今日の日記は、今読んでいる映画紹介著書、樋口尚文著『黒澤明の映画術』(1999年筑摩書房刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書は、映画評論家樋口尚文氏が黒澤明監督の映画製作の具体的な技法と指摘して、黒澤映画の秘密に迫った名著です。
その著書から私が特に印象に残った記述を以下に引用・掲載します。
『<はじめに>・・本書は、あくまでもその具体的な技術が生み出す映画的なエモーションのみに切り口を絞ることで今までにない種類の論考を目指した・・黒澤映画では、数々の技術が整然とした分類を拒んで、思いのほか手のこんだかたちで重層的に絡まりあいながら進行しているということである。』
そして、著者が指摘した技術の中で、特に共感した要素の一つ、「図」より興味深い記述を抜粋します。
『ストーリーテリングの上で、あたう限りの要素を目に見えるところへ引っ張り出し、とことん明快さと整理を重んずる黒澤は、しばしば地図や図表によっていっぺんに情況を見せきってしまう。「七人の侍」などは実はその大部分が、やがて訪れる魅力的なアクションの渾沌へ向けての入念な人物と地理の設定の解説によって成立している。・・黒澤は、冒頭の野武士の襲撃カットで村の脅威に瀕している情況を俯瞰してみせ、それを簡略化した地図を広げながら勘兵衛(志村喬)たちに現地の見回りをさせ、作戦を練らせる。さらに、その地図のフローに則って現地で予行演習するシークエンスが反復され、観客は決定的に村内の位置関係を刷り込まれることになる。』
私が昨日の日記『「七人の侍」勘兵衛は村人に「離れ家は三つ、は二十だ、三軒の為に二十軒危うくできん」と強制避難指示』で言及した島田勘兵衛(志村喬)の理想的な指導者像の項目(3)「現地調査での適切な方策を立案」も、樋口尚文氏が著書で指摘した黒澤明監督の映画製作の具体的な技法「図」の成せる技だったのです。
この著書の冒頭で「黒澤明は、なによりもまず技術の人」と語った樋口尚文氏の卓越した映画批評に、実際に再度映画鑑賞してみて、私は今強く共感しています。
この著書は、映画評論家樋口尚文氏が黒澤明監督の映画製作の具体的な技法と指摘して、黒澤映画の秘密に迫った名著です。
その著書から私が特に印象に残った記述を以下に引用・掲載します。
『<はじめに>・・本書は、あくまでもその具体的な技術が生み出す映画的なエモーションのみに切り口を絞ることで今までにない種類の論考を目指した・・黒澤映画では、数々の技術が整然とした分類を拒んで、思いのほか手のこんだかたちで重層的に絡まりあいながら進行しているということである。』
そして、著者が指摘した技術の中で、特に共感した要素の一つ、「図」より興味深い記述を抜粋します。
『ストーリーテリングの上で、あたう限りの要素を目に見えるところへ引っ張り出し、とことん明快さと整理を重んずる黒澤は、しばしば地図や図表によっていっぺんに情況を見せきってしまう。「七人の侍」などは実はその大部分が、やがて訪れる魅力的なアクションの渾沌へ向けての入念な人物と地理の設定の解説によって成立している。・・黒澤は、冒頭の野武士の襲撃カットで村の脅威に瀕している情況を俯瞰してみせ、それを簡略化した地図を広げながら勘兵衛(志村喬)たちに現地の見回りをさせ、作戦を練らせる。さらに、その地図のフローに則って現地で予行演習するシークエンスが反復され、観客は決定的に村内の位置関係を刷り込まれることになる。』
私が昨日の日記『「七人の侍」勘兵衛は村人に「離れ家は三つ、は二十だ、三軒の為に二十軒危うくできん」と強制避難指示』で言及した島田勘兵衛(志村喬)の理想的な指導者像の項目(3)「現地調査での適切な方策を立案」も、樋口尚文氏が著書で指摘した黒澤明監督の映画製作の具体的な技法「図」の成せる技だったのです。
この著書の冒頭で「黒澤明は、なによりもまず技術の人」と語った樋口尚文氏の卓越した映画批評に、実際に再度映画鑑賞してみて、私は今強く共感しています。