まりっぺのお気楽読書

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サルディーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世妃 クロティルデ

2009-08-11 00:33:51 | イタリア王・公妃
幸せ太り? ぽっちゃり王妃
カルロ・エマヌエーレ4世妃 クロティルデ・ディ・ボルボーネ


1759~1802/在位 1796~1802

この時期サルディーニャはフランスとばりばりに政略結婚をしています。
ブルボン家とハプスブルク家は、各国でおこる王位継承の争いで何度も争っているし
イタリア半島を廻っても長年争っていました。
サヴォイア家は利害を考えてどちらかにつかなきゃいけなかったわけです。

この時は兄弟姉妹あわせてトリプル結婚です。
カルロ・エマヌエーレはルイ16世の妹クロチルデと1775年に結婚。
マリーア・ジョゼッピーナはプロヴァンス伯(後のルイ18世)と1771年に、
マリーア・テレーザ はアルトワ伯(後のシャルル10世)と1773年に結婚しました。

        

サルディーニャ王女たちはあまり幸福な人生を送れなかったようですが
クロティルデの結婚生活は幸せだったみたいです。
ふたりには子供がいなかったのですが、カトリック信仰で強~く結ばれていて
お互いを熱愛してたんですって

ふたりは幸せでもヨーロッパは激動の時代です。
クロティルデの実家フランスではフランス革命がおこり、兄のルイ16世一家は処刑され
逃げて来た親族をカルロ夫婦で保護したこともありました。

1796年、カルロはサルディーニャ王に即位しましたがイタリアではナポレオンが大暴れ、
イタリア本土の全ての領土を放棄させられてサルディーニャ島に撤退しました。
カルロは統治とか領土回復にあまり興味がなかったみたいで
ローマとかナポリの裕福な家を夫婦で訪ね歩いてのほほんと暮らしておりました。

             
               少し落ち着かれたみたいで…
                     穏やかそうな方ですね


戦争じゃ! 領土じゃ! 愛人じゃ! という肉食系王の王妃は苦労も多かったでしょうが
クロティルデはそんなにつらい思いもせず芸術や音楽を愛でていたようですよ。
太っていたので “ ぽっちゃり夫人 ” というあだ名がついていました

1802年、クロティルデが病気で亡くなると、カルロは退位を決意します。
その後はローマに移り宗教に没頭した生活を送って、1819年に亡くなりました。

ジャコバイトは1807年、勝手にカルロをイングランド王チャールズ4世にしていましたが
相手にしていなかったのか特に抗議はしなかったみたいです。

ところでね、愛し合うふたりに気になることが …
カルロはローマのサンタンドレア・アル・クイリナーレ教会に埋葬されたんですけど
クロティルデはナポリのサン・カタリーナ教会に埋葬されていたので
別れ別れになってしまったってことじゃない? 今でもそうなのかしら?
今からでもいいから一緒にしてあげてはどうかしら?

(参考文献 Wikipedia英語版)

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