田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大イチョウ並木 &…

2010-11-01 11:23:02 | 札幌(圏)探訪
 毎年秋の恒例(?)行事で北大のイチョウ並木の黄葉を見てきた。今年の黄葉ぶりはイマイチかなと思われたが、相変わらず見物客は群れをなしていた…。

        
        ※ 空を写しこまないようにと思いながら撮った一枚です。        

 今朝(11月1日)の北海道新聞朝刊でも「今が見ごろ」と記事の掲載があったが、私も昨日クラークシアターに参加しつつ、イチョウ並木を見物してきた。

        
        ※ イチョウの葉をドアップで撮りたいと精一杯近づいた一枚です。

 今年は各地の紅葉が猛暑の影響かイマイチだと報じられているが、北大のイチョウの黄葉もイマイチのようである。中にはまだ黄色く色づかず、緑のままの葉もとろどころ目立った。なのに一方ではかなりの落葉も見られた。
 また、新聞の写真は上空をイチョウの葉で遮るようにトンネル状態の並木を映し出しているが、私はどうしても空が写しこまれるような写真となってしまった。

        
        ※ 人々が群れている感じに見えますか?

 と、黄葉としてはあまり良い状態とは言えなかったが、それを眺めようとする観光客や市民が大挙して押しかけ、まるで観光地状態だった。
 こうして大学構内を開放していただき見物できることは私たち市民にとってはありがたいことだが、大学関係者にとってはどうなのだろう?
 いつまでも私たちがイチョウ並木の黄葉を愛でることができることを願いたい。

        
        ※ 黄色の葉が多い中で紅い色が強烈に自己主張していました。

        
        
        
        ※ こうしたグラデーションに彩られた光景も素晴らしいですね。
        

映像教育の意義

 昨日のブログ「クラークシアター2010」の投稿で、映像教育の意義について4点にわたって紹介したが、「よく理解できない点がある」とのコメントをいただいた。
 項目を羅列しただけではそのきらいがないわけでもない。そこで私なりにもう少し説明したいと思った。(私が理解した範囲において)

映像の制作体験を通して磨かれるスキルとして…
 ①の「映像で語る」だが、これは文字どおり表現したいことを映像という形を通じて表現するということ指していると思う。

 ②の「意思を伝える」というのは、映像の制作過程を通してスタッフやキャストに自分の意思を積極的に伝えようとしないと制作そのものが進まないということになる。そうした態度が制作過程を通して身に付いていくということだろう。

 ③の「意思決定ができる」というのも、制作過程においてはさまざまな段階で意思決定を繰り返しながら前へ進めていくことが求められるが、その意思決定の態度が自然に身に付いていくということであろう。

 ④の「責任を取る」も③と同列に語るべきもので、自らが意思決定したことに対して責任を取るという態度が自然のうちにスキルとして備わっていくということであろう。

 さて、昨日のブログの最後に筑波大の西岡教授が「映像教育が学校教育の中に位置づけられれば」との希望を語ったことに対して、私は態度を留保しました。その理由は?
 トークセッションを聞いていてその意義は理解できたけれど、学校現場を良く知っている自分からすると、学校には解決しなければならない課題を山ほども抱えていて、その中に映像教育が割り込んでいくだけのスペースがあるか、と問われれば答えを「留保」せざるを得ないというが本音である。