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神聖ローマ皇帝レオポルト2世妃 マリア・ルドヴィカ

2010-01-13 01:41:44 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
顔じゃないのよ、皇后は
レオポルト2世妃 マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパニエン


1745~1792/在位 1790~1792

マリア・ルドヴィカが生まれた時、父のスペイン王カルロス3世は即位前でしたが
ナポリ・シチリア王だったのでイタリアのポルティチで生まれました。

         
レオポルトとマリアの縁談は女帝マリア・テレジアによって着々と進められました。
兄のヨーゼフ2世とは違って、陽気で女性にも大人気のレオポルトは
その当時はハンガリー貴族の娘エルデディと恋愛中でしたが
そんなわがままは女帝に通用しませんぜ。
というわけで、レオポルトとマリアは1765年に結婚しました。

メディチ家の断絶によってトスカーナ大公になったレオポルトとマリアは
結婚後フィレンツェで暮らすことになります。

なんでもマリアは見栄えがあまり良くなかったそうです。
兄ヨーゼフ2世の美貌の妻マリア・イザベラと比べられて
レオポルトは周囲の人に気の毒がられたんですって。
失礼しちゃうわね! 人を顔で判断するんじゃない

私もできるだけ美しく見える肖像画を探したつもりではあるのですが…
なんていうの? どれもこれも顔が長いのね…
でも、実物は愛嬌があるチャーミングな人だったそうですよ。

けれどマリアは大当たりなお嫁さんでございました。
なんといっても子だくさん! 16人生まれています。
「戦争は他にまかせておけ。オーストリアよ、汝は結婚せよ」を実現するには
たくさんのお子さんが必要ですものね。

ヨーゼフ2世に跡継ぎができず悩んでいた女帝は
レオポルトに皇子が生まれた時よっぽど嬉しかったらしくて
宮殿の隣のブルク劇場に駆け込み「ポルドルに男の子が生まれたのよ!」と
叫んだそうです…悲劇上演中だったそうですけどね さすが女帝

1790年、兄ヨーゼフ2世が後継ぎ無しに亡くなったため
レオポルト一家は皇帝に即位してフィレンツェからウィーンに移ることになりました。

当時レオポルトにはリヴィア・ライモンディという愛人がいて
彼女との間に子供もいました。
なんと! レオポルトはリヴィアたちもウィーンに連れて行きます。
ブルボン家ならいざ知らず、ハプスブルク家にとってはセンセーション。

レオポルトはもともと女性に人気があった人ですから
多少は女性問題もあったと思いますが、マリアはじっと耐えていたようです。
あまり浮気をされても困るけど、全然モテないのも情けないし…
なんたって皇帝だもの、少しぐらいは仕方ないか?

それでもふたりの結婚生活はとても円満だったと言われています。
名君の素質があったと言われているレオポルト2世は、良き夫でもあったのでしょうね。

皇帝になって2年後の1792年、レオポルトが45歳の若さで亡くなります。
マリアも3ヶ月後に後を追うように亡くなりました。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)

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マリア・テレジアの救世主(?)マリア・ルドヴィカ (メリエンダ)
2018-11-14 21:40:18
マリア・ルドヴィカ皇后、皇帝レオポルト2世の妃で、スペイン・ブルボン家の姫君。それから、つい数年前に初めて知ったのですが、ルドヴィカは、カルロス3世の娘で、カルロス4世の姉君、つまり、マリア・ルイーサの義理の姉にあたるのですね。いや~ヨーロッパ王室って何らかの血縁関係があったりするのですね。
マリア・ルドヴィカは、色んな書物に書いてあるように、さして美貌ではなく、その家柄と多産の家系によって選ばれたみたいですね。皮肉屋で、冷笑家と言われた義兄ヨーゼフは、人気のある弟ポルドルにやや嫉妬していたともされ、また、自分の美しき愛妻、マリア・イザベラを自慢したかった為か、さして美人でもない弟嫁を横目に、『ポルトルも政略結婚とはいえ、気の毒よな。』と嘲笑ったとも…そりゃあ、こんな性格じゃあ、女に人気無いに決まっとるわ!
だけども、マリア・ルドヴィカは、嫁、妃としては、とっても、優秀だったみたいですね。マリア・テレジアが、ヨーゼフに息子がいなくて、困っていたところに、ルドヴィカが待望の男児を産み、大喜び!その後、ほぼ毎年出産して、マリア・テレジアは、自分の嫁の見立ては、正しかった、と大満足したとされていますね。ただ残念なのは、レオポルト2世夫妻は、オーストリア皇帝、皇后になったものの、僅か二年足らずで亡くなってしまったことですね…
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