リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

カップラーメンは永遠に

2020-08-23 05:28:03 | オヤジの日記

前回、娘の専属ドライバー・ワセダ君が我が家に挨拶に来るというのをお伝えした。
しかし、都合のいいことに、日曜日は、私に急ぎの仕事が入った。
娘に、悪いな、延期しよう。ワセダ君に伝えておいておくれ、とお願いした(ヘッヘッヘ、永久に来なくていいぞ)。
娘がLINEすると、すぐに返信が来た。「では、土曜日は、どうですか。僕は、今週の金曜から火曜までお盆休みの代休を取ったんです。土曜日が空いていたら、是非」

運の悪いことに、土曜日の仕事は、ほんの少ししかない。午前中にチャチャチャッとやれば仕事は終わる。
午後はウォーキングをしようと計画を立てていた。だが、ウォーキングするから無理だもんね、とはさすがに言えない。
仕方ない仕方ないシッタカナイ。

私は、ワセダ君に伝えてくれ、と娘に言った。
スーツは絶対に着てくるな。たとえば、上がカラフルなアロハシャツで、下が明るい色の短パンだったら許す。
さあ、どんな格好で来るのかな。
出迎える私の方も、着るものには思い悩んだ。
しかし、自然体が一番いいと思ったので、普段着の甚平を着ることにした。ただ、ひとつだけ変化を加えた。
ジンベイザメの絵を描いて、それをアイロンプリントし、背中に刷りこませたのだ。
気づかないかもしれないが、遊びは大事ですよ。

土曜のお昼前、ワセダ君がやってきた。
顔は、落語家の立川志らく氏から、すべての毒を取ったような暢気な顔だった。
身長は、170に満たないかも。体型は中肉中背という、つまらないものだった。
「あのー、初めてお目にかかります」とありきたりの挨拶をされたので、挨拶は時間の無駄だから、上がって上がって、とダイニングの椅子に案内した。
注目のワセダ君のファッションは・・・・・上はアロハシャツ、下は鮮やかなオレンジの短パンだった。そして、スポーツサンダル。
プラス1点!

席に着く前に、お土産をいただいた。ヨメは大好物のくず餅、息子は手作りソーセージの詰め合わせ、娘はiPhoneのケース、私にはNIKKAの「余市」だった。
悪いですね、全員にお土産なんて。ただ、お土産を貰ったからと言って点数が上がるわけでもないけどね。
そして椅子に座った途端、自己紹介をしようとしたので、娘から全部聞いているから、悪いけど、そこは端折ろうかとストップをかけた。
その代わりに、こちらが自己紹介をした。
私が、変なお父さんです。隣が、変なお母さんです。その隣が変な息子です。そして、君の隣が変な娘です。合わせて、仲よし家族です。
「いいですね。僕なんか、そんな粋なキャッチフレーズはないです。強いて言えば、『変なひとりもの』でしょうか」
変なひとりもの、いいね。プラス1点!

雑談の中で、ワセダ君が資格マニアだということがわかった。運転免許だけでなく、仕事関係の資格、通訳の資格、中国語検定1級など。
なかでも私がうらやましいと思ったのは、一級小型船舶免許だ。
すべての水域をスイスイと操縦できるなんて、ロマンがあるではないか。
「これは遠い夢ですけど、いつかクルーザーを手に入れて、日本一周をしてみたいです。そのためなら、どんなに辛くても頑張れそうな気がします」
熱量の高い言葉だが、おっとりとした話し方をされると熱が伝わらない。でも、夢を持つっていいよね。
プラス1点!

ところで、もうお昼ごはんの時間だね。今から言う3つから選んでもらおうか。2つは、私の手料理だ。
1、回鍋肉、2、ペペロンチーノ、3、カップラーメン。
「カップラーメンをお願いします」即答だった。君、食生活が貧しいんだね。生活習慣を変えた方がいいよ。
全員がカップ麺を食うことにした。ワセダ君と娘は「ラ王」。息子は「凄麺仙台辛味噌」。ヨメは「ペヤング」。私は「まるちゃん赤いきつね」。
さすがに、カップ麺だけでは寂しいので、他の4人には、チャーシュー3枚と煮卵をつけた。私は、お稲荷さん1個をつけた。
アクリルの衝立を着けたので、マスクなしで心おきなく麺がすすれた。
やはり、と言うべきか。食べ終わったのが一番遅かったのは、おっとりのワセダ君だった。しかし、スープの一滴まで飲み干した。
「満足です。大満足です」
満足は、いいんだけどね。俺の回鍋肉はもっと旨いぞ。

