![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a5/9d374925aeec7e2d99943ba2d4f07352.jpg)
再婚のミステリー
オタカル2世妃 クンフタ・ウヘルスカー
1245〜1285/在位 1261〜1278
1260年に、マルケータとの結婚を無効にしたオタカル2世は
翌年の1261年にとっとと再婚しました。
お相手は、マチョー公ロスチスラフの公女クンフタです。
マルケータより41歳若い花嫁でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/e9/43b5752a1144ad3984423764d6acc70c.jpg)
クンフタのお母様は、ハンガリー王ベーラ4世王女アンナで、父方の祖父は
最後のキエフ大公ミハイル2世でした。
ミハイル2世の死後ハンガリーに移りました。
1261年、祖父ベーラ4世とオタカル2世が同盟を結び嫁ぐことになりました。
けれども、この同盟は10年後に破られて、クンフタの叔父イシュトヴァーン(5世)に
攻め込まれました。
オタカル2世は1278年にマルヒフェルトの戦いでドイツ王ルドルフ1世に敗れ亡くなります。
これは、前妃マルケータとの結婚で手に入れた公領をめぐる争いですかね?
その上、ボヘミア王の支配下にあったモラヴィア公領は、ルドルフ1世に制圧されました。
幼王ヴァーツラフ2世の摂政になったクンフタでしたが、コントロールできるのは
プラハ近郊ぐらい… 行く末が不安ですね。
でも大丈夫!
ヴァーツラフは、ルドルフ1世の王女グータとの結婚が決まりましたよ〜
迫りくるハプスブルク家の影…
クンフタは、ヴァーツラフの結婚で肩の荷が降りたのか
同年、ボヘミアの大物政治家ファルケンシュティン卿ザーヴィシュと再婚しました。
ところがですよ、クンフタは数週間後に急死してしまいます。
ザーヴィシュは3年後にハンガリー王イシュトヴァーン5世王女エルジェーベトと
再婚するんだけど… なにか勘ぐりたくなりますよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/56/6e9d78008a68e7958a1b376d6cc312e0.jpg)
Jarmily Haldovéさん作クンフタ
危なげに見えたヴァーツラフ2世の治世でしたが、ボヘミア王国を維持したばかりか
選挙でポーランド王になり、さらに祖母の系統からハンガリー王にもなりました。
ヴァーツラフ2世は、グータの死後、ポーランド王プシェミスゥ2世王女
エリシュカ・レシュカと再婚しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ae/1cd7455f05a72fed181655c4f16c786b.jpg)
Jarmily Haldovéさん作グータ Jarmily Haldovéさん作エリシュカ
その後を継いだのは、ヴァーツラフ2世王子ヴァーツラフ3世で、王妃はヴィオラです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/40/bc895a9fea22111a875e256272cb1480.jpg)
Jarmily Haldovéさん作ヴィオラ
(参考文献 Wikipedia英語版)
オタカル2世妃 クンフタ・ウヘルスカー
1245〜1285/在位 1261〜1278
1260年に、マルケータとの結婚を無効にしたオタカル2世は
翌年の1261年にとっとと再婚しました。
お相手は、マチョー公ロスチスラフの公女クンフタです。
マルケータより41歳若い花嫁でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/e9/43b5752a1144ad3984423764d6acc70c.jpg)
クンフタのお母様は、ハンガリー王ベーラ4世王女アンナで、父方の祖父は
最後のキエフ大公ミハイル2世でした。
ミハイル2世の死後ハンガリーに移りました。
1261年、祖父ベーラ4世とオタカル2世が同盟を結び嫁ぐことになりました。
けれども、この同盟は10年後に破られて、クンフタの叔父イシュトヴァーン(5世)に
攻め込まれました。
オタカル2世は1278年にマルヒフェルトの戦いでドイツ王ルドルフ1世に敗れ亡くなります。
これは、前妃マルケータとの結婚で手に入れた公領をめぐる争いですかね?
その上、ボヘミア王の支配下にあったモラヴィア公領は、ルドルフ1世に制圧されました。
幼王ヴァーツラフ2世の摂政になったクンフタでしたが、コントロールできるのは
プラハ近郊ぐらい… 行く末が不安ですね。
でも大丈夫!
ヴァーツラフは、ルドルフ1世の王女グータとの結婚が決まりましたよ〜
迫りくるハプスブルク家の影…
クンフタは、ヴァーツラフの結婚で肩の荷が降りたのか
同年、ボヘミアの大物政治家ファルケンシュティン卿ザーヴィシュと再婚しました。
ところがですよ、クンフタは数週間後に急死してしまいます。
ザーヴィシュは3年後にハンガリー王イシュトヴァーン5世王女エルジェーベトと
再婚するんだけど… なにか勘ぐりたくなりますよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/56/6e9d78008a68e7958a1b376d6cc312e0.jpg)
Jarmily Haldovéさん作クンフタ
危なげに見えたヴァーツラフ2世の治世でしたが、ボヘミア王国を維持したばかりか
選挙でポーランド王になり、さらに祖母の系統からハンガリー王にもなりました。
ヴァーツラフ2世は、グータの死後、ポーランド王プシェミスゥ2世王女
エリシュカ・レシュカと再婚しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ac/30031f19d974b9ebcea53d11a91bc752.jpg)
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Jarmily Haldovéさん作グータ Jarmily Haldovéさん作エリシュカ
その後を継いだのは、ヴァーツラフ2世王子ヴァーツラフ3世で、王妃はヴィオラです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/40/bc895a9fea22111a875e256272cb1480.jpg)
Jarmily Haldovéさん作ヴィオラ
(参考文献 Wikipedia英語版)