田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

今年の猛暑から学んだこと

2010-11-20 18:01:33 | 講演・講義・フォーラム等
 いや~、今年の夏は本当に暑い暑い夏でした。その暑い夏の現象を専門家はどう見ていたのか? 気象に関わる4人の専門家の話を聞いた。

 11月16日(火)に札幌管区気象台などが主催して「今年の猛暑から学んだこと~要因とその影響~」と題する気象講演会があり参加してきた。(札幌エルプラザホール)

 講演は4人の専門家がそれぞれ30分強の持ち時間を使ってそれぞれの専門分野から今年の暑い気候を分析した。その方々を演題と共に紹介すると、
◆松下  譲 氏(札幌管区気象台 技術部予報課 主任予報官)
    「平成22年の夏の大雨と高温」
        

◆大久保智子 氏((財)日本気象協会北海道支社 気象キャスター)
    「例年にない暑さ ~生活に役立つ気象情報とは~」
        
        
◆廣田 知良 氏((独)農研機構 北海道農業研究センター寒地温暖化研究チーム長)
    「天候が及ぼす北海道農業への影響」
        

◆吉田  隆 氏(札幌管区気象台 技術部長)
    「地球温暖化と平成22年夏の気候」        
        

 それぞれが貴重なお話をされたのだが、全てを報告することはできない。ここでは私の中で理解できたことを中心に整理してレポートできたらと思っている。
 その内容は…、
◇今年の夏の気象を一言で表すと「猛暑多雨」といえる。
◇今年の大雨の傾向は、過去に北海道が大雨になった時の気圧配置と違っていたのが大きな特徴である。
◇北海道の空梅雨は徐々に消滅する傾向にある。
◇今年の夏の高温は例年発生するオホーツク高気圧の発生が少なくその影響をほとんど受けずに、勢力の強い太平洋高気圧の影響を受け高温の空気が流入したことによる。
◇札幌の過去100年間の気温を比較すると、100年前の30年間と最近の30年間の月平均気温では平均値が約2℃違っている。
◇北海道の高温化は夏よりむしろ冬の方がより顕著である。
◇今年の夏の天候の特徴は、地球温暖化の進行に伴って生ずると予測される将来の気候の特徴とよく一致している。
◇100年後の気候の予測では北海道の夏の平均気温は今より2~3度高くなると予測され、降雨量も増加すると考えられている。
◇猛暑多雨による農業に及ぼした影響は、畑作物の減収が大きい。また稲作も作況指数98とけっして良い結果とはなっていない。牛乳の生産量も低下した。
◇近年は気象の変動の幅が大きく、その変化に適応する技術体系の確立を図る必要がある。

といったことだった。
 今年ほど顕著ではないにしても、北海道の天候が徐々に変化してきたことを肌で感じている一人である。気候とか、気象などいうのは人智の及ばない神の領域と思ってきたのだが、その変化に人間の活動が関与しているとしたら私たちはその活動について冷静にふり返ってみることも必要なのかもしれない。

 なお、ここで用語について簡単に私なりの理解を記しておく。
 「気候」は、ある土地の長期間にわたる気象の状態を指すもの。
 「気象」は、気温・気圧の変化などの、大気の状態のこと。そしてその結果現れる雨などの現象のこと。
 「天候」は、ほぼ天気と同じ概念で用いられるものだが、やや広さのある地方について語るときに用いられる言葉。と理解して使用した。


ドバイの今、ドバイの未来

2010-11-19 14:25:22 | 講演・講義・フォーラム等
 空に屹立する摩天楼群、人工衛星からも確認できるという人工島(パームアイランド)、砂漠の中にできた人工スキー場…、地球上の贅沢を全て集めてしまったような国(街)ドバイ。そんなドバイに勤める外交官から話を聴いた。

 札幌で良質の出版物を刊行し続ける「柏艪舎」の主催による在ドバイ日本総領事主席領事を務める斎藤憲二氏の話を聴く機会があった。
 11月15日(月)午後、教育文化会館において「ドバイに見る国際化のヒント~HOKKAIDOを海外へ~」と題しての講演だった。
 斎藤氏は柏艪舎より「株式会社ドバイ メディアが伝えない商業国家の真実」という本を上梓したことが縁となっての講演会である。