食後の雑談は、「あつまれどうぶつの森」だった。
私以外の4人は、実際にゲームをしているから、とても詳しい。
私は、全然知らんので、いただいた余市を飲んで暇をつぶした。うまいよ、余市。本格的なウィスキーを久しぶりに飲んだ気がする。ワセダ君、プラス1点!
そのあと私は、君は娘と食事に行ったことはないんだよね、と聞いた。
「まだ無理ですよ。緊張して、きっと食事が喉を通らないと思います」とワセダ君は生真面目な顔で答えた。
しかし君は、いま娘の隣でカップ麺を美味しそうに食ってたよ。喉を普通に通ってたと思うよ。
「ああ、たしかに」

そんな話をしたあと、ワセダ君が、「少し娘さんをお借りできますか。ドライブしようと思っているんです。河口湖に行ってみようかなって」と頭を掻きながら言った。
いいよいいよ、行ってきなさい。
「5時過ぎには、帰ってまいりますので」

ちょうどよかった。明日の急ぎの仕事のために、休養が欲しかったところだ。早速私は、ダイニングの隅っこにテントを張って寝ることにした。
この状態のときは、誰も話しかけてこないから、天国なのだ。
2時間ぐっすり寝て、テントを畳んでいたとき、二人が帰ってきた。
お土産に、クソ面白くもない河口湖プリンなどというものを買ってきてくれた。俺、食えないけど、ありがとね。
「では、僕はこのへんで失礼します」
晩メシは、食べていかないのかい。今日は、自家製ピザだよ。美味しいよ。
「いえ、初めてお会いして、晩ご飯までいただくなんて、できません」
つまらないやつだな。
では、こちらからもお土産をあげよう。ラ王、正麺、すみれと自家製チャーシューだ。持って帰るかい。
「あ、いただきます。明日ソロキャンプに行くつもりなので、昼夜朝に食べます。ありがたいです」

君ね、本当に食生活を変えた方がいいと思うよ。金は十分あるだろうに。

帰り際に、ワセダ君が言った。
「その甚平の背中にジンベイザメの絵が書いてありますよね。それって、お父さんのアイディアですか」
そうだよ。
「いいなあ、僕には、そんなセンスまったくありませんよ。うらーらやましいです」
今ちょっと噛んだね。
俺には、小平の豪邸とキャンピングカーが、うらやややましいけどね、


でも、ワセダ君。最後にプラス1点!


 


ラブコメディは突然に

2020-08-19 05:27:00 | オヤジの日記

残念なことを書かねばならない。
ただ、後半は希望にあふれている。

今年の5月末、娘が彼氏と別れた。
形としては、煮えきらない彼に嫌気がさしたというところだろうか。
大手電機メーカーに勤める彼は、去年の10月にヴェトナム赴任の辞令を受けた。彼にとって、一番好ましい辞令だった。なぜなら、彼の血には、ヴェトナム人の血が4分の1混じっていたからだ。
父方の祖母が、ヴェトナムだった。祖母にヴエトナムの話を子どもの頃、よく聞かされた。決していい話ばかりではなかったが、祖母から「ヴェトナム人は、誠実で働き者なんだよ」ということを聞かされていた。
「ただ日本人はヴェトナムの子をスケべな目でしか見ないけどね」「日本人は、金を持つと卑しくなるね。あんたは、そうなっちゃダメだよ」

大好きな祖母の国、ヴェトナムで働ける。それは、彼のモチベーションを確実にあげた。
しかし、ここでご存知のように、新型コロナが、世界中で猛威をふるい始めたのだ。
3月の終わり、彼は海外赴任の中止を言い渡された。延期ではなく中止だ。
上がっていたモチベーションが一気に下がった。
愛する祖母の国、ヴェトナムが遠ざかった。
4月から、仕事は在宅ワークに変わった。一時的ではなく、半永久的な在宅ワークだという。
そのことも彼からやる気を奪った。飼い殺しにされている気がした。まさに陰陰滅滅。
娘は、LINEで幾度か励ましたが、時に返事が返ってこないこともあった。既読さえつかない。
電話も2回に1回くらいしか繋がらない。どこかで会って話をしたいが、店は休業中。では、公園で、と提案すると、「自粛警察が怖いから嫌だ」。
駄々っ子である。

娘の決断は早かった。
「支えようと思ってもそれを拒むなら、私がいる意味はないよね」
5月の末に別れた。これをコロナ破局というのか。
その後、娘は私の前では明るく振る舞っていたが、夜になるとときどき部屋から嗚咽が漏れることもあった。
初めての別れ。平気なわけがない。
日曜日になると娘の大好きなハリーポッターを一緒に見た。そのときは、見終わると幼稚園児のときの無邪気な笑顔になった。
ハリーポッターは、やっぱり、魔法が使えるんだな。娘をこんなにも無邪気にしてくれるのだから。

