一芸に秀でることの素晴らしさを教えていただいた思いである。北海道の古地図を辿るお話はお聴きしていて非常に興味深いものだった。講師は在野の研究者なのだが、一つのことにこだわり続けることで大きな成果を挙げられた典型のようなお話だった。
今日(8月29日)午後、かでる2・7において生涯学習協会が主催する「学習成果実践発表会 in 道央」と称する講座があり参加した。
講座は実践発表と講演で構成され、実践発表では中富良野町に在住する天池一宣氏が「地図学習の成果」を、講演では札幌在住の高木崇世芝氏が「北海道地図のあゆみ」と題されて、それぞれお話された。
天池氏の実践も素晴らしく一つの生き方として参考になったが、私が特に感動したのは高木氏のお話だった。
高木氏について私はまったく知らない方だったが、講師紹介によると古地図の研究においては国内でも相当に名の知られた方だという紹介だった。
ところがご自身の自己紹介によると、高木氏は中学校の美術教師で古地図研究はまったくの専門外なのである。自己紹介では道南の僻地校での勤務が長かったために美術だけでなく、国語や社会なども担当したことから古地図の面白さに目覚められたようである。
高木氏の講演は現存する北海道(蝦夷)の地図を年代順に15枚提示しながら、その背景を語るものだった。
現存する最古の地図は、正保元年(1644年)に松前藩が幕府からの命によって提出した「国絵図」である。正確な測量などおよそ考えられなかった時代であるから、その図も実際の北海道とは似ても似つかぬものであった。
写真は元禄10年(1697年)に第2回の幕命によって松前藩が提出した「国絵図」であるが、前回から50年経っていたが、あまり変わりはない奇妙奇天烈な北海道(蝦夷)であった。ただ、地名などはアイヌからの聞き取りなどによってかなり現在の地名が記されているともいう。
また、同時代には民間人が自己の商売のために作成された蝦夷図がけっこう残されているが、それらもまた現実とはかなりかけ離れたものだった。
現実の北海道(蝦夷)に近い地図が作成されたのは享和2年(1802年)に幕臣である近藤重蔵が作成した蝦夷図である。近藤がどんな資料に基づいて作成したのか解明されていないということだが、高木氏によると完成度は80%と話されるほど現実の近いものである。
そして日本全土を測量した大御所・伊能忠敬の登場である。伊能は寛政12年(1800年)幕府に願い出て、東蝦夷地を測量探検したが、その能力が認められ翌年享和元年(1801年)から17年間に渡って全国測量という偉業を達成し、最終的に文政4年(1821年)写真のような北海道地図が作成されたのである。
続いて、蝦夷地探検家として知られる松浦武四郎が、伊能が北海道の外縁をなぞったのに対して、内陸を探検して内部の様子を書き加えた「東西蝦夷山川地理取調図」を作成した。
このレポにおいては提示された15枚すべての地図について触れることはできないが、高木氏は一枚一枚の古地図について、実に精力的にお話された。それは高木氏が一枚一枚の古地図を苦労されながら収集されたことの裏返しのように思えた。
長年にわたり古地図についての研究を続けてこられた高木氏にとって、生き生きと語るその姿からは一つのことを長く探求されてきたことへの誇りと自信が溢れているように思えた。
一芸に秀でることの素晴らしさを教えていただいた思いであるが、私にとっては叶わぬ夢でもある…。
※ なお、ここで使用させていただいた地図の写真は全て講義中に映し出されたスライドを写させていただいたものである。
貴重な資料をアップさせていただきました。