天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『夢』第六話赤富士で井川比佐志は開発された放射能着色技術を死神に名刺をもらってもどうしょうもない

2011-04-11 22:19:12 | 日記
今日の日記は、今お茶の間鑑賞している日本映画『夢 第六話 赤富士』(1990年製作 黒澤明監督 寺尾聰 井川比佐志 根岸季衣出演)のことです。
私は、4月8日付日記『「黒澤明 宮崎駿 北野武 日本の三人の演出家」黒澤談:地震起る日本での原発事故は日本だけ問題じゃない』でこの映画を紹介しました。
そして、私は自身で投稿した後、その記述内容について、一部不適切な記述箇所があったのでは?との一抹の不安に陥りました。だから、その不安を解消する為、去年の10月24日に日記を投稿(最終第八話「水車のある村」での笠智衆)する際に鑑賞したこの映画を、再び今DVD鑑賞しています。
そうしたら、やはり私の記憶違いを発見しました。この映画で、”「原発は安全だ!危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない。」とぬかした奴らは、許せない!”と絶叫したのは、私が日記に書いた爆発した原子力発電所に関わった男(井川比佐志)ではなく、原発から避難してきた子供を抱えた女(根岸季衣)でした。まったく言い訳の出来ないミスを、私はしてしまいました。
さらに、彼女は”あいつらみんな縛り首にしなきゃ、死んでも死に切れないよ!”と叫んでいます。だから、井川比佐志が根岸季衣に”大丈夫 それは放射能がちゃんとやってくれますよ!すいません!僕もその縛り首の仲間の一人でした!”と陳謝していたのでした。
私は、このように被害者と加害者を混同(しかし、映画ではこの放射能汚染での加害・被害の厳格な区分はなく一度放射能が流出したら全てが被害者となる)していました。
このように私は、この黒澤明監督の個人的夢想世界を描いた映画『夢』の中では、最終第8話「水車のある村」が一番大好きなエピソード話だったので、「第六話 赤富士」の詳しいプロットを完全に失念していまい、間違ったストーリーを記憶していました。
その結果、私は閲覧した方々に間違った情報を与えてしまい、今、深く反省しています。黒澤映画ファンの皆様には、たいへん失礼なことを致しました。
そして、今回再確認で再びこの映画を鑑賞して、原発に関わった井川比佐志が黒澤明監督の分身である寺尾聰に語った言葉が、とても印象に残っています。
『来たよ!あの赤いのは、「プルトニウム239」あれを吸い込むと一千万分の一グラムでもガンになる!黄色いには、「ストロンチウム90」あれが身体の中に入り込むと骨髄に溜まり白血病になる!紫色のは「セシウム237」染色腺に集まり遺伝子が突然変異を起す つまりどんな子供が生まれるか判らない!しかし、人間はまったくアホだ!放射能は目に見えないから危険だからと言って、放射能着色技術を開発したってどうにもならない!知らずに殺されるか?知ってて殺されるか?それだけだ!死神に名刺をもらってもどうしょうもない!じゃお先に!』
井川比佐志は、このような自ら放射能汚染被害の講釈を終了してから、岸壁から飛び降り安楽自殺します。そして、残された寺尾聰は、その着色した放射能を着ていたジャンバーで払い除こうと必死な無駄な抵抗をします。夢でもこんな夢を見たら私なら直ぐに飛び起きてしまうほど、とてもショッキングな結末です。添付した写真は、その映画でのシーンです。
見ていてこの映画は、アメリカ映画『渚にて』での核兵器が人類を滅亡させてしまう静かな訴えはまったくなく、直接的な言葉で核への反対メッセージを展開しています。
それほど、黒澤明には核分裂によるエネルギーを利用する原子力発電所の存在そのものがまったく許せないのでしょう。だから、映画『夢 第六話 赤富士』は、黒澤明監督の私的な警鐘メッセージをとても強く反映した作品です。でも、この第六話は、私自身あまり好きな作品ではないです。
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