そして、ときは今。
ダンスしながら、私の前を通るとき、屁をぶっ放す恒例行事も戻ってきた。
娘は、自然な笑顔を取り戻した。
その理由ですか、聞きたいですか。でも、聞くと不愉快な思いをされる方も多くいるかもしれない。
世の中には、人の幸せを妬む人が、少なからずいる。
だから、なるべく妬まれない書き方をしたい。

8月初め、原宿のテラス席のあるカフェで、娘は高校時代のお友だちと会っていた。ただ、2人だけではない。お友だちのお兄さんが、一緒だった。
お兄さんは、T大卒。日本最大手の通信会社に勤めていた。エリートだよね。
さらにもう一人いた。お兄さんの同僚のワセダ君だ。ワセダ君と言っても、彼はW大出身ではない。K大卒だ。新宿早稲田に住んでいるので、ワセダ君と呼んでいた。彼もエリートだよね。
娘は「これって合コンなのか」とお友だちに目配せした。
お友だちは、「食事会ズラ」と答えた。お友だちの兄が、咄嗟に髪に手を当てた。
ヅラなのだろうか?

ラインの交換をした。
その2日後、早速ワセダ君からLINEが来た。「僕仕事が終わったので、今からドライブしませんか。8時半までに家まで送りますので」。午後6時過ぎ、娘も帰り支度をするところだった。
いきなり来たのか、と思ったが、ドライブくらいならいいと思った。ワセダ君と娘の会社は近い。車で10分もかからない距離だ。
駅までの道をゆっくり歩いていると、声をかけられた。「夏帆さん、乗ってください」。
車はアウディだった。さすがエリート、外車かよ。
「あ、もし喉が渇いていたら、後ろのクーラーボックスに飲み物が入っていますから、お好きなものを」
とてもおっとりした話し方をする人だった。風貌は素朴そのもの。性格は朴訥。着ているスーツもエリート気取りが着るような外国製ではなく、どこにでもあるようなものだった。青山か青木かな。
運転も慎重だった。おそらく煽り運転はしないタイプだ。ハンドルを握ると性格が豹変するバカでもない。

下り方面の道は空いていた。その道を法定速度を守りながら運転した。
そして、聞きもしないのに、自分のプロフィールを語り始めた。
K大卒。30歳。大学時代はボート部に所属していた。そして、卒業後は、最大手通信会社に勤務。家族構成は、祖母と両親、弟夫婦だという。
実家は、東京小平。ここに二世帯住宅を建てて暮らしていた。だが、昨年の9月、部署が変わったので、彼は東京早稲田のマンションに移った。その方が通勤が楽だからだ。
マンションは高級マンションではなく普通の賃貸マンションだという。1DK。食事は作らない。休日などは、昼はカップラーメン、夜はコンビニ弁当で済ますらしい。ちなみに平日の朝昼は、会社の社員食堂。夜は、カップラーメンかコンビニ弁当。
本当に、エリートか。
趣味は、ドライブとカヌー、1人キャンプ。
「基本的に1人が好きなんです」

その日は、約束通り8時20分ごろ家まで送ってくれた。
早速、夜寝る前にドライブデートのことを娘から聞いた。
で、次のデートは?
「LINEをくれるってさ」
おっとりしたエリートか。出世争いは厳しいかもな。
「でも、人間の価値はそれだけじゃない。何を成し遂げたかだ。それは、いつもおまえが言っているじゃないか」
俺、そんな格好のいいこと言ったかなあ。

事態は、そのあと急転直下で進んだ。
2回目のドライブデートのあと、「今度の日曜日に実家に遊びに来ませんか」と誘われた。
でも、「こここ心の準備が」と断ろうかと思ったが、「僕の弟は、実家の近くでステーキ店を経営しているんですよ。他では食べられない極上のステーキを振る舞いますよ」と言われて、気が変わった。
最近、娘は急速に肉好きになったのだ。サムギョプサルやチーズタッカルビは2人前食うし、しゃぶしゃぶも相当食う。
日曜日、ご訪問した。
想像の2倍くらいでかい家だった。玄関が十畳くらいの広さだった。正面にでかい水槽があって、色とりどりの魚が気持ちよさそうに泳いでいた。それを見て、和んだ。
ご挨拶がわりに有名どころのシフォンケーキを渡した。シフォンケーキは、おばあちゃんの大好物だと教えてくれたからだ。
リビングに案内されると、弟がすでに業務用の鉄板でステーキを焼いていた。「毎度、いらっしゃい」と挨拶された。
面白い家族の予感。

7人で同時にステーキを食べた。テーブルは、アクリル板で仕切られていた。感染症対策は万全だ。さすがプロ。
ステーキが美味すぎて、いつもは食べないクレソンまで食べた。気がついたら、誰よりも早く完食していた。
ワセダ君の弟が、「感激だなあ、こんなにも美味しそうに食べた人は、常連のお客さんにもいませんよ。料理人冥利につきます」と言って、立ち上がって頭を下げた。
娘も立ち上がって、「とても美味しかったです。御招待客冥利につきます」と言って、頭を下げたら、みんな拍手をしてくれた。

