。

ハゲが一度顔を上に向けて、大きく息をした。そして、言った。

「検査の結果は・・・異常なしだ。それが嬉しくてマツにまっ先に報告しようと思ったんだ。9年間も生存できるなんて、当時は思わなかったよ。結果を聞いたときは泣いたな。嬉しかった。ご褒美を貰った気がした。

ありがたかったのは、おまえは絶対に俺に『頑張れ』とは言わなかった。むしろ『頑張るな』というスタンスだった。あれは、俺の中の何かを変えたんだ。今まで頑張ってきた結果、重い病気にかかった。もしこれからも頑張ったら、俺は、そのままじゃないかって思ったんだ。俺は俺の免疫力だけで病気を治すって思ったんだよ。頑張る必要はないんじゃないか。その結果が、これさ。もちろん先のことはわからない。しかし、言えることは、俺はいま幸せだってことだ」

ハゲの声が震えていた。

 

私のハゲましの言葉はいつも、頑張るな、だ。いま頑張っている人に、これ以上頑張れと声をかけるのは思い上がりだ。人がその人のあるべき姿のまま生きてほしい、というのが私のハゲましだ。私の中に熱い血は流れていない。

とは言っても、嬉しいときは、素直に喜ぶ。

 

私はハゲの頭を両手で包むように、ハゲしく撫で回した。

 

ハゲ、ハゲと言いながら、泣きながらテッペンを何度も叩いた。

 

無防備な頭は、すぐに赤くなった。

しかし、それはハゲが生きている証だ。

 

 


メルヘンの鳥

2020-07-26 05:28:18 | オヤジの日記

金曜日は、久しぶりに外に出た。

立川のLOFTに買い物に行ったのだ。ただ、そのとき愕然とした。国立駅のホームに上がる階段は、意外と長い。私は、エレベータ派ではなくエスカレータ派でもない。必ず階段を利用する。階段を上り切って息切れすることはない。

しかし、今回若干息切れを感じたのだ。息切れは、すぐに収まったが、ショックだった。長いといっても東京タワーの階段を上ったわけではない。駅の階段だ。

ランニングを自粛していたツケが今ごろ出てきたのかもしれない。

「自粛おばさん」が、「ランニングは自粛しなくていいですよ」と言ってくれたら、週に2回は走ったのに。

いつも思うことだが、なんの対策も提示しないなら、感染者数の発表は事務方がやればいいのでは。毎日フリップ芸をやりたいためにテレビに出るって、時間の無駄だよね。そんな時間があったら、しつこく専門家と協議して有効な対策を練って欲しい。

「感染拡大警報」や「不要不急の外出は控えて」などというフリップ芸は、1回見れば十分。

 

中央線は、空いていた。しかし、立川駅前は、そこそこ混んでいた。そこもそこも混んでいた。

LOFTは、そこそこではないくらいに、ソーシャルディスタンスを保っていた。

すぐに目的のものを買うことができた。

こんなことは改めていうことではないが、私はウィンドウショッピングというのが苦手だ。あれいいね、これいいね、あー、でも最初に見たのが一番いいね、という買い物はしない。そんな時間的余裕がない。

最初から、買うものを決めているから、迷いがない。目的のものを見つけたらすぐ買って帰る。

我がヨメは、女性の特性なのだろうが、買い物に費やす時間が長い。決定までに時間がかかる。折り畳みの日傘を買うだけで1時間以上かかる。それぞれどこが違うのだろう。違いがわからぬ。

買い物で意見を求められたときは、私は、いいねいいね、それが最強、と答えるのだが、ヨメは私の意見に従ったことは一度もない。

最終的には、店員さんの意見に従う。

期待していないから、私もその結果に落胆することはない。私の意見は、すぐに泡のように消える。

バブルおじさんですよ。

 

バブルおじさんは、また国立に戻った。

そして、大学通りの木のベンチに座った。手には、コンビニで買ったクリアアサヒとバターピーナッツがあった。

観賞するために買ったわけではない。飲んで食うために買ったのだ。

飲んで食った。

みなさんが働いている時間に、こんなゆるい時間を過ごすのは申し訳ないが、飲ませてください、バターピーナッツをください(あっ、連休だった。だったら気を使うことはないか)。

 

