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ボヘミア王オタカル2世妃 マルケータ

2018-03-30 20:22:18 | ボヘミア王妃
継承のためなら!の歳の差婚
オタカル2世妃 マルケータ・バーベンベルスカー


1204〜1266/在位 1253〜1260

父王ヴァーツラフに対して反乱をおこし、投獄されたオタカルでしたが
1253年にめでたく王に就くことができました… 5年ぐらい待てばよかったのにね。

結婚は2回しているのですが、1回目のお相手は26歳年上
オーストリア公レオポルト6世公女マルケータでした。
すごいね! 26歳年下… 見てるだけでいいや。

実は21歳ぐらいで、ドイツ王ハインリヒ7世と結婚していました。
けれども、オタカル同様、ハインリヒも父親の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対して
反乱をおこし、失敗して1242年に亡くなりました。

マルケータはその後静かに隠遁生活を送っていたのですが
そうもしていられなくなりました。
       
ちょっと入り組んでるから、上手く説明できるかどうか… いきますよ!

マルケータの弟フリードリヒ2世が、1246年に嫡子無しで死去したため
オーストリア公領とシュタイアーマルク公領に対して
マルケータか姪のゲルトルード、どちらの夫も権利を主張できる立場になりました。

そこでヴァーツラフ1世は、長男ヴワディスワフをゲルトルードと結婚させて
この継承争いにくいこんでいきました。
ところが、結婚の翌年の1247年にヴワディスワフが亡くなります。

ゲルトルードの再婚相手バーデン辺境伯ヘルマン6世が1250年に亡くなると
ヴァーツラフ1世の野望は再燃します。
次男オタカルとゲルトルードを結婚させる作戦だったのですが
オタカルが兄の未亡人との結婚を断固拒否しました。

倫理上の問題なのか、兄さんのおさがりなんて!! というプライドだかはわかりませんが
7歳年上のゲルトルードとの結婚を断り、26歳年上のマルケータとの結婚を承諾しました。
       
1252年に結婚はしてみたものの、マルケータはもうすぐ50歳(一説には50歳以上)です。
嫡子が生まれるわけない! ということで、オタカルは
1254年、マルケータの侍女だった愛妾アニェス・クネリングとの間に生まれた息子を
教皇に認めてもらおうとします。

これに失敗すると、オタカルはマルケータとの結婚の失効を訴え、1260年に許されました。
            
でもさ、オーストリア・シュタイアーマルク公領は手放さないのよ、どう思う?
(後にドイツ王ルドルフ1世に奪われます)

結婚を無効にされたマルケータは、オーストリアに帰っていきました。
帰国後は “ ローマ王妃 ” と呼ばれていました。

没年は1266年か1267年で、希望どおり父親が建てたリリエンフェルト修道院の
父の隣に埋葬されました。

静かな生活から引っぱり出しといてなんなのよ!
26歳年上ってことは、最初からわかってたじゃないか!!

マルケータ自身がどう思っていたのか、まったくわからないのが残念ですね。
何度も言うけど、わたしは見てるだけでいいです。 できたら歌って踊ってほしい…

                
               Jarmily Haldovéさん作マルケータ

(参考文献 Wikipedia英語版)

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