才知も評価されず
フィリプ6世妃 ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
1293~1348/在位 1328~1348
ヴァロア家初の王になったフィリプ6世は、フィリプ3世の男系の孫だったため
王位を継承しました。
メーヌ公時代の1313年にブルゴーニュ公女ジャンヌと結婚していました。
ジャンヌの姉はルイ10世妃マルグリートですが、姉が不幸な最後を遂げたのに対し
彼女は王を尻にしいた王妃と巷間で噂されていたようです。
知的で意志の強いジャンヌは、後年百年戦争で飛び回る王の摂政として
充分力を発揮しましたが、なんでも政務にうちこむあまり恐ろしい顔つきになり
悪魔のように見えたとまで言われる始末、評判は芳しくありませんでした。
高貴な女性は美しく上品であれば良い、という時代ですが
それだけしかない女性が不幸な目に遭っている例はいくらでもあります。
髪を振り乱して仕事に没頭する女性、結構じゃないですか!
でもフランス的審美眼でいうと、そういう女性は粋じゃないのかもね。
史家の中には「彼女はまるで女王のように振る舞い
彼女に反する者は破滅に追いやられた」と記している人もいます。
中世には多かれ少なかれ誰でもやっていたことだと思いますけど…
ジャンヌは自分がそうであったように、学識がある女性や読書家に寛大で
息子ジャンにも写本をさせたり翻訳をさせるなどさせていました。
(だから戦争弱くなっちゃった?)
55歳の時、フランスで猛威をふるった黒死病(ペスト)で亡くなりました。
家庭内に限って考えれば、多少威圧的ではあっても夫の留守を守り
教育熱心な良妻賢母な女性なんですけどねぇ
いったい何が女性の評価を決めるのか? 分からないものです。
パワフルな前妻がいたので…地味です
フィリプ6世妃 ブランシュ・ド・ナヴァル
1331~1391/在位 1350
フィリプ6世はジャンヌの死から2年、57歳で19歳のブランシュと再婚します。
もう跡取りがいるからいいじゃない というのは庶民が考えることで
政治的に老体に鞭打つ必要もあったのかもしれませんね。
中には自らすすんで再婚する王もいたかもしれませんが…
ブランシュの母方の祖父はルイ10世です。
ヴァロア家も、カペー家が王家になってまずそうしたように
王家の土台を強固なものにする必要があったのかもしれません。
結婚から8ヶ月後フィリプが亡くなりました。
ブランシュは妊娠中で後に王女ジャンヌが生まれました。
ジャンヌは20歳の時アラゴン王ファン1世と結婚するためにパリを発ちますが
アラゴンに到着する前に亡くなってしまいました。
ブランシュは錬金術に凝りだし、宮廷内にいくつも実験室を造ってしまったということですが
何かに打ち込まなきゃやってられないですよねぇ。
どうして再婚しなかったんでしょう?
そういえば、王の死後再婚するフランス王妃って少ない気がします。
ちなみに、百年戦争勃発の原因は “フランスの女豹 ” ことイザベルを母に持つ
イングランド王エドワード3世が、1339年、王位継承権を主張して
フランスに進軍したことに始まります。
もしや、イザベルは息子にフランス王位を継がしたいために、ルイ10世、フィリプ5世、
シャルル4世という兄弟の妃を告発したんじゃ…?という穿った見方もできますね。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
フィリプ6世妃 ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
1293~1348/在位 1328~1348
ヴァロア家初の王になったフィリプ6世は、フィリプ3世の男系の孫だったため
王位を継承しました。
メーヌ公時代の1313年にブルゴーニュ公女ジャンヌと結婚していました。
ジャンヌの姉はルイ10世妃マルグリートですが、姉が不幸な最後を遂げたのに対し
彼女は王を尻にしいた王妃と巷間で噂されていたようです。
知的で意志の強いジャンヌは、後年百年戦争で飛び回る王の摂政として
充分力を発揮しましたが、なんでも政務にうちこむあまり恐ろしい顔つきになり
悪魔のように見えたとまで言われる始末、評判は芳しくありませんでした。
高貴な女性は美しく上品であれば良い、という時代ですが
それだけしかない女性が不幸な目に遭っている例はいくらでもあります。
髪を振り乱して仕事に没頭する女性、結構じゃないですか!
でもフランス的審美眼でいうと、そういう女性は粋じゃないのかもね。
史家の中には「彼女はまるで女王のように振る舞い
彼女に反する者は破滅に追いやられた」と記している人もいます。
中世には多かれ少なかれ誰でもやっていたことだと思いますけど…
ジャンヌは自分がそうであったように、学識がある女性や読書家に寛大で
息子ジャンにも写本をさせたり翻訳をさせるなどさせていました。
(だから戦争弱くなっちゃった?)
55歳の時、フランスで猛威をふるった黒死病(ペスト)で亡くなりました。
家庭内に限って考えれば、多少威圧的ではあっても夫の留守を守り
教育熱心な良妻賢母な女性なんですけどねぇ
いったい何が女性の評価を決めるのか? 分からないものです。
パワフルな前妻がいたので…地味です
フィリプ6世妃 ブランシュ・ド・ナヴァル
1331~1391/在位 1350
フィリプ6世はジャンヌの死から2年、57歳で19歳のブランシュと再婚します。
もう跡取りがいるからいいじゃない というのは庶民が考えることで
政治的に老体に鞭打つ必要もあったのかもしれませんね。
中には自らすすんで再婚する王もいたかもしれませんが…
ブランシュの母方の祖父はルイ10世です。
ヴァロア家も、カペー家が王家になってまずそうしたように
王家の土台を強固なものにする必要があったのかもしれません。
結婚から8ヶ月後フィリプが亡くなりました。
ブランシュは妊娠中で後に王女ジャンヌが生まれました。
ジャンヌは20歳の時アラゴン王ファン1世と結婚するためにパリを発ちますが
アラゴンに到着する前に亡くなってしまいました。
ブランシュは錬金術に凝りだし、宮廷内にいくつも実験室を造ってしまったということですが
何かに打ち込まなきゃやってられないですよねぇ。
どうして再婚しなかったんでしょう?
そういえば、王の死後再婚するフランス王妃って少ない気がします。
ちなみに、百年戦争勃発の原因は “フランスの女豹 ” ことイザベルを母に持つ
イングランド王エドワード3世が、1339年、王位継承権を主張して
フランスに進軍したことに始まります。
もしや、イザベルは息子にフランス王位を継がしたいために、ルイ10世、フィリプ5世、
シャルル4世という兄弟の妃を告発したんじゃ…?という穿った見方もできますね。
(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)