        
        ※ 講演前に準備をする斎藤氏です。

 講演の趣旨は演題や本の題名からも類推されるが、ドバイでビジネスチャンスを生かそう!という趣旨の講演で私などは門外漢であったが、それでもドバイの現状を知るには格好の内容だった。

 世界が目を見張る発展を続けていたドバイだが、リーマンショックの余波を受けて「ドバイショック」とも称される大波が襲い、一時の勢いに翳りを見せたと伝えられるドバイだが…。
 斎藤氏によると確かに投資の冷え込みがあったり、高層ビルの建設延期や中止などの影響はあったりしたものの、依然としてドバイの可能性には大きなものがあるという。

        
        ※ 講演でドバイの可能性を説く斎藤氏です。

 その可能性とは…、
 一つはその地域的優位性である。ドバイは中東、アフリカ、南アジアの中心に位置し、ヒトとモノの流れの中継拠点であること。(16億人市場のハブ的存在)
 二つ目に中継拠点としてのポテンシャルを高めるためのインフラ整備(空港、港など)進んでいること。
 三つ目にドバイの国際化を積極的に推し進めるリーダー(ムハマンド・ドバイ首長)が存在していること。
を挙げている。

 そして、ドバイにおいてビジネスチャンスがある分野は、①環境、②人材育成、③健康だと指摘した。

 私にとってビジネス関連の話はちんぷんかんぷんである。
 したがって、今回の講演で私が知り得たことは以下のことである。
 ドバイはUAE(アラブ首長国連邦)に属する7つの首長国の1つだということ。
 そのUAE全体の面積とか人口が北海道と似通っているということ。
 また、その中のドバイの面積は北海道の留萌管内程度、人口は札幌市と近い(177万人)ということ、などである。
 このように聞くと、ドバイが非常に親しみを覚える存在となってくる。

 しかし中東と聞くと遥か遠い国々である。
 訪れるチャンスはなかなかないが、過去に一度だけ真剣に行くことを検討したときがあった。それは2008年暮れワールドカップ南ア大会の最終予選でカタール対日本戦があり、その試合がカタールの首都ドーハで行われた。UAEとは隣国といっても良い位置にあるので、ドバイを見学してからドーハへと考えた。
 しかし私のアイデアは露と消えた。それは個人でサッカー観戦のチケットを手配する道が全く見つからなかったからだった…。

 できればいつか行ってみたい国である。

札幌ウォークⅡ №12 中央区・緑と水の中島公園と名刹寺院めぐり 後編

2010-11-18 12:59:16 | 札幌ウォーク & Other Walk
 ウォークの後半も残り7つの寺院めぐりとなった。考えてみると、同じ中央区でも大通公園より南側に寺院が集中している。これは大通公園から北側には開拓時代に官庁街が配置されたことが今に繋がっていると思われる。

 前編の最後に登場した信廣寺から、次の大光寺までは南下しながら西に向かうのだが、ここでもマップ上で寺の位置がはっきりせず迷い、少し住宅街を彷徨ってしまった。そんな矢先に民家の庭先で鮮やかに紅葉した木を見かけたのでついパチリと。

        

 迷ってしまったので、親子連れに2度ほど伺いながら大光寺(南12西17)を見つけた。このお寺は「浄土真宗 仏光寺派」に属するそうである。
 外から見たところでは他のお寺と比較すると敷地はそれほど広くなさそうであった。

        

 大光寺から西へ移動した比較的広い通りに面して大宥寺(南11西13)がある。こちらは「曹洞宗」のお寺である。建物は近代的な造りとなっているが、正面にお釈迦様の像があるところから寺院であることが一目で分かる。
 札幌市内には近代的ビルになっているため一目ではお寺であることが分からないようなところもある。

        

 そこからさらに西に移動すると大宥寺同様、比較的最近になって立て替えられたのではと思われる妙心寺(南11西9)がある。ここの宗派は「法華宗」とある。ここのお寺もどちらかといえば近代的造りの寺院である。ここは山門をくぐったところに狐の像が置いてあるのが特徴のように思える。

        

 コースはさらに西に進んで中島公園に入った。
 特徴のあるウルトラマリンブルーの豊平館の建物に落葉寸前の紅葉した葉を写し込んだ。

        

