今日の続編日記は、今読んでいる塩野七生著『絵で見る十字軍物語 絵/ギュスターヴ・ドレ』(2010年新潮社刊のことです。添付した写真は、その表紙(注:この絵は著書で「ともに歩むキリスト」で紹介されている)です。
私は、去年より刊行されている塩野七生著「十字軍物語」シリーズの「序曲」的な存在である『絵で見る十字軍物語』を今熟読しています。
そして、その冒頭「読者へ」で塩野七生氏が語った言葉がとても印象に残っています。以下に、その記述を引用・掲載します。
『今の私にとっての新しい挑戦相手は十字軍になったのだが、まず頭にひらめいたのが、ギュスターヴ・ドレの絵を通して物語る一冊で始めたい、という想いであった。とは言ってもドレの絵は、19世紀前半の歴史作家フランソワ・ミショーが書いた「十字軍の歴史」の挿し絵として描かれたのである。・・これよりは二百年の後の現代に多い、イスラム教徒を刺激しないことばかりを配慮して書かれた十字軍の歴史書に比べれば、ミショーの執筆態度のほうがよほど正直である。このミショーの作品を基にして、ドレは挿し絵を描いたのだ。もしもミショーの立つ位置が十字軍べったりであったら、ドレも、十字軍にとっての最大の敵であったサラディンを、ああも美しく描けなかったであろうし、十字軍側きってのヒーローであったリチャード獅子心王を、鋼鉄製のかぶとに隠れた顔でしか表現しない、ということもなかったにちがいない。』
確かにこの著書に登場したドレの挿し絵は、宗教的な偏向が全くないものです。だから、「十字軍の歴史」が正統な歴史書と呼ばれる著書になったのです。塩野氏は、『ローマ人の物語』でもどの宗教にも肩入れをせず、冷静な眼で古代ローマ帝国の歴史の出来事を語ってきました。
今回の刊行されている『十字軍物語』シリーズも、私はとても愉しみで大いに期待しています。
私は、去年より刊行されている塩野七生著「十字軍物語」シリーズの「序曲」的な存在である『絵で見る十字軍物語』を今熟読しています。
そして、その冒頭「読者へ」で塩野七生氏が語った言葉がとても印象に残っています。以下に、その記述を引用・掲載します。
『今の私にとっての新しい挑戦相手は十字軍になったのだが、まず頭にひらめいたのが、ギュスターヴ・ドレの絵を通して物語る一冊で始めたい、という想いであった。とは言ってもドレの絵は、19世紀前半の歴史作家フランソワ・ミショーが書いた「十字軍の歴史」の挿し絵として描かれたのである。・・これよりは二百年の後の現代に多い、イスラム教徒を刺激しないことばかりを配慮して書かれた十字軍の歴史書に比べれば、ミショーの執筆態度のほうがよほど正直である。このミショーの作品を基にして、ドレは挿し絵を描いたのだ。もしもミショーの立つ位置が十字軍べったりであったら、ドレも、十字軍にとっての最大の敵であったサラディンを、ああも美しく描けなかったであろうし、十字軍側きってのヒーローであったリチャード獅子心王を、鋼鉄製のかぶとに隠れた顔でしか表現しない、ということもなかったにちがいない。』
確かにこの著書に登場したドレの挿し絵は、宗教的な偏向が全くないものです。だから、「十字軍の歴史」が正統な歴史書と呼ばれる著書になったのです。塩野氏は、『ローマ人の物語』でもどの宗教にも肩入れをせず、冷静な眼で古代ローマ帝国の歴史の出来事を語ってきました。
今回の刊行されている『十字軍物語』シリーズも、私はとても愉しみで大いに期待しています。