天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『海は見ていた』脚本残す黒澤は『俺は女を描くのが下手と言われたから死ぬ前に一度女の映画を』と語る

2011-04-30 00:11:34 | 日記
今日の続編日記は、前の日記で紹介した山本周五郎著『つゆのひぬま』他を原作した映画『海は見ていた』(2002年製作 黒澤明脚色 熊井啓監督 清水美砂 遠野凪子 永瀬正敏主演)のことです。この映画を今、今回大震災を振り返って、私は懐かしく思い出してします。
この映画は、83歳になった黒澤明が自ら監督し映画化を望んで書き終えていたシナリオを、その彼の死後、黒澤プロが熊井啓監督で製作した作品です。映画『夢』で自らの思いを伝えた黒澤監督も自分の寿命も考えて、最後にはもっと素晴らしい愛の人間賛歌の作品を残そうとしたのでしょう。
その作品は、過去原作を多くの映画化している山本周五郎の著書だったのです。この映画『海は見ていた』は、山本周五郎の『つゆのひぬま』と『なんの花か薫る』を原作にしています。
でも、この原作の映画化には、最後の大洪水の場面で、セット自体を沈めるほどの大きなプールを使って、舞台の岡場所をだんだん沈ませながら撮ろうという費用が掛かるものでした。この大掛かりなセットを特殊撮影ではなく実際に撮影所に実現させるには、莫大な映画製作費になってしまいます。だから、製作会社がこの企画を予算上の理由から順延してしまいます。
その後、黒澤監督が亡くなってしまい、この映画化が中断してしまいました。その陽の目を見なかった黒澤明の脚本を、7年後に熊井啓監督が映画化したのです。
添付した写真は、熊井啓監督が映画化した『海は見ていた』でのラスト近く水没した深川岡場所遊郭の屋根に避難した遊女(遠野凪子)を舟で救い出した遊女に通っていた若い男(永瀬正敏)です。熊井啓監督の作品もとても良かったですが、私は黒澤監督の作品が見たかったです。
黒澤明監督は、生前この映画化の前、『俺はずっと「女を描くのが下手だ、下手だ」と言われ続けていたから、死ぬ前に一度、女の映画を撮ってやろう』と語っています。
もし、この映画が黒澤明監督自身で製作されていれば、どんな素晴らしい作品を残したか?今思うと私はとても悔やんでいます。


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