 また、公園の菖蒲池も池全体がすっかり秋色に染まっていた。

        

 そしていよいよコースの最後、ススキノ地区である。狭いススキノ地区に4つの寺院がひしめいているのは、やはりこの辺りが開拓当初に遊楽街とされたからだろうか?
 まず最初に行き当たるのは豊川稲荷(南7西4)である。この豊川稲荷は「曹洞宗 玉宝禅寺」の別称で、本院は清田区の方にあるそうだ。背後に高い駐車場のビルが建ち、いかにも街中の寺院という感じである。

        

 続いてススキノ地区不釣合いなほど広壮な敷地に建つ新栄寺(成田山札幌別院 南7西3)である。このお寺の宗派は「真言宗智山派」ということである。本堂の横に建つ会館のような建物がとても立派に見えた。

        

 次々と寺院が現れる。次は中央寺(南6西2)である。ここも宗派は「曹洞宗」である。今回私が回った中で12の寺院のうち4つが曹洞宗だった。仏教界の勢力図などとんと分からぬが、その反映でもあるまい。今回の写真では紹介できなかったが、正面入口の山門の素晴らしいのが目を惹いた。

        

 このコース最後に現れるのが新善光寺(南6西1)である。ここの宗派は「浄土宗」で
ある。寺院名からも類推されるとおり長野の善光寺とはもちろん繋がりがあるようである。

        

 写真からは隣り合っている中央寺と似た印象であるが、山門もまた立派な山門を備え似た印象を与える二つのお寺である。

 以上、僅か11kmのコース内に大小の寺院が12も存在していたというのは珍しいことだ。大通公園より南側の狭い地域に多くの寺院が集まったのは、明治開拓政府がこの地域を住宅街としたこと、そしてその一部(ススキ)を歓楽街にしたことなどに起因して多くの寺院が集まったのではと素人ながらに推測した。
 これまでのウォークとは違った面白さを感じた「緑と水の中島公園と名刹寺院めぐり」コースだった。
《ウォーク実施日 ‘10/11/14》


札幌ウォークⅡ №12 中央区・緑と水の中島公園と名刹寺院めぐり 前編

2010-11-17 16:37:33 | 札幌ウォーク & Other Walk
「札幌ウォーク Ⅱ」とは、札幌市の各区が設定した118のウォーキングコースを完歩した筆者が、次のターゲットとしてさっぽろ健康スポーツ財団や札幌歩こう会、その他民間の機関などが設定した日本ウォーキング協会認定の25(平成22年8月現在)のイヤーラウンドコースを巡ろうとするものです。

 中央区にこんなに多くの寺院が集まっているとは一つの驚きだった。それも一つ一つの寺院が広壮な建物を有していた。中央区の名刹寺院巡りのレポートである。

              
        ※ ウォーキングステーションのあるIKEUCHIのビルです。

 今回のイヤーラウンドウォークのウォーキングステーションは中央区の南1条西2丁目にあるIKEUCHIの5階にあった。札幌市の都心中の都心である。歩く前に服装に気を使わねばならないコースである。と言っても私の場合しれているが、ウォーキングシューズ以外はいかにも都心の街歩きという格好でのウォークとなった。

              
              ※ こんな街中をウォークしました。

 まずは電車どおりを歩きながら、東急ハンズの前を通りながら本願寺を目ざしたのだが、ハンズの近くでいつも気になる建物「人形屋佐吉」という周りの建物からちょっと浮いている建物を写真に収め、本願寺に向かった。

        

 ススキノ繁華街からそれほど離れていないところに東本願寺(南7西8)はある。このお寺は「真宗大谷派札幌別院」として知られ、いわば東本願寺の北海道内の総元締めの立場にある寺院である。
 おそらく中央区内にあるお寺としては最も広い面積を有するお寺ではないだろうか。広い敷地に堂々とした本堂などが建っていた。

        

 東本願寺から再び街の方に戻って、中央区役所、札幌医大などを通り円山地区にある瑞龍寺(南2西21)を目ざした。ところがこのお寺を探すのが難渋した。渡されたマップの寺の位置がアバウトなために近くまで近づいていることは分かるのだけれど、お寺そのものを発見できないのだ。近くにいた人に何人も尋ね、周りをグルグル回った末にようやく見つけることができた。瑞龍寺は「臨済宗妙心寺派」に属し、参禅道場を持っていた。