つかみはOK。

そのあと、家のまわりを案内してもらった。
家の隣には、車が5台は格納できそうなガレージがあった。
中を見せてもらうと、ベンツとフォルクスワーゲン・ポロ、あとは本格的なキャンピングカーだった。
夢でも見たことのない車がいっぱい。
「息子は、このキャンピングカーを使って、いつも1人キャンプをしているんですよ」とお父さんがおっとりと説明してくれた。
「贅沢過ぎますねえ」と言ったら、おばあちゃんに大受けした。

そのあとは畑。畑は3面あった。どれも野菜を栽培していた。
トマト、ナス、キュウリ、トウモロコシ、ジャガイモ、大根、チンゲンサイ、空芯菜など。
半分自給自足だそうだ。
とれたて野菜をたくさんお土産にもらって、その日はお開きになった。
「また来なさいよ。絶対に来なさいよ。楽しみにしているから」とおばあちゃんが、涙ぐみながら両手を握った。
帰りもワセダ君に送ってもらった。
そのときワセダ君が、予期せぬことを言った。「来週の日曜日、ご家族に会わせてもらいたいんですけど」
「えー! だってうちのお父さん、変だよ。会わないほうがいいよ」
そうです、私が変なお父さんです。ダッフンダ!

次の日曜日、ワセダ君が我が家にやってくる。

少しでもいいお父さんのふりをした方がいいのだろうか。
いつも着ている地味な甚平で出迎えた方がいいのか。

それとも目がチカチカするような色の甚平をヨメに作ってもらった方がいいのか。

あるいは、ジンベイザメの着ぐるみで出迎えるべきか。


悩んでいる。

 


「先輩」と呼びたくなくて

2020-08-16 05:29:00 | オヤジの日記

8月12日夜、テクニカルイラストの達人・アホのイナバ君からLINEが来た。
「Mさん、今日が『ペルシャ症候群』のピークらしいですよ。見ましょうよ」
「ペルセウス座流星群」だけどね。

夜12時過ぎに見えるというので、天体望遠鏡をスタンバイして、ベランダで待った。雲が多かったが、雲が途切れることもあった。
しかし、観ていた方角が悪かったのか、1個しか観測できなかった。それ対して、イナバ君は6個。やはり、アホは「持っている男」だった。
ところで、なぜ私のようなビンボー人が、天体望遠鏡を持っていたのか。それは、もらいものだからだ。
京橋のウチダ氏に、誕生日プレゼントとしていただいたのだ。

京橋のウチダ氏は、5歳下の友人だ。付き合いは20年以上になる。
ウチダ氏が、新橋のイベント会社に勤めていたとき、2ヶ月に一回程度仕事をいただいていた。その窓口が、ウチダ氏だった。
ここの仕事は楽だった。社内のデザイナーがあらかじめヘッドデザインを考えたあとだったから、私の仕事は仕上げをすることだけだ。
社内のパソコンを使って、いつも3時間程度で仕上げた。
仕事が終わると、ウチダ氏が「僕も終わりなんで、一緒に帰りましょう」と誘われることがあった。
行くのは、新橋の立ち飲み屋。
350円で、ビール1缶と缶詰1個とイカの燻製などの乾きものが飲み食いできたのだ。
ウチダ氏と私は、好みが似ていて、缶詰はイカの醤油煮、乾きものはピーナツだった。
ある日、立ち飲み屋でウチダ氏から、衝撃の発言が飛び出した。
「うちの会社、倒産するんですよ」
しょうが焼き、いや、ショウゲキ!
いつなの?
「あと2ヶ月ですかね」と言いながら、ウチダ氏は諦めたように、浅く笑った。

その後、どうなったかは気になったが、詳しく聞くのは気が引けた。聞けないまま4ヶ月が過ぎた。
せいぜい2年くらいの付き合いだから、このまま自然消滅もあり得るかな、と思っていた。
そう思っていたとき、木枯らし一号が吹いたその日の夜、ウチダ氏から電話があった。
「Mさん、ご無沙汰しています」という固い挨拶から話は始まった。
ウチダ氏の話はいつも長いので、これから先は私が要約することにした。

ウチダ氏の奥さんは、株をやっていた。もともと証券会社に勤めていたから、知識の蓄積はあった。
会社を辞めてから、10年で、それなりに利益を上げることができた。
それを原資にして、ウチダ氏は、独立したという。
事務所は都内有数の高級ビジネス街、東京京橋だ。広さは、約21平米。家賃を聞くと「ご想像にお任せします」というつまらない答えが返ってきた。
京橋に土地勘のある私の推測では、24万円と見た。
大丈夫なの? 
「大丈夫です」とウチダ氏は、自信満々に答えた。
倒産した会社には義理がないから、今までの取引先に片っ端から電話して、4つの仕事をゲットしたという。新規開拓も1つ。
「ゼロからのスタートとしては上出来ではないでしょうか」
奥さんの期待を裏切らないでね、などと無神経なことを言うつもりはない。
それも含めての覚悟の船出だ。

