肖像画は2人目の妃 ジャンヌ1世
芸術のパトロン
ジャン2世妃 ボンヌ・ド・リュクサンブール
1315~1349/在位せず
“ 善良王 ” といわれるジャンの最初の妃ボンヌは
シャルル4世妃マリー・ド・リュクサンブールの姪にあたります。
本名はユッタでしたが結婚の時にボンヌに改名しています。
後は…芸術が大好きで特にギョーム・ド・マシューを愛好していたということしか…
ジャンが即位する前年、ペストで亡くなっています。
正義漢の妻も楽じゃない・・・
ジャン2世妃 ジャンヌ1世・ドーベルニュ
1326~1360/在位 1350~1360
ボナが亡くなるとすぐ、ジャンはオーベルニュ女伯ジャンヌ1世と再婚します。
ジャンヌ1世は12歳の時、ブルゴーニュ公フィリプと結婚しましたが
20歳の時死別していて、23歳で王太子妃となりました。
1350年ジャン2世が即位しジャンヌは王妃となりましたが、結婚から6年後
ジャン2世はポワティエの戦いで大敗し、イングランドの捕虜になってしまいます。
父王エドワード3世同様騎士道精神溢れるエドワード黒太子は
囚われのフランス王を厚遇し、決して粗末に扱わなかったといわれています。
ジャン2世も捕虜生活をエンジョイしてたなんて言われたりして…
身代金300万クラウンをつくるため、息子のルイを身代わりの人質に残して
フランスに帰った時のことです。
ルイは父王同様手厚くもてなされていましたが、それを逆手に取り
易々とイングランドから逃れて来ました。
それを知ったジャン2世は激怒し、自らイングランドに渡り捕虜の身に逆戻り。
正義漢というか、バカ正直というか…
イングランドで何かいいことでもあったのかしら?
ジャン2世は1364年にロンドンで亡くなりました。
ジャンヌがイングランドを訪ねたかどうかは分からないのですが
たぶん訪れてないんじゃないかと…戦時中だし。
後半ほとんどおいてけぼり状態、善良な人も時として困り者ですね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
芸術のパトロン
ジャン2世妃 ボンヌ・ド・リュクサンブール
1315~1349/在位せず
“ 善良王 ” といわれるジャンの最初の妃ボンヌは
シャルル4世妃マリー・ド・リュクサンブールの姪にあたります。
本名はユッタでしたが結婚の時にボンヌに改名しています。
後は…芸術が大好きで特にギョーム・ド・マシューを愛好していたということしか…
ジャンが即位する前年、ペストで亡くなっています。
正義漢の妻も楽じゃない・・・
ジャン2世妃 ジャンヌ1世・ドーベルニュ
1326~1360/在位 1350~1360
ボナが亡くなるとすぐ、ジャンはオーベルニュ女伯ジャンヌ1世と再婚します。
ジャンヌ1世は12歳の時、ブルゴーニュ公フィリプと結婚しましたが
20歳の時死別していて、23歳で王太子妃となりました。
1350年ジャン2世が即位しジャンヌは王妃となりましたが、結婚から6年後
ジャン2世はポワティエの戦いで大敗し、イングランドの捕虜になってしまいます。
父王エドワード3世同様騎士道精神溢れるエドワード黒太子は
囚われのフランス王を厚遇し、決して粗末に扱わなかったといわれています。
ジャン2世も捕虜生活をエンジョイしてたなんて言われたりして…
身代金300万クラウンをつくるため、息子のルイを身代わりの人質に残して
フランスに帰った時のことです。
ルイは父王同様手厚くもてなされていましたが、それを逆手に取り
易々とイングランドから逃れて来ました。
それを知ったジャン2世は激怒し、自らイングランドに渡り捕虜の身に逆戻り。
正義漢というか、バカ正直というか…
イングランドで何かいいことでもあったのかしら?
ジャン2世は1364年にロンドンで亡くなりました。
ジャンヌがイングランドを訪ねたかどうかは分からないのですが
たぶん訪れてないんじゃないかと…戦時中だし。
後半ほとんどおいてけぼり状態、善良な人も時として困り者ですね。
(参考文献 Wikipedia英語版)