まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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ポーランド王プシェミスゥ2世妃 マルガリェタ

2014-09-10 22:35:30 | ポーランド王妃
                 肖像画が無いので苦肉の策…
                   祖母のクリストファ1世妃マルグレーテ


久々の王妃だけど家系図だけ・・・
ポーランド王プシェミスゥ2世妃 マルガリェタ・ブランデンブルシュカ


1270~1315/在位 1295~1296

プシェミスゥ2世の三人目の妃は、肖像画もないし、個人的なエピソードもあんまりないけど
家系図だけは描き甲斐がありました。

最初の妃リュドガルダは後継ぎを遺さず、二人目の妃リクサが生んだのは王女だけ…
ということで、後継ぎが欲しかったプシェミスゥ2世は三度目の結婚に踏み切ります。

再婚相手に選ばれたマルガリェタは
ブランデンブルク=ザルツヴェーデル辺境伯アルブレヒト3世と
デンマーク王クリストファ1世の王女マチルダの娘です。

しかし、プシェミスゥ2世もマルガリェタもボヘミア王オットカル1世の曾孫だったので
ローマ教皇の特免状が必要でした。

いつも思うんだが、この “ 親戚関係だから特免状が必要 ” っていうのは
当時の王侯貴族なら誰でもひっかっかったんじゃないのかしらね?
うるさく言われる結婚とそうでもない結婚の差はどこに…?
ローマ教皇に目をつけられてるとか、よその国が黙ってないとか、そういうこと?

で、家系図です。
             
描かなかったけど、家系図内のミェシュコ3世とヘンリク2世は遡ると
ボレスワフ2世で繋がります。
ヘンリク2世は一人目の妃ズビシュワヴァの息子ブワディスワフ2世の子孫で
ミェシュコ3世は二人目の妃シャロメアの息子です。

マルガリェタは、リヘザ・ロタリンスカ以来のポーランド王妃でしたが
その在位は1年と短いものでした。
なんと! プシェミスウは1926年に、マルガリェタの実家の家臣に誘拐され
殺害されてしまいます。
これもポーランド国内の権力争いが絡んでて、実家が敵方についたからなんだけど
娘を嫁がせた相手を殺しちゃうっていうのは… 中世ですわね。

マルガリェタはしばらくポーランドに残っていましたが故郷に戻り
ロストック卿ニコラウスと婚約しました。
しかし、この縁談は中止され、1302年にザクセン公アルブレヒト3世と結婚します。
マルガリェタは32歳ですが、その後二人の男の子を生んでいます。
当時の初産としては高齢出産ではなかったのでしょうか?

1308年にアルブレヒト3世が亡くなってから7年後に亡くなり
ラッツェンブルク大聖堂に葬られました。

けっこう激動の人生だったのはわかりましたが、彼女のパーソナリティは
なにひとつ垣間見えませんね。
ひとつでもエピソードがあれば、そこからどんどん妄想しちゃうんだけどなぁ…

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことテレビコーナー
デヴィッド・スーシェ出演のポアロ・スペシャルは、本当によかった~! さすが世界の人気テレビシリーズ!!
それなのに~ファイナルシーズンの第一話を録画し忘れるという大失態 すぐ再放送してくれないかね?

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2 コメント

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お久しぶりです (エリア55)
2014-09-12 20:54:50
先日私もブログで必要があって(?)家系図書いたんですが
系図ってたいへんですね、すごく疲れました^^;
ポーランドって歴史がよくわかってない国なんで、たいへん参考になります^^
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2014-09-16 22:42:35
エリア55さま、おひさしぶりです
ブログはちょくちょく拝見しているのですが…

先日、シャーロック・ホームズ大好き!な職場の人が、ベネディクト・カンバーバッチさまのシャーロックDVDを買おうかどうしようか迷っていたので、エリア55さんのブログをおすすめしました。

家系図ははまると疲れます。
実はポーランドが途中までしかできてなくて、今焦って作っているのですが、グッタリしています。
でも、王と王妃の家系が繋がった時の歓びが…やめられない!って感じです。
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