ウチダ氏の事業は、その後、順調に流れ、京橋に居座った。
しかし、私にとって、困ったことができた。
ウチダ氏の話し相手を務めることになったのだ。
2週間に1回、京橋に呼ばれて、ウチダ氏の話を聞く。長いときは5時間は拘束される。取り止めのない話を延々と聞かされる。
ウチダ氏はワンカップの日本酒。私は冷蔵庫からクリアアサヒの500缶を盗み、カマンベールチーズをつまみ、時に2万円はするというキャビアの缶詰を大胆にスプーンですくって食うのだ。
キャビアって、じょっぺえな。こんなの世界の珍味と言われない限り、誰も食わんだろう。

ただ、いいこともあった。
私は、ウチダ氏の愛人でもないのに、事務所の合鍵を預かっているのだ。
それを使って私は、ウチダ氏の事務所に潜り込み、冷蔵庫からクリアアサヒを盗み、カマンベールチーズ、モッツァレラチーズ、高級キャビアを盗み食いした。
そして、ソファに寝っ転がって、36インチのテレビで、ブルーレイの映画を見たりした。
最高の息抜きだ。
平和な日々だった。
しかし、その平和な日々は、新型コロナのせいで、分断された。
自粛生活。ステイホーム。緊急事態宣言。
ウチダ氏も3ヶ月間の休業を余儀なくされた。3ヶ月間、無収入。「もちろん、補償は受けましたけど、全然足りないんですよね」
ただ、ウチダ氏は恵まれている方だ。日本の株は、コロナ禍でも堅調だった。
奥さんの持ち株は、ほぼ高値を維持していた。それに奥さんは、投資の勘が鋭いのか、10年以上前に、金を購入していた。
いま金は、有事ということもあって、高騰し続けていた。「だから、気持ち的には、僕たち家族は悠然としていられるんです」。
コロナで瀕死状態の経営者が聞いたら、殴りたくなるだろうが、これは奥さんの努力の結果だし、適正なバランスなのだから仕方がない。

「いま7月あたりからポツポツと仕事は入ってきています。全盛期の半分以下ですけど、コロナが終息していないのに、いきなり元に戻ることはあり得ないでしょう。昔には戻れない。その覚悟で、減った仕事の穴を埋める新しい事業を模索しているんです。これって、経営者の醍醐味ですよね。だから、いま僕はワクワクしているところなんです」
真面目だね、ウチダさん。野心家だね、ウチダさん。ものすごーーーい遠くの影から、応援してますよ。

こんな風に男前のウチダ氏だが、私は一つのわだかまりをウチダ氏に持っていた。
7年前のことだ。
当時、1ヶ月に2回、ウチダ氏に呼ばれて、延々と話を聞くことに疲れた私の脳に、ピカチュウ、と閃いたことがあった。
それは、新宿でいかがわしいコンサルト会社を営むオオクボのでかい顔だった。
話を聞くだけなら、オオクボの方が、この役目に相応わしいのではないか。オオクボに打診すると「いいぜ」と言ってくれたので、ウチダ氏をオオクボに丸投げした。肩が軽くなったたた。
オオクボに相談するとなると、完全にビジネスになる。ウチダ氏にとっても、その方が相談しやすいのではないか。
ウチダ氏とオオクボは、すぐに打ち解けた。打ち解けたのには、理由があった。

丸投げから1年後に、オオクボからLINEが来た。「いまウチダさんが事務所に来ているんだ。昼メシ一緒に食わねえか。もちろん俺の奢りだ」
おまえの奢りは当たり前だ。
事務所に行くと、ウチダ氏が爽やかな顔で応接セットに座っていた。久しぶりではないので、おひさしブリーフ、とは言わなかった。
「弁当屋に、弁当を頼んだ。俺とウチダさんは、ステーキ弁当。おまえには、アジフライ弁当と揚げ出し豆腐を頼んだ。これでよかったか」
オオクボ、ナイスチョイス。俺はアジフライが32番目に好きなんだ。揚げ出し豆腐は、106番目だ。おまえとしては上出来だ。
語り合っているうちに、弁当が到着した。「冷蔵庫に一番搾りが入っている。好きなだけ、飲んでくれ」
自分では、そう言っておきながら、オオクボもウチダ氏も飲まなかった。仕事があるかららしい。俺だって、仕事の途中だぜ。でも、飲むもんね。
食いながら話しているうちに、ウチダ氏が、引っかかることを言った。
オオクボのことを「先輩」と呼んだのだ。

はい? はい? はい?