        

 続いては瑞龍寺と同じ円山地区にある浄円寺(南2西24)である。こちらは「浄土真宗本願寺派」つまり西本願寺派である。ここのお寺は正面から見る限りそれほど広い敷地を有しているようには見えなかった。

                

 四つ目は車で環状通りを走るときによく目にしていた龍興寺(南4西27)である。このお寺は曹洞宗の流れをくむお寺である。時代を経てきたことをうかがわせる堂々とした本堂の建物が存在感を放っていた。

        

 龍興寺から南に下がったところにあるのが信廣寺(南6西27)である。信廣寺の宗派は法華本門仏立というそうだ。このお寺は通りを挟んで両側にいろいろな施設が立ち並んでいた。全てが近代的な造りだったが、どれが本堂なのか外部の人間には分かりづらかった。
 そこで私は信廣寺には何の縁もゆかりもないが、このお寺の施設だけ三つの施設の写真を羅列してみることにする。はたしてどれが本堂なのだろうか?

        

        

        

 さて、今回寺院巡りをしてみて、寺院は単に本堂だけではなく、さまざまな施設が併設されていることを知った。例えば信廣寺では大きく三つの施設が目に付いた。それぞれがどうような働きをしているのかは想像が付かないが、少なくとも本堂以外に会館のような施設を持つ寺院が多いように思われた。
 後半は残り7つの寺院についてレポートする。(続きは後編に)
《ウォーク実施日 ‘10/11/14》

“ラストサムライ”西郷隆盛を聴く

2010-11-16 18:36:06 | 講演・講義・フォーラム等
 西郷南洲顕彰館の高柳館長の話を聴く機会を得た。西郷隆盛を顕彰する館の館長だから隆盛を讃えるのは当然なのだが、同じ薩摩人である大久保利通を見る目は憎悪に近いものがあった。

        
        ※ 開会前、講師席にあった西郷隆盛像を写しました。

 「北海道南洲会」という団体が昨年9月に札幌に誕生したそうである。
 その北海道南洲会が初めてのイベントとして、11月6日(土)KKRホテル札幌で鹿児島市にある西郷南洲顕彰館の高柳毅館長を招いての講演会を催した。

 「南洲」とは普通には「南国」という意味であるが、鹿児島において「南洲」とか「南洲翁」といったら西郷隆盛を表す言葉である。鹿児島市内には「南洲墓地」「南洲神社」「南洲顕彰会館」など西郷隆盛にちなんだ表記が目立っている。「南洲」とは西郷家の号であり、西郷隆盛に対して最も敬意を表す表現法が「南洲翁」という呼び方だそうである。

        
        ※ 講演開始を待つ高柳館長です。

 さて高柳館長の話であるが、西郷研究者として地元ではかなり高名な方のようである。氏は1973(昭和53)年に「西郷隆盛伝 終わりなき命」を上梓したが、その時点ではまだ分からなかった点や疑問点がいくつかあったそうだ。その点についてその後も研究を深め、30年来の研究結果の総まとめとして「今、蘇る真の西郷像」として発表したそうである。

 その中で高柳氏は、西郷の行動原理は「知行合一」であり、思想的バックボーンは「敬天愛人」であると強調した。
 「知行合一」とは、知ることと行うことは一体であるという概念で、自分が正しいと思ったことは断じて行わなければならないとする考え方である。西郷はその行動原理に忠実に一生を駆け抜けたと高柳氏は語った。

 また、「敬天愛人」は西郷の遺訓の中に出てくる言葉である。遺訓の中で「敬天愛人」に関わるものとして次のような言葉がある。
 「道は天地自然の物にして人はこれを行うものなれば天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我が愛する心を以て人を愛するなり」(遺訓二十四)
 「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ」(遺訓二十一)
 実は西郷はこうした考えを聖書を入手し読み込むことによって自らの考えに昇華していったと高柳氏は解説した。

        
        ※ 講演中の高柳館長は大久保利通の人間性を鋭く追及しました。

 こうした西郷のことを高柳氏は次のように評します。
 西郷というのは、慎重にものを考え、なおかつそれを断固として実行した人である。こういう人物を歴史の中で探してみれば、孔子とか王陽明とか、あるいは仏陀とかキリストとかが思い浮かびます。西郷はこれら極めてまれな聖人君子を見習い、愚直なまでに志向した人です。

