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イギリス王ジョージ2世妃 キャロライン

2008-11-17 01:25:13 | イングランド王妃・王女
王を支えた才媛
ジョージ2世妃 キャロライン・オブ・アーンズバック


1683~1737/在位 1727~1737

賢夫人として名高いジョージ2世妃キャロラインは
4歳の時父と死別し、13歳の時、未亡人だった母が再婚したことから
プロイセン王フリードリヒ1世の被後見人になりました。
そのことが彼女の人生を大きく左右することになります。

      

キャロラインにはハプスブルク家のカール(後の神聖ローマ皇帝)や
サクズ・コバーク・ゴータ家のフリードリヒ2世などと縁談が持ち上がりましたが
フリードリヒ2世からの申し出を避けるため、後見人のプロイセン王の保護を受けていた時
娘であるプロイセン王妃ゾフィー・シャルロッテを訪ねて来ていた
ハノーヴァー選帝侯妃ゾフィアの目に留まります。

母親であるゾフィア・ドロテアが幽閉されていたため
ゾフィア(選帝侯妃)は孫のジョージ(後の2世)の世話をしていて
そろそろ嫁を捜さなくてはと思っていた時でした。
ゾフィアのお眼鏡に叶ったキャロラインは、彼女の強い後押しでジョージと結婚します。

しかし父であるジョージ1世の即位とともにロンドンに移ったキャロラインは
義父と夫の絶え間ないいさかいに悩まされます。
夫ジョージは母ゾフィア・ドロテアに対する父の仕打ちが我慢できず
歯向かってばかりいたのです。

キャロラインはジョージ1世となんとかうまくやっていましたが
ジョージ1世は息子が自分になつかないのは嫁のせいだと思い
キャロラインを悪魔よばわりしていました。

いざ王が亡くなって、ジョージ2世が戴冠する時になると
王室の宝石や衣装はことごとくジョージ1世の愛人たちに与えられていて
キャロラインは借り物のドレスと宝石を身に着けて式に出る始末でした。
ほんとに懐のせまいひとだったんですね ジョージ1世って。

そんな二人の間を取りなすキャロラインに目をつけていたのが、宰相ウォルポールでした。
平和主義者ウォルポールは、好戦的で単純なジョージ(2世)への根回しに
キャロラインの力が必要だと考えるようになりました。
キャロラインはウォルポールの意志を受け入れ、以後二人はタッグを組んで
ウォルポールは表舞台で、キャロラインは影から王を支えて国を動かしていきます。

だが、なぜか
いろいろな面で評判の良いキャロラインは、長男である王太子フレデリックのことが大嫌いで
怪獣の名前で呼んだり「この世から消えてほしい」と言ったりして
子育てに大失敗しています。

もちろんそんな風に育てられたフレデリックも両親が好きなわけがなく
後年反抗的になり、議会で父に反対票を投じたり、国庫を浪費し
両親の暴露本まで出版します。 今なら大騒ぎ

ウォルポールとキャロラインに政治をまかせて形だけの統治をしていたジョージ2世は
次々と愛人をつくり、その世話や悩み事までキャロラインに相談する始末でしたが
心が寛いってゆうかなんていうか、彼女はちゃんと愛人やその子供たちの面倒を
王に変わってみてあげています。
なかなかできることじゃありませんよ、あなた

ジョージ2世も彼女を唯一の女性と思っていたようで
死の床で再婚をすすめるキャロラインに「再婚はしない、愛人だけにするよ」と
約束しています。 なに? その誓い

キャロラインはヘルニアの手術の失敗で命を落とすのですが、苦しみながらも
王太子フレデリックに対して「あの怪物を二度と見なくて済むことだけが慰めだ」と
言ったとか・・・何がそんなに嫌いだったのかしら?
まあ、一つくらい欠点がないと人間らしくないけどね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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