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天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『七人の侍』多数ロケ地で撮影した山村が全く違和感ないのは黒澤監督の演出と支えた記録・野上照代の貢献大

2011-04-05 22:26:56 | 日記
今日の日記は、今読んでいる著書『黒澤明 夢のあしあと 資料・記録集』(黒澤明研究会編1999年共同通信社刊)で紹介された『七人の侍』の村落ロケ地のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この映画で野武士に襲われる山村は、1954年当時の日本なら至る所にありそうな感じがしますが、黒澤明 橋本忍 小国英雄の三人脚本家が詳細に描く山と川と田に囲まれた自然に富んだ村落を見つけることができなかったのです。
だから、やむを得ずその村を分散させてその場所ごとに撮影しています。でも、映画を観ても、まったく違う場所との印象を、映画の観客に抱かさない映像です。それほど、緻密に計算された黒澤明監督の演出の冴えと、それを影で支えた記録係・スクリプター(映画の撮影現場において、撮影シーンの様子や内容を記録・管理する役)の野上照代(彼女は1950年、黒澤明監督の『羅生門』にスクリプターとして初参加。1952年製作『生きる』以降の全黒澤映画に記録・編集・制作助手として参加)の功績が大きかったからだ、私は今思っています。
以下に、その村落のとても興味深いロケ地をこの著書から方角ごとに紹介します。
・村の全景:(映画冒頭野武士が見下ろした)静岡県田方郡函南町
・馬止めの柵を設けた西面の道:(七郎次・加藤大介が守った)静岡県御殿場市用沢
・水田にして防いだ南面の畑:(平八・千秋実が守った)静岡県田方郡修善寺町堀切
・川岸の敵を防ぐ為橋を壊した東面:(菊千代・三船敏郎が守った)静岡県田方郡修善寺町
・静かな杜だがここだけ無防備にした北の山道:(久蔵・宮口精二が守った)東京都世田谷区大蔵
・村の広場:(首領の勘兵衛・志村喬、参謀の五郎兵衛・稲葉義男 伝令の勝四郎・木村功が詰めた)東京都世田谷区大蔵
以上、ロケ地だけでも静岡県と東京都の五か所もありました。
そして、最後のクライマックス、雨中の広場での合戦は、映画では麦収穫の後ですから夏の設定になっています。しかし、映画の撮影が延びてしまい、年を越して厳寒の二月(注:積もった雪を二週間かけて溶かした為、ひどくぬかるんだ地面になった)に行なわれています。
その撮影裏話では、志村喬は「途中からみぞれが降ってきた」宮口精二は「リハーサルが終るたびに、たらいのお湯を頭からバーッとかぶた」三船敏郎は「朝行くと霜柱が立っていた」と、皆その苦労した体験を語っています。でも、こんな劣悪な環境でも役者根性のある俳優たちの熱演の御蔭で、歴史に残る名作が生まれたのです。


コメント (1)
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