 こうした滅私奉公的な西郷の生き方は薩摩人に深く敬愛され、慕われた。
 対して、同じ薩摩人であった大久保利通は高柳氏によると極めて“俗人”だったようである。出世栄達のためならあらゆる手練手管を使い、政敵は完膚なきまで叩きつぶすという大久保の考えや行動を高柳氏は憎悪にも等しく糾弾する。
 例えば、大久保たちの明治政府に怒る側近たちの訴えに重い腰をあげ西南戦争に突入した西郷に対して、大久保は同じ明治政府の伊藤博文に対して「ついてはこの節、事端をこの事に発(ひら)いたのは誠に朝廷不幸の幸いと、竊(ひそか)に笑いを生じておるぐらいでございます」と書状を送っている。自分が仕掛けた挑発に獲物(西郷)が掛かった。「してやったり」といわんばかりの気持ちを書き送っている。

 大久保には明治政府の立役者という一方の評価もあるが、薩摩人(鹿児島県人)の評価は高柳館長の言葉が代表しているようである。
 私が今春鹿児島を訪れたときに乗ったタクシーの運転手も「鹿児島での西郷の人気は格が違います」と言っていたが、鹿児島市内を巡ってみてそのことを実感した。
 確かに大久保利通に関する史跡もあるが、それはまるで添え物といった感じであくまで薩摩を代表する人物は「西郷隆盛」である、といった感じだった。

             
        ※ 西郷は生涯写真というものを撮らせなかったそうです。
         そこでこの絵は輪郭は従兄弟の大山巌を、目鼻は弟の西郷
         従道を参考にして描かせた絵だそうです。             

 私の浅はかな知識でこれ以上このことを論ずるのは相応しくない。
 この稿の最後は、ネット上に公開されていた「西郷隆盛の生涯」の最後尾に書かれてあった一文を紹介して閉じることにする。

 若き日、島津斉彬に見出されて世に出て以来、西郷は常に人々の人望や信頼を集め、明治維新という一大革命を成し遂げる原動力となりました。
 しかしながら、西郷自身はそのことに少しも驕ることなく、常に民衆のことを考えた政治を行い、自らも無欲で質素な生活をすることを常に心がけました。
 このような庶民性や人間性をもった英雄は、日本には彼一人しか存在していません。
 西郷隆盛は、日本史上最も清廉誠実な人物であり、最も徳望ある英雄であったと言えるでしょう。

 まさにこうした姿が真のサムライ“ラストサムライ”と称される所以でしょう。

桂枝光 健在なり!

2010-11-15 19:44:11 | ステージ & エンターテイメント
 今年4度目の桂枝光だった。久しぶりの枝光だったが、相変わらずにエネルギッシュに会場内を枝光ワールドに染め上げ、観客を笑いの渦に惹き込んでくれた。
 
 少しニュースとしては古くなったが、久しぶりに11月1日(月) 道新センターで 「桂枝光落語独演会」 を聴いた。
 今回は道新販売店が顧客へのサービスの一環として実施している企画に応募して、参加券を獲得し、夫婦して楽しませてもらった。

 演目は「動物園」、「酒粕」、「蛸芝居」、「帯久」の4話だったが、僅かな休憩を挟んで一気に話しきる気力とエネルギーにはいつも感服させられる。
 特に最後の「帯久」は30分以上もかかる大作である。見事に演じきる枝光師匠の目に見えないところでの鍛錬の様子が目に見えるようである。

 販売店の催しの場合、いつも入場時に抽選があってちょっとした販促グッズなどが提供されている。
 クジ運がそれほど良いとも思われない私が「扇子」を引き当てた。「おお、これは落語の演目などが書いてある扇子かな?」と期待したのだが…。
        
        ※ 「おおこれは落語に関する扇なのでは?」と一瞬喜んだのだが…
                
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 結果は…。写真のとおりである。

        
        ※ う~む…。ファイターズ扇でした…。

 ところで、リード文で「今年4度目」と記したが、ずいぶん久しいような気がしたので調べてみたら、1/3,3/11,4/10といずれも今年上半期に集中していた。だから私にとっては久しぶりのように感じたのだった。
 「あれも見たい。これも聴きたい」と気の多い私としては「いつも」というわけにはいかないが、これからもできるだけ桂枝光は追いかけたいと思っている。

