東奔西走の王妃
フェリペ5世妃 マリア・ルイサ・デ・サヴォイア
1688~1714/在位 1701~1714
マリア・ルイサはサルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世王女です。
1700年に即位したばかりのフェリペ5世が、翌年マリア・ルイサと結婚したのは
イタリア半島を狙うハプスブルク家への牽制があったのかもしれません。
カルロス2世(ハプスブルク家)は嫡子を遺さずに亡くなりました。
死の間際にカルロス2世は、またいとこのフィリプ(ブルボン家)を
後継者に指名すると遺言書に署名していたため、フェリペ5世が即位したのですが
ブルボン家の勢力拡大を見過ごせない欧州列強は
ルイ14世が精神薄弱のカルロス2世を唆して書かせたものだと言って
1701年、徒党を組んでスペインに争いを仕掛けました。
“ スペイン継承戦争 ” といわれるこの争いは、その後アメリカ大陸に飛び火して
植民地の奪い合いに発展していきます。
結婚するやいなや戦時下の大局にたたされた王妃マリア・ルイサはたったの13歳。
まだまだオシャレや遊びに夢中なお年頃ですが、彼女は政府を取り仕切り
議会に働きかけて、戦費や兵隊集めにも自ら奔走しました。
フェリペ5世の宮廷には、ウルシノス夫人というかなり影響力がある老婦人がいましたが
マリア・ルイサは次第に彼女を凌いで地位をかためていきました。
立派ですね…さすが激動のヨーロッパ王家育ちです。
あと2年で継承戦争も終結するという1714年、マリア・ルイサは結核で亡くなります。
この時、死にゆく王妃に対してフェリペ5世がとった行動が…
フェリペ5世はとても敬虔なクリスチャンで、妻以外の女性と関係を持つことは大罪だとして
当時の王には珍しく浮気をしませんでした。
それはそれで立派なことではあるのだが、王妃が死んだら当分できないと思うと我慢できず
病に臥せっているマリア・ルイサのベッドに幾度となく入り込んだという…オイオイ
死を前にしてこんなことされちゃった王妃はどう思っていたのでしょうね?
献身が報われたと思ったのか、「困った人だね」と呆れたか…計り知れません。
私なら「あ~!せからしかっ!!」(博多弁です)って言って突き落とす!
(参考文献 エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』 Wikipedia英語版)
フェリペ5世妃 マリア・ルイサ・デ・サヴォイア
1688~1714/在位 1701~1714
マリア・ルイサはサルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世王女です。
1700年に即位したばかりのフェリペ5世が、翌年マリア・ルイサと結婚したのは
イタリア半島を狙うハプスブルク家への牽制があったのかもしれません。
カルロス2世(ハプスブルク家)は嫡子を遺さずに亡くなりました。
死の間際にカルロス2世は、またいとこのフィリプ(ブルボン家)を
後継者に指名すると遺言書に署名していたため、フェリペ5世が即位したのですが
ブルボン家の勢力拡大を見過ごせない欧州列強は
ルイ14世が精神薄弱のカルロス2世を唆して書かせたものだと言って
1701年、徒党を組んでスペインに争いを仕掛けました。
“ スペイン継承戦争 ” といわれるこの争いは、その後アメリカ大陸に飛び火して
植民地の奪い合いに発展していきます。
結婚するやいなや戦時下の大局にたたされた王妃マリア・ルイサはたったの13歳。
まだまだオシャレや遊びに夢中なお年頃ですが、彼女は政府を取り仕切り
議会に働きかけて、戦費や兵隊集めにも自ら奔走しました。
フェリペ5世の宮廷には、ウルシノス夫人というかなり影響力がある老婦人がいましたが
マリア・ルイサは次第に彼女を凌いで地位をかためていきました。
立派ですね…さすが激動のヨーロッパ王家育ちです。
あと2年で継承戦争も終結するという1714年、マリア・ルイサは結核で亡くなります。
この時、死にゆく王妃に対してフェリペ5世がとった行動が…
フェリペ5世はとても敬虔なクリスチャンで、妻以外の女性と関係を持つことは大罪だとして
当時の王には珍しく浮気をしませんでした。
それはそれで立派なことではあるのだが、王妃が死んだら当分できないと思うと我慢できず
病に臥せっているマリア・ルイサのベッドに幾度となく入り込んだという…オイオイ
死を前にしてこんなことされちゃった王妃はどう思っていたのでしょうね?
献身が報われたと思ったのか、「困った人だね」と呆れたか…計り知れません。
私なら「あ~!せからしかっ!!」(博多弁です)って言って突き落とす!
(参考文献 エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』 Wikipedia英語版)