まりっぺのお気楽読書

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デンマーク王ヴァルデマー2世妃 ダグマー

2010-02-28 00:55:12 | デンマーク王妃
王の再婚相手を指名した王妃
ヴェルデマー2世勝利王妃 ダグマー・アフ・ベーメン


1186頃~1213/在位 1205~1213

ヴァルデマ-2世は、ダーネブロー(デンマーク国旗)を生み出したり
ユトランド法典をつくった王で、バルト海進出などを果たして
勝利王とよばれています。

ダグマーはデンマークで改名した名前で、本名はマルガレータといいます。

父のオタカル1世は1192年にボヘミア王になりましたが、翌年廃されました。
その時、母のアーデルハイドが、オタカルと息子のブラティスラフに
「どこかの王の傭兵になったら」と薦めたことから両親の間に亀裂が…

家計をあずかる主婦としたら「働いてちょうだいよ」と言いたくなるわよね。
夫にしてみれば「今さら人の下で働けるか!」ってことかしら。

1197年に父が再び王になった時、母アーデルハイドは離婚されてしまいました。
でもアーデルハイドは頑固に居座り続けたもようです。

        
オタカル1世は新しい妃との間に王子が生まれた1205年
デンマーク王ヴァルデマ-2世とマルガレータの結婚を決心します。

ヴァルデマー2世は着々とドイツ方面に手を伸ばしていました。
ドイツでは名を上げていたのではないでしょうか?

母娘は一緒にデンマークへ旅立っていきました。 実はこれがねらいですか?

美しいダグマーはすぐにデンマークの人たちの心をつかみます。
1209年に王妃になり男の子も生まれました。
たくましい王と美しい王妃、まるで物語のようですね。
しかし1213年、ふたり目の子供の出産の時に、ダグマーは亡くなります。

古いバラッドによると、ダグマーはヴァルデマー2世に
「ポルトガルのベレンガリアはデンマークに災いをもたらします」と予言して
カール・フォン・ライスの娘キルステンと再婚するように薦めました。

でもね…ヴァルデマー2世はベレンガリアと再婚しちゃったの
フランダース方面との関係を強化するため、というのが理由ですけど
ベレンガリアは “ 美しい花 ” とよばれていましたのでね…

さてさて、ダグマーの予言はあたったのでしょうか? つづく…

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

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