        
        ※ ちなみに妻が引き当てたのはチョロキューでした。

札幌Cafe紀行 44 コミュニティスペース「休憩所」

2010-11-14 18:42:31 | 札幌Cafe紀行
 その名が「休憩所」とはまた味もそっけもない名前ですが、その名の通りカフェなどというよりは地域の人たちが商店街に出かけたときに「ちょっと一休みしようか」というコンセプトで始めた店のようです。

 先にレポートしたウォーキングの「西区・発寒神社と宮丘公園コース」で発寒商店街を歩いていたときに見かけたコミュニティスペース「休憩所」です。
 初めに外から見たときは、周りの商店と比べて「何かはっきりしないところだなぁ」という印象でした。建物の近くに立っている幟には「休憩所」と書かれてあります。「いったい何なんだろう?」と思い、ガラスの中を覗き込むようにしたところ中からオーナーの女性が見えたので、成り行きで店の中に入ることにしました。

        
        ※ 店は明らかに空き店舗を利用したという感じです。

 入ってみて、そこがコーヒーなどの飲み物を提供するところで、地域のみなさんがそこで談笑したり、情報を交歓したりするところだと分かりました。
 朝まだ早かったとみえて(と言っても10時過ぎでしたが)、客は私一人でした。

 店内はどこかから不要になった(?)椅子やテーブルを集めてきたような感じで、店内の装飾などもあまり気張らずに地域のみなさんが気楽に集える空間づくりをしているように見えました。店内を眺め回してもおしゃれっ気はまったく感じられません。

        
     ※ ご覧のようにあまりおしゃれとはいえない椅子やテーブルが並んでいます。

 私は行きがかりから店内に入ってしまったので、コーヒーをいただいて失礼しようと思っていたのですが、壁を見ると「きび砂糖のカントリーケーキ + コーヒー」が350円と出ていたので、それをオーダーしました。市内の普通のカフェと比べると断然安い価格設定です。(コーヒー単品では250円)

 出てきたケーキとコーヒーは「う~ん。やはり価格に似合ったものかな~」という感じでしたが、オーナーママの話では9月に開店したばかりということで、これから地域に浸透し、出されるドリンクやスィーツの味も磨かれていくのではと思われます。

        
        ※ 私がオーダーしたカントリーケーキとコーヒーです。

 店の壁など書かれてあったのは、この「休憩所」を会場に開催する寄席の案内だそうです。
 おしゃれなカフェもいいですが、こうしたリーズナブルな価格設定で地域の人たちが集まりやすいスペースを創り出すことも必要ですね。こうした空間から新しい動きが期待できるかもしれませんしね…。

        
 ※ 壁に書き出されているのは寄席を開いた際に協力してくれた企業やお店の名前だそうです。

【コミュニティスペース「休憩所」 データ】
札幌市西区発寒12条3丁目
電  話 ※オーナーの携帯とのことで敢えて聞かず
営業時間 9:30~17:00
定休日  日・月・祝
座  席 約40席
駐車場  無
入店日  ‘10/11/06

札幌ウォークⅡ №11 西区・発寒神社と宮丘公園コース 後編

2010-11-13 16:19:13 | 札幌ウォーク & Other Walk
 後半もコースは、工場地帯あり、公園あり、サイロあり、サッカー場ありといろいろな貌を見せてくれるコースで、飽きることなく楽しくウォークすることができました。

 琴似工業高校と発寒の工場群の間にはちょうど両者を区切るように細長い「鉄興公園」が横たわっています。一帯にはさまざまな業種の工場が集まっています。
        

 工場地帯を過ぎると再びJR函館本線沿線に出ました。
        

曲がりくねりながらちょうど一駅分歩き「発寒」駅横を通り過ぎ、大型商業施設「イオン発寒店」の横を通って「発寒西公園」に出ます。

 公園の横には「三谷牧場」と大書されたレンガのサイロが見えます。傍に建つレンガの牧舎とともに西区のシンボルでもあるようです。ビル群の中に建つサイロはそこだけがタイムスリップしたような感覚になりそうです。現在は「Café & Lunch 斉藤ファーム」として利用されているようです。
        

