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天国と地獄をみた
スコットランド女王 メアリー・ステュワート
1542~1587/在位 (スコットランド女王)1542~1567
(フランス王妃)1559~1560
あまりにも有名な女王メアリーは、イングランド女王エリザベス1世と
比較されることが多いのですが、どちらサイドにたって書かれたのかで
かなり印象が違う女性です。(歴史って、えてしてそんなものですけどね)
メアリーは父王の死によって生後6日で女王に即位しますが
なにしろ赤ちゃんですからね、もちろん何もできるわけではありません。
しかし幼い女王には花婿候補がぞくぞく現れます。
ヨーロッパはカトリック、プロテスタント入り乱れて覇権争いのまっただ中で
スコットランドを手中におさめたい国は数多ありました。
中でもイングランドのヘンリー8世は、王太子エドワードとの結婚を
しつこくしつこくせまります。
スコットランドは国力も低下していてイングランドと闘う力はありません。
イングランド支配は逃れたいものの、面と向かって断る勇気もありません。
結局、王太后メアリー・オブ・ギーズの意向で、5歳の時にフランスに留学させられます。
ゆくゆくはフランス王太子フランソワとの結婚がみえみえなこの留学、
スコットランドはイングランドを警戒し、影武者を2、3人たてるほどの用心をします。
メアリーは無事フランスに到着しました。
フランスでのメアリーについては、“ フランス王妃篇 ”
(
やる気か?私は)でふれるとして
未亡人となってイングランドに帰国してからのメアリーを簡単にご紹介。
フランス宮廷において、屈指のラグジュアリー&ゴージャスな生活を送ってきたメアリーは
即座にスコットランドの宮廷に退屈しはじめ虚しさを募らせていきます。
スコットランドにとって、若き未亡人メアリーは最大の外交手段だったのですが
彼女はそんなことおかまいなしに、手近なところで婿を見つけ再婚してしまいました。
相手は彼女の従兄弟にあたるダーンリー卿ヘンリー・ステュワートで
イングランド仕込みの小粋な青年でした。
メアリーはすぐに心奪われ4ヶ月で結婚しますが、この結婚は半年で破綻します。
ちなみにメアリー同様、ダーンリー卿も
ヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーの孫にあたり
二人の息子ジェイムズ6世がイングランド王位を継ぐ要因になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/08/48802e76f98a5061c1f1a4a49212070b.jpg)
嫉妬深い夫に寵臣リッチオを殺され、軟禁されたメアリーは
脱走に手を貸してくれたボスウェル伯ジェイムズを愛するようになります。
翌年、ダーンリー卿が変死しますが、付近にボスウェル伯がいて疑われたこと
さらにはそのボスウェル伯とメアリーが結婚したことで
スコットランドはメアリーを廃位し、幼い息子(またですか?)を即位させます。
抵抗を試みたものの失敗し、ボスウェル伯も失ったメアリーは
エリザベス1世を頼ってイングランドに逃走します。
これはかなり厚顔無恥な行動です。
自らにイングランドの王位継承権があるメアリーは
かねがねエリザベス1世の王位継承の不当性を訴えていて
自分の紋章にイングランド王の紋まで入れていました。
エリザベス1世だって困ります。
一応親族ではあるし、人目もあるしで無下に扱う訳にもいきません。
そんなわけで(かなり自由な)軟禁状態におくわけですが
メアリーは助けてもらっていながらその後もイングランド王位を主張したり
反エリザベス派と会ったりして全く反省する様子がありませんでした。
軟禁から19年後、とうとうクーデターの首謀者として処刑されることになります。
(無実だという説もありますが)
なんていうのでしょう、生まれながらの女王ですから
人の上に君臨していない自分というのが理解できなかったのでしょうね?
一度味わったら忘れられない権力者の蜜の味・・・返り咲きたかったのでしょうか?