ウチダさん、いまオオクボのことを「先輩」と呼んだよね。
「知らなかったのか。ウチダさんは、俺たちの後輩なんだ。5学年下だから全く接点はなかったが、OBなんだよ」
知らなかった。聞かされなかった。気づかなかった。
でも、どーしてーーーーーー。
首をかしげながら、一番搾りを飲み、どさくさに紛れて、オオクボのステーキを1枚盗んだ。
「Mさんを『先輩』と呼ぶのには、抵抗があったんです。だから、教えなかったんです」
まあ、納得だけど。
オオクボは、顔も態度もでかい。声もでかい。外車に乗っている。足が短い。
「先輩」と呼ばれるのに、相応わしいかもしれない。

でもね、ウチダさん。俺は、別に先輩と呼ばれたいわけじゃないんだ。
ただ、同じ大学だということは、教えてほしかった。
そうすれば、共有できるものが増えたのではないか。

いや、本当ですって。
俺は、先輩と呼ばれたかったことは一度もないんですって。
むしろ、先輩と呼ばないで、というのが俺のポリシーだ。

だから、本当ですって。
先輩と呼んで、などと一度も思ったことはないんですよ。


じゃあ、どうでもいいじゃないか、という話だ。
まあ・・・・・そうなんですけどね。
 


バーチャルおとうさん

2020-08-12 05:27:00 | オヤジの日記

いつもお寄りいただき、ありがとうございます。
さて、このたび、私事ですがブログをお休みさせていただくことに・・・・・はなりません。
これからも、しつこく続ける予定です。
まぎらわしい言い方をして、申し訳ありません。すべての責任は、私にあります。

という前振りのあと、3回続けて、大食いのミーちゃんのお話。
もう飽きたという方は秋田にGO TOトラベルせずに、次の方のブログにお移りください。
前回、土曜日までの話はした。今回は、日曜日、月曜日のお話。
日曜日、朝10時前に起きた2人は、「おとうさん、おはよう」と元気よく言ったあと、すぐに「あつまれ どうぶつの森」をやり始めた。
どうぶつの森をやるのは初めてのミーちゃんは「ワクワクするぜ。これやりたかったんだ」と最初からリキが入っていた。
さすがに、嫁ぎ先では、よほど神経の太い人以外、ゲームはできないだろう。
娘は、アドバイス役に回った。アドバイスが的確だったのか、ミーちゃんは順調に島を作っていった。
私は、2人の邪魔をしないように、食材の買い出しに出かけた。
駐輪場に降りると、つるとんたんと名付けたハクセキレイが舞い降りてきて、テケテケテケと歩いて歓迎の舞を踊った。
私が、つるとんたん、買い物に行ってくるからまたな、と言うと、つるとんたんはスピースピーと鳴きながら飛んでいった。

1週間分の食材を買って帰ったら、娘とミーちゃんが台所に立っていた。昼メシを作っていたのだ。
我が家の昼メシの定番、焼きそばだ。
娘は焼きそばを焼く係。ミーちゃんは、あんかけを作っていた。あんかけやきそば、いいねえ。匂いが食欲をそそるね。
1時前にできた。みんなで食った。ミーちゃんだけ3人前の大皿。我々は、普通サイズのお皿だ。ミーちゃんは、これに丼ライスがつく。
無限大の胃袋を持つ人は偉大だ。胃大とも書く。医大ではない。
ところで、あんかけ焼きそばは、空前絶後の美味さだった。誰が作るあんかけ焼きそばよりも美味かった。嫁ぐ前の1ヶ月間、料理指南をしたが、そのときより5ステップ、スキルアップしていた。旦那の若チャマもお喜びだろう。
食い終わったあとの皿洗いも2人がした。もっとくつろいでもいいのに、働きもののが身についてしまったようだ。
いい嫁さんじゃないか。

皿洗いが終わると、突然ミーちゃんが言った。
「ねえ、おとうさん、テントはどこ」
そこまで覚えていたのか。
私は家族にさえ、自分の疲れ切った顔は見せたくない。ゴロゴロと寝転がる姿も見せたくない。
マックスに疲れたときや風邪をひいて熱を出したときなどは、ダイニングの隅っこに1人用のテントを設営して、潜り込んで寝るのだ。
これで、疲れは取れるし、大汗をかいて熱が下がることもある。魔法のテントなのだ。
ミーちゃんは、そのことを覚えていたのだ。お言葉に甘えて、隅っこにテントを張った。そのままでは暑いので、2箇所ある天井の窓を開けた。そうすると、うまい具合に部屋の冷気が入ってきて、快適空間になる。
ミーちゃんが気を利かせて、クリアアサヒと柿の種を差し入れてくれた。飲んでいるうちに眠くなったので、眠った。
起きたのは、5時半。
そのころには、どうぶつの森の島作りは、相当進んでいた。いくつか訪れるイベントは、経験できなかったが、ミーちゃんの満足度はレベル10だったようだ。