脱力しているとき、私の足元に小さい子猫の形をした猫がやってきた。

茶と黒と白のハチワレ君だ。生後6ヶ月程度と思われる。

首輪をしていないので、野良ちゃんだと思う。人懐っこいのは、人間に警戒心を抱いていないからだろう。

ニャニャ、と声かけたら、寄ってきた。そーっと手を伸ばしたら、怖がることなく触らせてくれた。撫でた。

おー、懐かしい感触。そのあと、いつも持ち歩いているちゃおチュールをバッグから出して口元に持っていった。

なんのためらいもなく食べてくれた。人に相当慣れていると見た。

私の住む国立は猫に優しい街だという。野良猫に餌をあげていると、他のところでは「なに、ノラにエサあげてるんだよ。これ以上ノラを増やすな」と怒る人がいる。「猫にエサをやるな」という看板もたまに見る。

しかし、国立は、その点ではフリーだ。

ここでは、野良猫ちゃんは、地域猫という形で扱われているようだ。つまり、みんなのノラちゃん。

試しに、膝の上に乗せてみた。逃げなかった。撫で撫でした。

至福の時間だ。クリアアサヒとバターピーナッツがうまかった。

セキトリか、君はセキトリか、と聞いたが、もちろん返事はない。君はこの地域では、なんと呼ばれているんだろうね。

持ち帰ろうかと一瞬思った。本当に強く激しく思った。でも、この子はこの地域の子だ。色々な人に愛されるのが、一番幸せなんだと思い直した。

5分ほどで猫は降りて、優雅にのそりのそりと花壇に入っていった。

ノラ君、また会おうな。

今度は、マグロ味ではなくて、帆立の貝柱味を持ってくるから。

 

ノラ君との再会を待ちわびながら、満足してバターピーナッツを食い終わり、クリアアサヒを飲み終わった。

食い終わって、立ち上がったとき、肩に何かが乗ってきた。

「つるとんたん」じゃん。

私が勝手に名付けたつるとんたんは、ハクセキレイだ。私がマンションの駐輪場に降りると5割以上の確率で、私のそばに降り立つのだ。そして、テケテケテケと歩きまわり、ときにツピーツピーと鳴いた。

最初は偶然かと思ったが、今では、この子は私を認識しているんだな、と思うようになった。

肩に乗せたままマンションまでの300メートルを歩いていった。

つるとんたんは逃げずに肩に乗ったままだった。

側から見たら、肩に鳥を乗せた変なオッサンだ。恥ずかしいオッサンだ。だが、私は生まれたときから恥ずかしい子どもだったので、大人になっても恥ずかしいのは当たりまえだ。どこが悪い!

マンションの入り口まで来て、じゃあ、つるとんたん、またな、と羽根をなでながら言ったら、つるとんたんは、スーッと飛んでいった。

 

私は、いま夢のようなことを考えている。

たとえば、つるとんたんを肩に乗せて自転車でスーパーに買い物にいく。そして、つるとんたんをスーパー前の適当な場所に止まらせて、買い物後に、また肩に乗せて帰るという夢だ。

そんなことは、絶対にできない、野生の鳥はそこまで人に慣れない、というのが、常識的な意見だと思う。

それは、メルヘンだな、という意見もあるだろう。

 

 

だけど、そんなメルヘンも、あっていいよね。

 

 


ソウルフード

2020-07-22 05:30:50 | オヤジの日記

最近、我が家の昼メシは、ほとんど焼きそばである。

 

子どもたちの在宅ワークが始まるまでは、夫婦2人の昼メシだから、適当な残りものを食っていた。

しかし、4人分となると適当であったとしても、ボリューム感が欲しい。そこで、焼きそばを出したら、「美味美味美味」と絶賛された。

それから、ほぼ毎日昼は焼きそばだ。

麺は太麺オンリー。私はむかしからラーメンも太麺派だ。焼きそばには、肉は入れない。だって、肉を入れたら、肉焼きそばになってしまうから。主役が焼きそばではなくなってしまう。

具材は、モヤシとキャベツとニラ。この3つは、決して主役になろうとしない。脇役に徹している。偉い子たちだ。

毎日、ソース焼きそばでは飽きるので、ソースは変える。焼きそばソース以外では、オイスターを使ったり、お好みソース、中濃ソースプラスオイスターソース、鶏ガラと塩、トマトソース、煮干しを煮込んだ出汁、キムチ納豆などで焼き焼きすると味が変わって大変美味。それぞれ、好みでカツオ粉をかけたり、マヨネーズ、青のり、卵黄をかけると、さらに美味。

食材にお金がかかっていないから、コストパフォーマンスはコストコ。

 

