常に実家頼みだった王妃
ジェイムズ5世妃 メアリー・オブ・ギーズ
1515~1560/在位 1538~1542
先妻マデリーン・オブ・ヴァロアを亡くしたジェイムズ5世は、再びフランスを訪れます。
マデリーンが亡くなる1ヶ月前、メアリー・ド・ギーズは夫のロングヴィル公を亡くし
未亡人になっていました。
思いおこせば、マデリーンへの最初の求婚が断られた時
ジェイムズ5世はメアリーにうつつをぬかしたものでしたね。
今ふたたび未亡人になったメアリーに俄然熱い視線を注ぎます。
ところがジェイムズ5世の叔父にあたるイングランド王ヘンリー8世は
この動きに警戒心を抱きます。
フランスとスコットランドの同盟関係が強まることを怖れたヘンリー8世は
3人目の妻を亡くしたばかりでしたので、急いでメアリーに求婚します。
しかしヘンリー8世の、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンと
2人目の妻アン・ブーリンへの仕打ちを知っていたメアリーは
まったく相手にしようとしませんでした。
フランソワ1世は、ジェイムズ1世の申し入れを容認し、メアリーの父に伝えますが
彼女は息子ルイを亡くしたばかりで、家族の側を離れたくないと悩みます。
結局、ジェイムズ5世の一生懸命な説得に負けてスコットランドに嫁ぎました。
二人の王子を生んだメアリーでしたが、王子は幼くして同時に夭逝します。
その翌年、長女メアリー(後の女王)を生みました。
その時ジェイムズ5世はイングランドに敗れた失意で病床にいましたが
報告を受けてただひと言「女か…」と言ったそうです。
病状は悪化し、メアリー誕生から6日後に亡くなりました。
幼い女王を抱えたメアリーは万事をフランスの実家に頼り
娘を幼いうちにフランスへ渡らせたりして、女王の人生に多大な影響を与えます。
45歳でエディンバラで他界し、なぜかフランスに埋葬されました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
ジェイムズ5世妃 メアリー・オブ・ギーズ
1515~1560/在位 1538~1542
先妻マデリーン・オブ・ヴァロアを亡くしたジェイムズ5世は、再びフランスを訪れます。
マデリーンが亡くなる1ヶ月前、メアリー・ド・ギーズは夫のロングヴィル公を亡くし
未亡人になっていました。
思いおこせば、マデリーンへの最初の求婚が断られた時
ジェイムズ5世はメアリーにうつつをぬかしたものでしたね。
今ふたたび未亡人になったメアリーに俄然熱い視線を注ぎます。
ところがジェイムズ5世の叔父にあたるイングランド王ヘンリー8世は
この動きに警戒心を抱きます。
フランスとスコットランドの同盟関係が強まることを怖れたヘンリー8世は
3人目の妻を亡くしたばかりでしたので、急いでメアリーに求婚します。
しかしヘンリー8世の、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンと
2人目の妻アン・ブーリンへの仕打ちを知っていたメアリーは
まったく相手にしようとしませんでした。
フランソワ1世は、ジェイムズ1世の申し入れを容認し、メアリーの父に伝えますが
彼女は息子ルイを亡くしたばかりで、家族の側を離れたくないと悩みます。
結局、ジェイムズ5世の一生懸命な説得に負けてスコットランドに嫁ぎました。
二人の王子を生んだメアリーでしたが、王子は幼くして同時に夭逝します。
その翌年、長女メアリー(後の女王)を生みました。
その時ジェイムズ5世はイングランドに敗れた失意で病床にいましたが
報告を受けてただひと言「女か…」と言ったそうです。
病状は悪化し、メアリー誕生から6日後に亡くなりました。
幼い女王を抱えたメアリーは万事をフランスの実家に頼り
娘を幼いうちにフランスへ渡らせたりして、女王の人生に多大な影響を与えます。
45歳でエディンバラで他界し、なぜかフランスに埋葬されました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)