田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

オヤジたちの修学旅行 後編

2016-10-09 16:30:55 | 札幌(圏)探訪
 オヤジたちの修学旅行は、昔懐かしいキハ40形気動車で石狩当別駅から新十津川駅に向けて出発進行した。田園風景が広がる中、過日JR北海道が廃駅の提案をしたとされる趣のある駅が次々と姿を現した。 

               
               ※ 札沼線を現役で走るキハ40形気動車です。

 私たちが乗車したキハ40形気動車は、私にとって懐かしい列車である。今から55年前、私は高校へ通うために列車に30分余り乗車して通う汽車通の生徒だった。
 私の記憶では、その時乗っていた気動車とほぼ同じ形だから基本的にはキハ40形気動車なのだろうと思われる。懐かしい!! ただし、車体の色はオレンジ系だった。

               
               ※ 私の記憶の中にあるオレンジ色の車体をした懐かしいキハ40形気動車です。

 石狩当別駅を出た一両列車は、ほぼ満員状態だった。その客のほとんどは鉄道ファンなのではと推察された。手に手にカメラを持ち、中には大きなバッグを抱えている人もいて、全国のひなびた鉄道や秘境駅などを巡っているファンだろうか?そうした客とともに、この日が土曜日ということもあり、近隣の鉄道ファンも多かったようだ。

               
               ※ 時間があると列車から降り立って、写真を撮りまくる鉄道ファンです。

 列車は北海道医療大学駅を過ぎると、田畑が広がる田園風景の中を走った。石狩金沢駅からは、駅舎も既存の駅舎のようなものはほとんどなく、客車を転用したもの、バス停のようなプレハブ造りのもの、集落の集会室と兼用のもの、など様々だった。

               
               ※ 石狩金沢駅、本中小屋駅、中小屋駅の緩急車を改造した駅舎です。

               
               ※ こちらは私も冬にお世話になった古いですが本格的(?)な駅舎の晩生内駅です。

               
               ※ こちらは集落の集会施設と併用している(?)ログハウス造りの素晴らしい月ヶ岡駅の駅舎です。

               
               ※ こちらは駅舎とは呼ばず、待合室と呼ぶ於札内駅の建物です。

 石狩当別駅以降で唯一駅員が駐在する石狩月形駅で、浦臼方面から来る上り列車を駅構内で交差するために約25分も停車した。さすがに鉄道ファンは事前にそのことを知っていたらしい。ほとんどすべての人がぞろぞろと列車を降り、あちこちと写真を撮り始めた。それを見て、私たちもそれを真似するのだった。

 石狩月形駅を出た列車は田園地帯というよりは、周りは林が多くなり、手つかずの自然の中を走るような光景となってきた。
 通過駅の中には、過日の新聞で廃駅の提案がなされた豊ヶ岡、鶴沼、於札内、南下徳富、下徳富と次々現れた。駅周辺にさえ集落の姿が見えないようなところも多く、風前の灯といった感があったのは否めない。
 そう思って帰宅ところ、本日(9日)の道新一面に「札沼線 バス転換打診」と大きな見出しが出ていた。こうした動きがすでに水面下で動き始めていることが明らかになった。とすると、私たちの今回の修学旅行(?)は記念碑的な旅行となるのかもしれない。

 札幌駅を発ってから約2時間半、9時28分に予定通り終着駅である新十津川駅に到着した。すると、赤い法被を着た小さな子がよさこいソーランを舞って歓迎してくれた。
 駅構内では件の鉄道ファンがあちこちに散って、さかんにシャッターを切っていた。とても廃線が取りざたされている駅の寂しい風景とは真逆の賑わいなのだが、それも束の間の賑わいといえようか…。

               
               ※ 新十津川では思いがけなく小さな保育園児のよさこいソーランの舞で出迎えてくれました。

               
               ※ 小さいですが、田舎の駅舎としての体裁を整えていた新十津川駅です。

               
               ※ 札沼線の線路が途絶える終点を望遠を引っ張って撮影しました。

               
               ※ あちこちと私には理解できないようなところも撮りまくる鉄道ファンたちです。

               
               ※ 列車の出発間際に、保育園児の塗り絵をプレゼントされました。

 新十津川駅での滞在はわずか12分間。列車はすぐに折り返すスケジュールである。9時40分、空知中央病院の保育所の園児によるよさこいソーランに見送られながら新十津川駅を出発した。
 私たちのように折り返して乗った客は、行きの半数程度か?残りの客は石狩川対岸の滝川駅に向かい、別のひなびた鉄道路線を目指すのだろう。

 新十津川駅を発って20分、私たちは浦臼町郷土資料館(北の龍馬館)見学と、昼食を摂るため浦臼駅に降り立った。
 浦臼駅は沿線では唯一、歯科診療所を併設した立派な駅舎を有していた。

               
               ※ ほかの駅舎とはまったく様相を異にする浦臼駅です。

※ 浦臼町郷土資料館、昼食については、明日レポすることにします。

 資料館見学と昼食を摂り、13時21分浦臼駅発の列車で、私たちは再び車中の人となった。
 車中は、私たち4人以外は皆無だった。これが札沼線の現実なのかもしれない。
 全てのスケジュールを終えた私たちは、誰にも遠慮することなく缶ビールで喉を潤した。

 札幌へ還る途中、温泉好きのH氏は石狩金沢駅で途中下車し、「開拓ふくろうの湯」という露天風呂を楽しむということで別行動を取ることとなった。
 残りの3人はそのまま列車に乗り続け札幌に向かった。
 途中、浦臼の街で3時間超の見学・昼食時間を取ったとはいえ、朝7時前からの列車の旅は我々シニアの体に鈍~い疲労感を感じながら、15時26分に札幌駅に降り立った。

 私を含めて、特別に達道ファンということではない4人組の列車の旅だったが、その路線が遠くない将来に廃線が囁かれている路線とあって、企画した側としては、それぞれにとって思い出多い列車の旅となったことを信じて家路に就いた…。