焼きそばは、我が家のソウルフードだ。

ソウルフードで思い出したが、何年か前のツィッターで、「ラーメン二郎のラーメンは、やっぱりうまいな。ラーメンは俺のソウルフードだ」というツィートがあった。

それにたいして、「バカヤロー、ラーメンはソウルの食べ物じゃない。立派な日本食だ」というコメントが何件も寄せられたという。

ソウル違い。

たとえ冗談だとしても程度が低い。

以前、テクニカルイラストの達人・アホのイナバ君に、君のソウルフードは何? と聞いたことがあった。

「ああ、サムギョプサルですね。あれなら毎日でも食べられます。いや、毎日は無理かな。1ヶ月に2回は食べてもオーケーですね。オーケー牧場。韓国料理は本当にうまい」

同じソウル違いでも、イナバ君の場合は、ホンワカしている。

 

ソウルと言えば「ソウルから来た娘」。

2年前に、ソウルから来た娘がいた。その当時29歳だった。

名前を「ユナ」と言った。娘の大親友だ。7歳年上。

ユナちゃんは、子どもの頃から日本が大好きで、韓国ドラマやKPOPには見向きもせず、日本文化に傾倒した。

ユナちゃんは、アイドルグループの嵐が特に大好きで、嵐の歌の歌詞を理解したいために、日本語を独学で習得し始めた。

11歳のときだ。

インターネットで日本のサイトを開き、読み書きを勉強した。会話に関してはYouTubeで勉強した。

高校3年で、会話読み書きは通用するレベルになった。

そのとき、ツィッターの世界で我が娘と出会った。娘は、KPOPにハマりかけていた頃だった。KPOPの情報を少しでも取り入れたいと思って、日本語を自在に操るユナちゃんにアピールした。

「私、KPOP嫌いなんだよね」と最初は拒否されたが、娘が12歳のときから、メール付き合いが始まった。基本、会話は日本語だが、娘が勉強中に難しいハングルの表現に出くわしたときは、ユナちゃんが丁寧に教えてくれた。

優秀な人が教えると習得も早い。娘は大学1年ごろになると、ハングルが、そこそこ操れるようになった。

そこで、娘はソウル留学計画を立てた。

大学3年の後期だ。

留学する前に、娘はユナちゃんに頼まれた。

「うちの両親は、筋金入りの反日なの。日本のことを話すとすぐに機嫌が悪くなるの。でも、夏帆みたいないい子が日本にたくさんいるってわかったら、少しは心を開くかもしれない。お願い協力して」

ユナちゃんの夢は、日本で働くことだった。それを知っていた娘は「わかったぞなもし」と快く快諾して諾諾した。

 

ユナちゃんの家に行っても、最初は、ご両親からまったく無視された。しかし、人間には根気と婚期が必要だ。婚期を逃しても人生の流れが少し変わるだけだが、根気がなくなると「あー、俺の人生なんか、どうでもいい!」と自暴自棄になる。それは、よくない。

娘は婚期根気よくユナちゃんのご両親にハングル語で話しかけた。

すると、ご両親の反日は直らなかったが、留学が終わるころには「夏帆はいい子だよ。この子は信用できる」と言ってくれるまでになった。

そのあと、ユナちゃんはジワジワとご両親を懐柔し、2年前に日本で働くことを許してもらった。

 

そのユナちゃんが、日曜日の夕方、我が家にやってきた。

ただ、いつもと景色が違った。隣に未確認生物がいたのだ。その生物は、ネクタイを締めてお土産らしきものを持っていたのだ。

生物学的には、人間に近い。もしかしたら、男かもしれない。

ユナちゃんが言った。

「ねえ、お父さん、この人が前から言っていた彼氏だよ。連れてきたよー」

ユナちゃん、嬉しそうだね。

「お父さんお母さんご家族の皆様、はじめまして」未確認生物が日本語を喋った。

なんか、固そうなやつだな。つまんねえな。でも、顔はいい。「男梅」のような顔をしていたのだ。これが「カールおじさん」だったら、袋ごと潰してやったのに。

年齢は、ユナちゃんより2歳下。30歳だという。老けてますねえ。

馴れ初めは、とっくに聞いていたので、その話はパス。

 

ちょうど晩メシの時間だった。普段なら、私の手料理を振る舞うのだが、振るのも舞うのも面倒くさかったので、出来合いの弁当を食うことにした。オープンな食事は危険だと判断。

ガスト弁当だ。娘とユナちゃんと男梅に買ってきてもらうことにした。

私だけが、マヨコーンピザ。他の5人はハンバーグ系の弁当だった。

食っている間の話題は、ユナちゃんと男梅が勤めている病院のことだった。シビアな話を聞かされたので、生々しくて割愛。

 

最後に、みんなのソウルフードは何? という話が出た。

私は焼きそば。娘はラーメン。息子は唐揚げ。ヨメは、ケンタッキーフライドチキン、ユナちゃんはおでん。

そして、男梅は「辛ラーメン」と答えた

 

 

それって、ボケたの? 狙っているの?