![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/82/bd1595b5983ec8be847187c3de3ae61e.jpg)
肖像画が無いので苦肉の策…
祖母のクリストファ1世妃マルグレーテ
久々の王妃だけど家系図だけ・・・
ポーランド王プシェミスゥ2世妃 マルガリェタ・ブランデンブルシュカ
1270~1315/在位 1295~1296
プシェミスゥ2世の三人目の妃は、肖像画もないし、個人的なエピソードもあんまりないけど
家系図だけは描き甲斐がありました。
最初の妃リュドガルダは後継ぎを遺さず、二人目の妃リクサが生んだのは王女だけ…
ということで、後継ぎが欲しかったプシェミスゥ2世は三度目の結婚に踏み切ります。
再婚相手に選ばれたマルガリェタは
ブランデンブルク=ザルツヴェーデル辺境伯アルブレヒト3世と
デンマーク王クリストファ1世の王女マチルダの娘です。
しかし、プシェミスゥ2世もマルガリェタもボヘミア王オットカル1世の曾孫だったので
ローマ教皇の特免状が必要でした。
いつも思うんだが、この “ 親戚関係だから特免状が必要 ” っていうのは
当時の王侯貴族なら誰でもひっかっかったんじゃないのかしらね?
うるさく言われる結婚とそうでもない結婚の差はどこに…?
ローマ教皇に目をつけられてるとか、よその国が黙ってないとか、そういうこと?
で、家系図です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d8/41f3351abdb2d2319f9660770b31157e.jpg)
描かなかったけど、家系図内のミェシュコ3世とヘンリク2世は遡ると
ボレスワフ2世で繋がります。
ヘンリク2世は一人目の妃ズビシュワヴァの息子ブワディスワフ2世の子孫で
ミェシュコ3世は二人目の妃シャロメアの息子です。
マルガリェタは、リヘザ・ロタリンスカ以来のポーランド王妃でしたが
その在位は1年と短いものでした。
なんと! プシェミスウは1926年に、マルガリェタの実家の家臣に誘拐され
殺害されてしまいます。
これもポーランド国内の権力争いが絡んでて、実家が敵方についたからなんだけど
娘を嫁がせた相手を殺しちゃうっていうのは… 中世ですわね。
マルガリェタはしばらくポーランドに残っていましたが故郷に戻り
ロストック卿ニコラウスと婚約しました。
しかし、この縁談は中止され、1302年にザクセン公アルブレヒト3世と結婚します。
マルガリェタは32歳ですが、その後二人の男の子を生んでいます。
当時の初産としては高齢出産ではなかったのでしょうか?
1308年にアルブレヒト3世が亡くなってから7年後に亡くなり
ラッツェンブルク大聖堂に葬られました。
けっこう激動の人生だったのはわかりましたが、彼女のパーソナリティは
なにひとつ垣間見えませんね。
ひとつでもエピソードがあれば、そこからどんどん妄想しちゃうんだけどなぁ…
(参考文献 Wikipedia英語版)
ひとことテレビコーナー
デヴィッド・スーシェ出演のポアロ・スペシャルは、本当によかった~! さすが世界の人気テレビシリーズ!!
それなのに~ファイナルシーズンの第一話を録画し忘れるという大失態
すぐ再放送してくれないかね?
祖母のクリストファ1世妃マルグレーテ
久々の王妃だけど家系図だけ・・・
ポーランド王プシェミスゥ2世妃 マルガリェタ・ブランデンブルシュカ
1270~1315/在位 1295~1296
プシェミスゥ2世の三人目の妃は、肖像画もないし、個人的なエピソードもあんまりないけど
家系図だけは描き甲斐がありました。
最初の妃リュドガルダは後継ぎを遺さず、二人目の妃リクサが生んだのは王女だけ…
ということで、後継ぎが欲しかったプシェミスゥ2世は三度目の結婚に踏み切ります。
再婚相手に選ばれたマルガリェタは
ブランデンブルク=ザルツヴェーデル辺境伯アルブレヒト3世と
デンマーク王クリストファ1世の王女マチルダの娘です。
しかし、プシェミスゥ2世もマルガリェタもボヘミア王オットカル1世の曾孫だったので
ローマ教皇の特免状が必要でした。
いつも思うんだが、この “ 親戚関係だから特免状が必要 ” っていうのは
当時の王侯貴族なら誰でもひっかっかったんじゃないのかしらね?
うるさく言われる結婚とそうでもない結婚の差はどこに…?
ローマ教皇に目をつけられてるとか、よその国が黙ってないとか、そういうこと?
で、家系図です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d8/41f3351abdb2d2319f9660770b31157e.jpg)
描かなかったけど、家系図内のミェシュコ3世とヘンリク2世は遡ると
ボレスワフ2世で繋がります。
ヘンリク2世は一人目の妃ズビシュワヴァの息子ブワディスワフ2世の子孫で
ミェシュコ3世は二人目の妃シャロメアの息子です。
マルガリェタは、リヘザ・ロタリンスカ以来のポーランド王妃でしたが
その在位は1年と短いものでした。
なんと! プシェミスウは1926年に、マルガリェタの実家の家臣に誘拐され
殺害されてしまいます。
これもポーランド国内の権力争いが絡んでて、実家が敵方についたからなんだけど
娘を嫁がせた相手を殺しちゃうっていうのは… 中世ですわね。
マルガリェタはしばらくポーランドに残っていましたが故郷に戻り
ロストック卿ニコラウスと婚約しました。
しかし、この縁談は中止され、1302年にザクセン公アルブレヒト3世と結婚します。
マルガリェタは32歳ですが、その後二人の男の子を生んでいます。
当時の初産としては高齢出産ではなかったのでしょうか?
1308年にアルブレヒト3世が亡くなってから7年後に亡くなり
ラッツェンブルク大聖堂に葬られました。
けっこう激動の人生だったのはわかりましたが、彼女のパーソナリティは
なにひとつ垣間見えませんね。
ひとつでもエピソードがあれば、そこからどんどん妄想しちゃうんだけどなぁ…
(参考文献 Wikipedia英語版)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rabi_love.gif)
デヴィッド・スーシェ出演のポアロ・スペシャルは、本当によかった~! さすが世界の人気テレビシリーズ!!
それなのに~ファイナルシーズンの第一話を録画し忘れるという大失態
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
系図ってたいへんですね、すごく疲れました^^;
ポーランドって歴史がよくわかってない国なんで、たいへん参考になります^^
ブログはちょくちょく拝見しているのですが…
先日、シャーロック・ホームズ大好き!な職場の人が、ベネディクト・カンバーバッチさまのシャーロックDVDを買おうかどうしようか迷っていたので、エリア55さんのブログをおすすめしました。
家系図ははまると疲れます。
実はポーランドが途中までしかできてなくて、今焦って作っているのですが、グッタリしています。
でも、王と王妃の家系が繋がった時の歓びが…やめられない!って感じです。