今日の日記は、江戸時代の岡場所で暴風雨による水害を受けた二人の遊女を描いた山本周五郎著『つゆのひぬま』のことです。添付した写真は、久しぶり読み直したもう黄ばんでしまった私の愛蔵著書の表紙(1972年発行初版新潮文庫)です。
私は、4月26日付日記『志川節子著「手のひら、ひらひら」食当り料理人をネタにした瓦版売り上ゲ屋は遺児遊女から人殺しでありんす』で、新人作家・志川節子氏の著書『手のひら、ひらひら』を紹介しました。
彼女はこれから伸びていく有望な時代小説の若手です。でもその読書後、まだ彼女の作品に登場する人物には描き方に荒削りな所があり、もっと先輩作家の作風を勉強してほしいと、今私は思っています。
だから、彼女には、私が高校生から大学生の頃全作品を読破した山本周五郎の優れた作品集をもう一度熟読してほしいと思っています。特に、その作品集の中で、江戸時代の市井を扱った岡場所物の短編傑作『つゆのひぬま』は、彼女の今後の作品にきっと血や肉になると確信しています。
作家の山本周五郎自身は、江戸幕府公認の遊郭・吉原に生きる遊女を扱っていません。彼は、そんな格式ばった陽のあたる場所より、その公認外の「岡」場所に生きる遊女に強い親近感を抱いていたのでしょう。また、彼は江戸時代に何度も起きた大火や洪水等の天災とそれに遭遇した人の生き方を、深い愛情を持った目で優しく描いています。
そして、この両方の要素を内包した小説が、短編傑作『つゆのひぬま』です。だから、私は、40年近く前に初めて読んだこの著書を深く愛し、今でも手元に置いているのです。
また、その彼の市井の人々を深く愛し公儀や権威に抱く反骨精神が、1943年に『日本婦道記』で第17回直木賞に選ばれるが辞退する行動を生んでいるのです。
でも、とても皮肉なことですが、志川節子氏が直木賞を受賞したければ、その受賞拒否した山本周五郎が生んだ優れた作品を、もう一度熟読・勉強してほしいと私は思っています。
私は、4月26日付日記『志川節子著「手のひら、ひらひら」食当り料理人をネタにした瓦版売り上ゲ屋は遺児遊女から人殺しでありんす』で、新人作家・志川節子氏の著書『手のひら、ひらひら』を紹介しました。
彼女はこれから伸びていく有望な時代小説の若手です。でもその読書後、まだ彼女の作品に登場する人物には描き方に荒削りな所があり、もっと先輩作家の作風を勉強してほしいと、今私は思っています。
だから、彼女には、私が高校生から大学生の頃全作品を読破した山本周五郎の優れた作品集をもう一度熟読してほしいと思っています。特に、その作品集の中で、江戸時代の市井を扱った岡場所物の短編傑作『つゆのひぬま』は、彼女の今後の作品にきっと血や肉になると確信しています。
作家の山本周五郎自身は、江戸幕府公認の遊郭・吉原に生きる遊女を扱っていません。彼は、そんな格式ばった陽のあたる場所より、その公認外の「岡」場所に生きる遊女に強い親近感を抱いていたのでしょう。また、彼は江戸時代に何度も起きた大火や洪水等の天災とそれに遭遇した人の生き方を、深い愛情を持った目で優しく描いています。
そして、この両方の要素を内包した小説が、短編傑作『つゆのひぬま』です。だから、私は、40年近く前に初めて読んだこの著書を深く愛し、今でも手元に置いているのです。
また、その彼の市井の人々を深く愛し公儀や権威に抱く反骨精神が、1943年に『日本婦道記』で第17回直木賞に選ばれるが辞退する行動を生んでいるのです。
でも、とても皮肉なことですが、志川節子氏が直木賞を受賞したければ、その受賞拒否した山本周五郎が生んだ優れた作品を、もう一度熟読・勉強してほしいと私は思っています。