6時前からは、晩メシの支度を始めた。バンズが8個あったので、ハンバーガーを作るという。
パテを8個手際よく作ったのち、ソース作り。皮を剥いたトマトを潰して煮込み、塩コショウだけの味付けでトマトソースを作った。その上に輪切りのトマト、ピクルス、レタスを挟んで出来あがりだ。
サラダは数種類の具材を盛り付け、その上にドライトマトを散らし、すりおろしたアンチョビのディップを回しかけ、最後にバジルの葉をちぎったものを乗せた。
そして、スープは、かぼちゃのコンソメスープだ。
ハンバーガーは、我々家族は1個づつ。ミーちゃんは4つ食べた。満足だったようだ。私たちも大満足だった。
この日も、11時過ぎ娘の部屋に入るとき、ミーちゃんが「おとうさん、おかあさん、おやすみ」と言った。

おうおう、今晩も、実家を堪能して、いい夢見ろよ。

月曜の朝、昨日と同じく10時前に起きた二人は、ミーちゃんは簡単に荷造りを始め、娘は東京の有名どころのお菓子をミーちゃんに渡した。
有名どころを1つも知らない私には、まったく未知のものだったが、ミーちゃんは知っていたようだ。とても喜んでいた。
私がミーちゃんに渡したのは、有名どころのものではなかった。梅干しや明太子、高菜漬け、海老マヨなどの入った握りメシだ。しかもビッグサイズの握りメシが10個。これに、きゃらぶきが付く。有名どころでは絶対にないお土産だ。
昼に新幹線の中で食べられるように、保冷バッグに入れて渡した。
「おとうさん、ありがとう」と言って抱きつきそうになったが、すぐに我に帰った。
「あぶねえ、あぶねえ」

若チャマは、12時前に、友だちの運転するワゴン車でやって来た。
新幹線の時間があるので、我が家には上がらなかった。
私たちは、ここで見送るつもりだったが、ミーちゃんが「だって、駅で見送るのが家族ってもんじゃないの」と泣きそうになった。
私たちは、慌てて支度をした。ヨメと娘は、スッピンだったが、マスクでごまかした。私と息子もスッピンだったのでマスクでごまかした。
東京駅方面上りは、順調に流れ、余裕をもって駅に着いた。
新幹線改札の前の椅子に、ミーちゃんと娘と並んで座っていたとき、若チャマが近づいてきて言った。いつの間にか、態度に私への遠慮がなくなっていた。前はもっと緊張していたのだが。
若僧、そういうのって、俺は好きだよ。でも、ラブじゃないからな。
「おとうさん、今度は来年の正月に来ます。そのときは、おとうさんのお雑煮を食べさせてください」
わかった。パオーン。

みおくりのホームで、ミーちゃんが言った。
「もう東京と言えば、おとうさん、おかあさん、夏帆、おにいさんの顔しか浮かばないよ。すごいよね、家族の関係って」

泣くもんか。

最後に、全員で肘タッチをしてお見送りした。
さらば北陸新幹線。また来いよ北陸新幹線。
COME TO里帰り。

今回のことで、私は思った。
私は今までミーちゃんのバーチャルおとうさんだと思っていたが、実はとっくにバーチャルは取れていたのではないか、と。

バーチャルおとうさんから、おとうさんへ。


それは、ガッツ石松から、ガッツがとれた感じか?

 


パピーとおとうさん

2020-08-09 05:36:14 | オヤジの日記

土曜日の午後、大食いのミーちゃんが旦那の若チャマとやってきた。
8ヶ月ぶりの再会だ。

二人は、東京まで新幹線で来て、東京駅で待っていた若チャマの大学時代の友だちのワゴン車で、国立にやって来た。
あらかじめ友だちの家に送っておいたジャガイモ一箱をかついで、玄関に立った。
「お久しぶりでーす」と若チャマ。
ミーちゃんは、抱きついて来そうになったが、途中で気づいて、「ヤバっ、濃厚接触するところだった」と言って、エアーハグに切り替えた。
そして、ダイニングの椅子に座って、ミーちゃんが言った。
「あー、やっぱりここは我が家だわ。落ち着くわー」
いやいや、ミーちゃん、若チャマの手前、それはいかんのではないかい。
「いや、大丈夫ですよ。だって、ここがミーの実家なんですから。みんな実家はくつろげるものじゃないですか」と優しくフォローする若チャマ。大人だね。