ただ、生まれながらの女王にしてはかなり思慮に欠ける女性であったような気がします。
この後、スコットランド王ジェイムズ6世は、母親があんなに欲しがっていた王位を継承して
イングランド王ジェイムズ1世となります。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』『英国王室史話』)
スコットランド女王 メアリー・ステュワート
1542~1587/在位 (スコットランド女王)1542~1567
(フランス王妃)1559~1560
あまりにも有名な女王メアリーは、イングランド女王エリザベス1世と
比較されることが多いのですが、どちらサイドにたって書かれたのかで
かなり印象が違う女性です。(歴史って、えてしてそんなものですけどね)
メアリーは父王の死によって生後6日で女王に即位しますが
なにしろ赤ちゃんですからね、もちろん何もできるわけではありません。
しかし幼い女王には花婿候補がぞくぞく現れます。
ヨーロッパはカトリック、プロテスタント入り乱れて覇権争いのまっただ中で
スコットランドを手中におさめたい国は数多ありました。
中でもイングランドのヘンリー8世は、王太子エドワードとの結婚を
しつこくしつこくせまります。
スコットランドは国力も低下していてイングランドと闘う力はありません。
イングランド支配は逃れたいものの、面と向かって断る勇気もありません。
結局、王太后メアリー・オブ・ギーズの意向で、5歳の時にフランスに留学させられます。
ゆくゆくはフランス王太子フランソワとの結婚がみえみえなこの留学、
スコットランドはイングランドを警戒し、影武者を2、3人たてるほどの用心をします。
メアリーは無事フランスに到着しました。
フランスでのメアリーについては、“ フランス王妃篇 ”
(
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
未亡人となってイングランドに帰国してからのメアリーを簡単にご紹介。
フランス宮廷において、屈指のラグジュアリー&ゴージャスな生活を送ってきたメアリーは
即座にスコットランドの宮廷に退屈しはじめ虚しさを募らせていきます。
スコットランドにとって、若き未亡人メアリーは最大の外交手段だったのですが
彼女はそんなことおかまいなしに、手近なところで婿を見つけ再婚してしまいました。
相手は彼女の従兄弟にあたるダーンリー卿ヘンリー・ステュワートで
イングランド仕込みの小粋な青年でした。
メアリーはすぐに心奪われ4ヶ月で結婚しますが、この結婚は半年で破綻します。
ちなみにメアリー同様、ダーンリー卿も
ヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーの孫にあたり
二人の息子ジェイムズ6世がイングランド王位を継ぐ要因になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/08/48802e76f98a5061c1f1a4a49212070b.jpg)
嫉妬深い夫に寵臣リッチオを殺され、軟禁されたメアリーは
脱走に手を貸してくれたボスウェル伯ジェイムズを愛するようになります。
翌年、ダーンリー卿が変死しますが、付近にボスウェル伯がいて疑われたこと
さらにはそのボスウェル伯とメアリーが結婚したことで
スコットランドはメアリーを廃位し、幼い息子(またですか?)を即位させます。
抵抗を試みたものの失敗し、ボスウェル伯も失ったメアリーは
エリザベス1世を頼ってイングランドに逃走します。
これはかなり厚顔無恥な行動です。
自らにイングランドの王位継承権があるメアリーは
かねがねエリザベス1世の王位継承の不当性を訴えていて
自分の紋章にイングランド王の紋まで入れていました。
エリザベス1世だって困ります。
一応親族ではあるし、人目もあるしで無下に扱う訳にもいきません。
そんなわけで(かなり自由な)軟禁状態におくわけですが
メアリーは助けてもらっていながらその後もイングランド王位を主張したり
反エリザベス派と会ったりして全く反省する様子がありませんでした。
軟禁から19年後、とうとうクーデターの首謀者として処刑されることになります。
(無実だという説もありますが)
なんていうのでしょう、生まれながらの女王ですから
人の上に君臨していない自分というのが理解できなかったのでしょうね?
一度味わったら忘れられない権力者の蜜の味・・・返り咲きたかったのでしょうか?
ただ、生まれながらの女王にしてはかなり思慮に欠ける女性であったような気がします。
この後、スコットランド王ジェイムズ6世は、母親があんなに欲しがっていた王位を継承して
イングランド王ジェイムズ1世となります。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』『英国王室史話』)
皆様のおっしゃる通り、メアリーは、その美貌ゆえか、その悲劇的最期のせいか、多くの方々から同情され、“悲劇の女王”なんて哀しくも美しい呼び方をされていますよね… 私は、メアリーよりも、エリザベスのほうが断然好感が持てます。 メアリーは、しょーもない男ばかりを好きになってしまい、我が身を危険に晒したりして、同情してしまいますが、自分を保護してくれた相手の地位を狙い、暗殺計画やクーデターを企て、恩を仇で返すまねをしたりして(無実との噂あり)、あまり好きになれません… まぁ、彼女の潔い、処刑台での演出、死にざまは見事ですがね。
メアリーびいきの人物は、『エリザベスは、メアリーの美貌、生まれながらの高貴な身分に嫉妬していた!』なんて言いますが、エリザベスびいきの私は、エリザベスは、メアリーや、異母姉メアリーとは違い、私情を国政に挟む人物でなかったのではないかと思います。 恋愛もするものの、国を危うくするような事はしなかったみたいだし…
歴史上で有名な女性の中で、政治といえば、エリザベス1世、エカチェリーナ2世、イサベル1世、ヴィクトリア女王・マルグレーテ1世、マリア・テレジアなどがいますが、やっぱりブレーン選びに長けていたということと、立場をわきまえていたってあたりが、彼女たちを名君にしたのかなぁ…なんて思います。
エリザベスやエカチェリーナなども恋人や愛人がいたりして、決してガチゴチの仕事女性ではなかったと思うのですが、相手の男性が政治に口を出すことは許さなかったらしいですよね。
メアリーはそのあたりが欠けていた、というか、向いてなかったんじゃないでしょうか?
ただ女王になりたいだけで、なっても何したらいいかわかんないよぉ〜、というタイプ。
でもドラマにはなりやすい女性ですよね。
先日読んだ『美しきカサンドラ』で、ジェーン・オースティンは、メアリーにかなり同情的です。
女性には、愛を貫くというイメージがウケるのかもしれないですね。
美人で、華やかで、恋が多いのに掴まえる男はことごとく「だめんず」ばかり。
そんな所が「バ可愛くて」保護欲を誘うのでしょうか…。
ちなみに私は「リーダーとして仰ぎたい・尊敬したい」と思うのはエリザベス。
「彼女を主人公にした物語を読みたい・その運命に涙したい」と思うのは、メアリーです。
やはり彼女の空気の読めなさ(政治センスのなさ)、人としての弱さに、何処にでもいる女性のような親しみと(伝記物語としての)読みごたえを感じるために。