 発寒西公園の近くに「札幌西小学校」がありました。ふつう東・西・南・北を冠した学校は歴史のある学校というのが通例ですが、この学校の正面には「創立38周年」とあり、意外に歴史の浅い学校でした。
        

 コースは高速道の札幌新道に向かいますが、その途中に外観は明らかにパチンコ店と思われる外装なのに、入口に小さく「IFC教会」と記された建物がありました。帰宅して調べたところ、どうやら新興のキリスト教会が廃業したパチンコ店の建物を買い取ったようでした。
        

 札幌新道を潜り、石屋製菓が運営する「白い恋人パーク」「白い恋人サッカー場」の間を宮丘公園に向かいます。スタート時にはまったく雨の心配はいと思っていたのですが、この辺りでちょっと雨に見舞われましたが、大したことなく過ぎ去りホットしました。
        

        

 「白い恋人パーク」を過ぎると「宮の沢ふれあい公園」があり、そこを過ぎて小高い山となっている「宮丘公園」を目ざします。
        

 ところがうかつにも私はここでようやく気が付きました。このコースは「宮丘公園」が目的ではないのだと…。
 つまりコースは、宮丘公園の脇を通りながら、公園内には入らずゴールに向かうのです。
 以前、「宮丘公園」を訪れてそのワイルドな雰囲気が気に入っていた私は、秋が深くなったこの時期にはどのような表情を見せてくれるのか、とちょっと期待していたのですが…。
 「自主的にコースを外れて公園内に入れば…」という声も聞こえてきそうですが、すでに10km近く歩いていた私に余力はなく、マップに従いゴールを目ざすことにしました。
        

 宮丘公園を過ぎると地下鉄「宮の沢」駅近くの繁華街です。
 その一角には「手稲記念館」があります。これも以前レポートしましたが、手稲区ではなく西区に「手稲記念館」があります。これはもともと記念館がある地域は手稲町だったところです。そこが札幌市と統合したことによって西区になってしまったために、こうした紛らわしいことになったようです。
        

 「宮の沢」駅周辺の繁華街を過ぎるとゴールの西区体育館が待っていました。

 このコースは西区の中でも比較的西寄りの発寒・宮の沢地区を巡るコースでしたが、レポートでもお分かりいただけたと思いますが、非常に変化に富んだウォーカーにとっては飽きがこない楽しいウォーキングコースでした。
《ウォーク実施日 ‘10/11/06》

札幌ウォークⅡ №11 西区・発寒神社と宮丘公園コース 前編

2010-11-12 16:43:35 | 札幌ウォーク & Other Walk
「札幌ウォーク Ⅱ」とは、札幌市の各区が設定した118のウォーキングコースを完歩した筆者が、次のターゲットとしてさっぽろ健康スポーツ財団や札幌歩こう会、その他民間の機関などが設定した日本ウォーキング協会認定の25(平成22年8月現在)のイヤーラウンドコースを巡ろうとするものです。

 目まぐるしく表情を変えるこのコースはとても楽しいコースでした。コース名だけではとても表しきれない魅力たっぷりの10kmでした。

 西区の二つ目のイヤーラウンドコースである。ウォーキングステーションのある西区体育館で手続きをした後、さっそくウォーク開始です。

        
        ※ スタートの西区体育館から前方を見たところです。

 スタートして間もなくJR発寒中央駅を通過すると、直ぐに「発寒神社」が見えてきます。

        

 由緒ありそうな境内には「発寒屯田兵移住百年記念碑」などの碑がいくつか建てられてありました。

              

 発寒神社を過ぎると、発寒地区のメインストリートです。
 面白い名前を付けた理髪店が目に入りました。「とこや 髪想人」とありました。いったい何と読むのでしょうか?