ちょうど昼メシどきだった。本来なら、私が作るところだが、「お昼はお弁当にしよう。パピーに楽をしてもらいたいから、みんなでお弁当を食べよう。途中で買っていくから、注文を聞くよ」というLINEがミーちゃんからきたので、任せることにした。
ミーちゃんは、すぐにセキトリの祭壇に向かった。
拝んだ。拝んでいるうちに、感情が高ぶってきたのか泣き始めた。ミーちゃんもセキトリをとても可愛がってくれた。
「こいつでかいな。重いなl」と言いながら、抱きしめて全身に頬ずりをした。
そして、涙顔で振り返って、「パピー、セキトリのお骨が少し欲しいんだけど、いいかな」と言った。
ああ、セキトリも喜ぶよ。

昼メシだ。ミーちゃんは、唐揚げとごはん4パック、若チャマと友だちは、カレー系、ヨメと息子と娘は、ハンバーグ系、そして私はノリ弁だった。
ノリ弁は、やはり美味いね。クリアアサヒもうまいけど。
食っているとき、ミーちゃんが言った。
「東京も暑いけど金沢も暑いよ。思った以上に暑い」
それは、知っている。30年くらい前の夏、夏休みを利用して、ヨメと石川県の和倉温泉に行ったことがあった。
和倉温泉で2泊、金沢市内で2泊した。和倉温泉は、海沿いにあったので、暑さは和らいでいた。しかし、金沢市内は暑かった。東京と全然変わらなかった。というより、日差しは金沢の方が強かった。想像と違っていた。
観光をしているうちに、暑さに負けて、2時間おきくらいに店に入ってかき氷を食った。兼六園でも食った。
しかし、晴れているだけならいい。お空さんの機嫌が突然悪くなって、雷雨となり、ヒョウまで降ってくるのだ。お空さんの機嫌がよくなったら、今度は猛烈な日差しが戻ってくるから、それもキツい。
金沢は、暑いよね、それはよくわかる。

「でも私はまだ恵まれた方だと思うよ。若チャマやお義父さん、お義母さん、義弟さんは、毎日畑に出ているからね。私は、皆さんから、環境に慣れるまでいいからって甘やかされているんだ」
それを聞いて、若チャマに頭を下げた。
若チャマは恐縮して「いや、最初から1年で慣れるとは思っていないので、2年3年で一軍に上がってくれればと思ってます。ミーが今覚えるのは、スーパーの仕事の方です」と言った。
若チャマの家は、スーパーと野菜農家、卵農家をしていた。
ミーちゃんのお腹を満たしそうなものばかりだ。

昼メシを食べ終わった若チャマと友だちは、ワゴン車で杉並永福町の親戚の家に行き2泊することが決まっていた。
完全巣篭もり生活。2日間、家から1歩も3歩も出ずに、「鬼滅の刃」と「キングダム」を読み倒すという。
そして、月曜日の昼前に、また迎えにきてくれる。ゆっくり休んでね、若チャマ。
昼メシを食べたあと、ミーちゃんは娘の部屋のベッドに横たわった。
そして、「あー、疲れが取れるぅ」と言って寝てしまった。
疲れているんだね、ミーちゃん。嫁いでまだ1年も経っていないのだ。疲れていない方がおかしい。
実家で、思い切りくつろいでおくれ。実家は、そのためにあるのだから。

夕方5時過ぎに起きたミーちゃんば、「さあ、晩ご飯を作るぞ」と言って、四股を踏みながら気合を入れた。
夕食は、カレーだ。我が家では、土曜日はサタデーカレーの日と決まっていた。
それを覚えていたのだ。
この日のカレーは、キーマカレー。市販のルーを使っていたが、いくつかのスパイスを掛け合わせて刺激のある味になった。ミーちゃん、腕を上げたね。一緒に出てきたエビのツナマヨ、ポテトサラダも美味しかった。
塩と胡椒の配合が上手くなった。
若チャマもお喜びでしょう。
想定内だったが、ミーちゃんはご飯を4杯お代わりした。「お義父さん、お義母さんの前では、もう少し控えめなんだ。お代わりは3杯に抑えているんだ。今日は大満足だあ」。
3杯でも、すごいんだけどね。

夜は、ミーちゃんがベッド、娘は折りたたみのマットを床に広げて寝た。夜中の2時くらいまで、喋っている声が聞こえた。
おそらく起きるのは、10時過ぎだろう。
今日も完全巣篭もり生活だ。おそらく昼メシのあと、2人でNintendoのスィッチで「あつまれどうぶつの森」をやるに違いない。
娘は散々やっているから、このときはミーちゃんのサポート役だ。
今から、仲のいい二人の姿が、想像できる。
そんな姿を見るのが、親の喜びだ。

ところで、昨晩娘の部屋に入るとき、ミーちゃんが、振り返って「おとうさん、おかあさん、おやすみ」と言った。


意表をつかれて、なにも言葉が出なかった。

涙しか、出ねえ。