この映画は松竹映画社の創立30周年記念の映画だそうである。日本映画としては初めての総天然色映画(この表現が時代を表している)だそうだ。
11月3日、「二十四の瞳」とともに観たのがこの「カルメン故郷に帰る」である。
この映画について私の疑問がある。
それは前記したように会社の創立を記念した映画、しかも日本で初めて全編カラー化された映画なのだが、ストーリーは高峰秀子演ずるストリッパーが主役の風刺喜劇である。
私などが思うには、「記念作品として相応しい映画なのかなぁ…」というのが率直な感想である。
カルメン故郷に帰る(1951年作品、カラー、スタンダード、86分)
国産カラー映画第一作。日本映画監督協会は富士フィルムの委嘱を受けて日本初の長編総天然色映画を企画、松竹の木下恵介をその監督に選んだ。まばゆいメイクと色とりどりの衣装で飾り立てた女優たちが緑豊かな高原で歌い踊る映像に、カラー第一作を手がけた監督の意気込みが感じられる。東京で名を上げたストリッパーのリリィ・カルメンことおきん(高峰秀子)は同僚のマヤを連れて故郷に意気揚々と帰ってくる。芸術家気取りのリリイは、派手な服装と突飛な行動で、若く純情な小学校教師の小川や、盲目の元音楽教師・田口、親切な校長先生、朴訥な父親等を巻き込んで、ドタバタ喜劇を繰り広げる。監督の実弟、木下忠司の音楽が、浅間高原を舞台にした牧歌的なコメディに深い情感を与え、異彩を放っている。この作品で、初めて木下監督とコンビを組んだ高峰秀子は、主役を鮮やかに演じきり、以降、木下映画の中心的ヒロイン像を担うことになる。続編に『カルメン純情す』(1952)がある。「キネマ旬報」ベストテン第3位。
※ 講演をする楢部一視氏です。
先の私の疑問について、楢部氏が講演の中でそのヒントらしきことを述べている。
一つは撮影がオールロケであったということだ。つまり室内セットなどだと当時の技術としては光量不足という問題もあったのだろうか。
舞台となった浅間山山麓に広がるのどかな風景の中にまばゆいメイクと色とりどりの衣装がカラー映画に相応しかったということだろうか?
なお、初めての総天然色映画ということで、保険のために(?)白黒フィルムによる撮影も同時に行われたということだ。また、後に大スターとなる岸恵子さんは前年に松竹に入社し、この映画では高峰秀子さんのメーキャップの実験台になっていたそうである。
高峰秀子さんというと、私などは「知的でちょっと勝気な感じのインテリっぽい女優」という印象なのだが、この映画で「おつむの弱いストリッパー役」とまったく違ったイメージである。
それはデビュー間もない頃の俳優は会社の方針に逆らえなかった結果ということだろうか?
楢部氏は木下恵介監督のことを次のように語った。
「木下監督と同時代を生き国際的評価の高かった黒澤明監督や小津安二郎監督と比べると、木下監督の国際的評価は必ずしも高くなかった。しかし国内的には圧倒的な支持があった。これは木下監督が日本人の琴線をくすぐる感傷的映画を作るのに優れていたことに加え、喜劇でもメロドラマでも、叙情性あふれる映画でも、何を撮らしても秀作を作り上げるという器用さが災いしたのではないか」と楢部氏は分析した。
なるほど、木下監督は「二十四の瞳」のような叙情性豊かな映画も、この「カルメン故郷に帰る」のようなドタバタ喜劇映画も手がけている。こうした器用さが国際的な評価を上げることを阻んだとは皮肉なことであり、木下監督にとっては不運であった。