まりっぺのお気楽読書

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ポーランド王ヴァツワフ2世妃 リクザ

2014-10-25 02:26:42 | ポーランド王妃
最後は愛する人の隣へ
ヴァツワフ2世妃 リクザ・エルジュピタ


1286~1335/在位(ヴァツワフ2世妃)1300~1305 (ルドルフ1世妃)1306~1307

後継者が混乱を極めるポーランドで、プシェミスゥ2世が殺害されると
俄然注目を集めるようになったのが、二人目の妃リクサが生んだ
たった一人の王女リクザでした。
ポーランドの王座をねらう国内外の老若男たちがリクザとの結婚を望みますからね。

子供の頃に継母マルガリェタの兄オットーと婚約しましたが
オットーが1299年に亡くなってしまいました。

1300年にヴァツワフ2世と結婚しました。
ヴァツワフはこの時29歳で、リクザの15歳上だから、そんなに無茶な縁談じゃないけど
なにせ最初の妃グータが遺した10人ものお子がいるじゃない?
ただ、1300年時点で生きていたのは5人だんですけど、やはり子だくさんの家に嫁ぐのは
14歳の少女にはけっこう過酷よね。
会うことはあまりないかもしれませんけどね。
     
リクザが若いから…ということで挙式は1303年になりました。
しかし結婚生活は短く、1305年にヴァツワフ2世は肺炎で亡くなります。
子供は王女アグニェシュカのみでした。

リクザは、ヴァツワフ2世の死後王位に就いたヴァツワフ3世の摂政を
2ヶ月だけですが努めています。
19歳でしっかり者ですね、しかも実の子じゃないのに… さすが王女。

でも若い未亡人ですもの… まだまだ引く手数多って感じですね。
1306年、やはり王座をねらうハプスブルク家のルドルフと再婚しました。
ねらっていたのはどちらかというとポーランドよりボヘミアの王座だけどね。

ヴァツワフ3世は1306年に16歳の若さで亡くなり、ルドルフが継いだような継いでないのか
よくわかんないのだが、仮に継いだとしておいて、たった7ヶ月で赤痢で亡くなりました。

もうここからは、王座ねらいがウジャウジャ寄ってきますよ!
結婚した王女たち(グータの子ね)の夫たちも登場してきます。

リクザは21歳、まだまだ再婚しようと思えば楽勝だったと思うのですが
そんなゴタゴタがいやになったのか、再婚はしませんでした。

リクザはプラハを離れ、フラデツ・クラーロヴェーに落ち着き
恋人とされたハインリヒ・フォン・Lipaと暮らしました。
リクザとハインリヒは1319年に結婚したとも言われていますが定かではありません。

この後、政治の争いにハインリヒの名がでてきますが同一人物だろうか?
後継者の鍵を握る人物ですもの、長閑な隠遁生活というわけではなかったんんでしょうね。
ともあれ、ハインリヒが亡くなるまでの10年鑑、二人は幸福に暮らしていたということです。

リクザはその後、信心に目覚めてえ教会やシトー派の修道院を建てたり
讃美歌集の編纂に貢献しました。
1335年に亡くなると、愛するハインリヒの隣に葬られました。
王妃として葬られるより、愛する人の隣で眠る方が、本人は幸せだったのでしょうね。

それより、国王の娘として生まれ、短命の二人の王に嫁いだ女性なら
もう少し波瀾万丈なエピソードがあってもよさそうなものですが
リクザのパーソナリティーはほぼ垣間見えませんね。 残念です。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
行ってきましたよよぉ、埼玉文化センターのSHINee ホールツアー! まったくコンサート会場という高揚感のない外観…
 この事務的な看板に脱力  本当にSHINeeが出るのか疑ったね
でもすごく楽しかった~ ステージ近い~ パワフルなステージを見せてもらえて感謝感激!でした

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