        

 ここの商店街で傑作なのは、以前の「札幌ウォーク」のときにも報告しましたが、ある時計店の外観です。「セイコー」と書かれた文字の看板がかけられた以外店名らしきものが見えず、店の壁にはいつも3時を指した時計が描かれている時計店です。動かぬ時計が描かれた時計店なんてブラックジョークそのもののように思うのですが…。

        
        ※ 時計は壁に描かれていていつも3時をさしています。

 ここでまたまた面白い店を発見です。
 「休憩所」と名付けられたカフェです。面白そうだったのでカメラに収めた後、店内を覗き込んだところ店の中のオーナーと目が合い、一休みすることになってしまいました。詳しいレポートは後日の「札幌Cafe紀行」で…。

        
         ※ これはカフェというより文字通り「休憩所」ですね。

 発寒のメインストリートは「ぎんなん通り」という愛称が付けられていました。ところが肝心のイチョウ(銀杏)の木の枝が短く刈り取られ無残の姿を見せていたのはちょっと皮肉でした。

              
        ※ 街灯には「ぎんなん通り」と書かれてあったのですが…。

 その発寒のメインストリートを過ぎ、複雑にコースを曲がりくねりながら新川沿いの「発寒西陵公園」を目ざします。途中に「干し柿」を軒先に吊るしている家がありました。「まさか北海道で干し柿??」と思いましたが、ちょうどその家の奥さんが庭で漬物作りをしていました。「干し柿が吊るしてあるので驚きました」と話しかけたところ、「秋田から送られてきたんですよね」と答えていただき、疑問が氷解しました。

        

 「発寒西陵公園」を右手に見て、「琴似工業高校」を目ざします。琴似工業高校はまさに札幌(発寒)の工業団地に寄り添うように立地している高校です。

        
        ※ 「発寒西陵公園」です。

        
        ※ こちらは「琴似工業高校」の玄関前です。
 
 ここまでもいろいろな貌を見せてくれたこのコースですが、後半もこれまでに劣らずいろいろな貌を見せてくれました。(続きは後編で)

《ウォーク実施日 ‘10/11/06》

初滑り スノークルーズ オーンズ

2010-11-11 18:05:37 | スポーツ & スポーツ観戦
 11月11日 午前11時、今シーズンの初滑りをしてきました! 「11」にこだわったオープンだったのですが、特別なセレモニーもなく静かに今シーズンが始まったという感じでした。

        
        ※ 緑いっぱいの中に一筋の白い線が…。
         それが人口雪のスークルーズオーンズのゲレンデです。

 ONZE(オーンズ)とはフランス語で「11」を表すそうです。そのため11にこだわって、毎年この日、この時を期してスキー場をオープンしているそうです。
 そこで私もかなり前からこの日を、今シーズンの初滑りにしようと決めていて、今朝、小樽市春香町まで車で約40分かけて行って初滑りを楽しんできたというわけです。

        

 ところが天候は生憎の雨。みぞれのような雨が降る中での初滑りとなりました。しかし、2~3本滑るうちに雨もあがりまずまずのコンディションの中でのスキーとなりました。
 コースは人口雪が貼り付けられた500mのコース1本だけです。コースの外はまだまだ緑がいっぱいで、なんだか不思議な気分です。

        
        ※ 雨の中、傘をさしながら取材する報道陣です。
 
 オープン初日とあって報道各社が詰めかけカメラを回していました。私のようなロートルにも取材があり、感想を聞かれたので「久しぶりの雪の感触を楽しんでいます」と答えておきました。
 「楽しんでいます」と答えたものの、実は…。

        
        ※ スノークルーズオーンズのスキーロッジです。

 時間をかけて行ったのだからと思い、無理して10本滑りましたがそれが限界でした。
 スキーをしていてワクワク感がないのです。
 滑っていて爽快感がないのです。
 実はこうした感じを4~5年以上前から感じ始めていました。

 以前は冬がやってくるのを待ち焦がれていたのに…。
 冬の余暇はほとんどスキー一色に染まっていたのに…。
 冬のボーナスのかなりの部分はスキー用具代に消えていたというのに…。

        
        ※ ロッジの内部、二階の休憩室です。清潔そうです。

 いつの頃からかスキーに対して、ワクワク感、爽快感を感じなくなってしまった…。
 とても寂しいことだけど、どうしようもない感覚なのです。
 今日、初滑りをするまでは「札幌近郊スキー場巡り」という新しいプロジェクトを立ち上げようと思っていたけれど、自分を偽るような気がするのでひとまずお蔵入りすることにしました。

        
        ※ ゲレンデの眼下には石狩湾が広がります。