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スウェーデン王マグヌス4世妃 ブランカ

2011-07-26 12:20:12 | スウェーデン王妃
息子殺しと言われた王妃
マグヌス4世妃 ブランカ・アヴ・ナミュール


1320~1363/在位 (スウェーデン王妃)1335~1363 (ノルウェー王妃)1335~1343

ビリイェル失脚後王に選出されたマグヌス4世はマグヌス3世の孫にあたります。
ノルウェーでもマグヌス7世として即位していました。

ブランカはナミュール候ヨハン1世の娘です。
             
マグヌス4世が直々にナミュールまで出向いて求婚したんですが
なんでそこまでしてブランカと結婚したかったのかが不明です。
美しかったんでしょうかね?

結婚にあたってブランカはノルウェーのトンスベルグ、スウェーデンのレデーゼを
領地として与えられています。

ブランカは政治でも社交の場でも精力的で、一目置かれた存在でした。

マグヌス4世はその後4世紀に渡ってスウェーデンで施行された憲法のような
地方法と都市法を制定した人物で、在位した期間も44年と比較的長い王でした。
けっこう有能な王だったのかもしれませんね。
ただ男性が好きな方でして、フィンランド公ベングト・アルゴットソンが
大のお気に入りでした。

でも、ブランカは王子も二人生んで地位も固め、夫にも影響力を及ぼしていたので
愛人が男でもあんまり気にしなかったのかもしれません。
夫婦の仲は悪く見えませんでした。

王子のうち長男のホーコンは1343年にノルウェーの王位を譲られました。
次男エリクは「兄ちゃんばっかり!」と父王に反抗しまして
1356年にスウェーデンの共治王になりました。

しかし、エリクはわずか3年後に妃のベアトリックスとともに亡くなってしまいました。
この時、瀕死のエリクが「私に人生を与えてくれた人が人生を奪うなんて…」てなことを
言ったとかで、ブランカが毒殺したと追求されてしまいました。

              
                こんなに睦まじい母子なのに…

この噂に根拠はなくて、現代の歴史学者の方々はペストが原因だと考えているようです。

1350年代はペストが北欧を襲い、スウェーデンは3分の2、
ノルウェーとデンマークは半分の人口になってしまいました。

マグヌス4世は聖ビルギッタに寄付をして修道院を充実させたことが知られていて
もちろん妻のブランカも多大な寄付をしていたのですが
聖ビルギッタは「王夫妻は二人してフィンランド公ベングトと浮気している!」と
告発していました。
恩人なのにね… 聖職者にとって、大事なのは恩だろうか? それとも倫理だろうか?

息子殺しの噂が響いたのか、ブランカは1359年以降はテンスバル城で過ごし
ノルウェー南東部を治めていました。
暮らし向きはあまり良くなかったみたいです。

ブランカは、1363年、息子ホーコン6世がデンマーク王女マルグレーテ
結婚した後すぐに病に陥り亡くなりました。
詳しい死因はともかく、葬られた場所も不明です。
よほど噂が後をひいていたと思われます。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
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